Interview

社長のせなか

北洋建設株式会社

小澤 輝真社長インタビュー

【第1回】 2018.07.24

 

数十人の愛人、船から落水…破天荒な父の思い出

 

 

鈴木:北洋建設は刑務所や少年院からの出所者を積極的に雇用し、多くのメディアから取材を受けています(社員60名のうち、約4分の1が刑務所や少年院の出所者)。今日はあまり話していないことを中心に聞かせてください。

 

小澤:わかりました。よろしくお願いします。

 

鈴木:では、ご家族の話から。北洋建設の創業者は小澤社長のお父さんですよね。どんな父親だったんですか?

 

小澤:破天荒でしたよ。たくさん女をつくって、小遣いを渡したり、マンションを買ってあげたり。ぜんぶ母は知っていました。愛人に会うために、台湾まで飛んで行ったこともありましたね。

印象に残っているのはUFO騒動です。札幌から近い厚田(現:石狩市厚田区)で光る飛行物体が3回も目撃されたことがあって、それ以来、「UFOの里」と呼ばれるようになったんです。でも、そのうちの2回は父の仕業でした(笑)。

 

鈴木:え? どういうことですか?

 

小澤:父は海が好きで、しょっちゅう自家用船を乗り回していました。ある晩に船から落っこちて、落下傘つき信号を使ったんですよ。これは発煙筒のようなもので、ロケットのように打ちあがり、炎や光で遭難位置を知らせます。それを見た厚田の人たちが「UFOだ!」と騒ぎ、新聞記事にまでなったんです。

 

鈴木:おもしろいエピソードですね。お父さんは豪快に遊べるくらいお金があったんですか?

 

小澤:商売の才能があったので、たくさん稼いでいました。当時(1970年代)の建設業は、人がいればお金になった時代。だから、どうやって人をたくさん抱えるかが重要なんです。それこそ、元受刑者でもいい。でも、どの会社も刑務所から出てきた人たちなんて使わないですよね。

そこで身寄りのない出所者たちを父がスカウトして、どんどん現場で働かせたんです。父の名義でアパートを借りて、こっそり出所者たちを住まわせて。それが大家さんにバレたときは、かなり怒られたみたいですが。

 

鈴木:なるほど。何十年も前から、元受刑者の人たちを受け入れてきたわけですね。

 

小澤:ええ。最盛期は170人もの従業員を雇い、1日で何十万円も儲かったそうです。だから、何人も女性を囲うお金があったんですね。

ただ、あまりに父が遊びすぎて、結局は5000万円くらいの借金が残りました。父が50歳の若さで亡くなったとき、多額の債務が発覚したんです。その後、母が2代目の社長(現:会長)になり、僕の代で完済しました。

 

(小澤社長の母である静江会長が取材に同席)

 

鈴木:ご主人はそんなに破天荒な人だったんですか?

 

静江会長:ええ。ひどい目にあいましたよ(笑)。もともとウチは、夫婦ふたりで六畳一間からスタートした会社。そこから商売が軌道に乗ってきたら、主人が湯水のようにお金を使うんです。

毎年、高級車を買って、何十人も女をつくって。彼女たちにお手当を払って、面倒をみていたんです。「もうガマンできない」と別れようと思ったら、突然、主人が難病(脊髄小脳変性症)になってしまって。そしたら、見捨てるわけにいかないですもんね。

最後の数年間は“大奥”みたいなもんですよ。女同士のケンカもありましたが、「私は本妻だから、アンタたちで勝手にやってください」って。それで、看護師の愛人に主人を看てもらっていました。私がつきっきりで世話していたら、会社がまわりませんから。

 

鈴木:スゴい。肝がすわっていますね。

 

静江会長:主人が難病をわずらった後、銀行からお金を借りられなくなりました。だから、新しい社員寮は私が建てたんですよ。ゆっくりお風呂に入れるように大きな家族風呂をつくったり、個室を大きくしたりして。一昨年、やっとローンを払い終えたところです。

 

鈴木:長いあいだ、苦労されてきたんですね。幼い頃の小澤社長はどんな子どもでしたか?

 

静江会長:息子は小さいころから(元受刑者の)従業員たちに「テル」って呼ばれて、かわいがられてきてきました。だから、その人たちに刺青が入っていても、いい人だと思ったんでしょう。おかげで、なんの屈託もなく現在の活動(元受刑者の就労支援など)ができています。

 

小澤:僕が小学生の頃、写生会で札幌の大通公園に行きました。そこに酔っ払いがいて、それで先生から注意されたんですよ。「危ないから近づくな!」って。でも、よく見たらウチの従業員だった(笑)。「おー、テル」と声をかけられて。

 

鈴木:でも、学校の写生会って平日の昼間ですよね。その従業員は会社をズル休みしていたんですか?

 

小澤:だと思いますよ。当時は無断欠勤なんてザラだったので、驚きませんでした。

 

鈴木:そんな特殊な環境で育って、経営者になったわけですね。仕事観やお金について、育った環境や親からどんな影響を受けましたか?

 

小澤:んー、どうかな。お金については、中学2年生で簿記を習ったんです。将来会社を経営するなら、簿記を覚えたほうがいいと思って。40万円の授業料は母に出してもらい、父にナイショで街中の教室へ通いました。

 

鈴木:中学2年で簿記ですか? その簿記の知識が経営に役立ってるんですね。

 

小澤:同じ時期にバンド活動もしていました。友だちとバンドを組んだとき、お金を持っている僕がドラム担当に指名されて。3日後には、70万円のドラムセットを買いました。

 

鈴木:やっぱり、お金の使い方が豪快ですね。ドラムの腕前は上達したんですか?

 

小澤:ええ。たぶん、アマチュアとしては道内イチ。ドラムの先生ふたりに習って、17歳でプロに誘われるレベルまで上達したんです。ひとりは家庭教師のように、ウチまで来てくれて。父がお金を出してくれてたんでしょう。譜面がスラスラ読めたので、音楽の授業でも先生にほめられました。

 

鈴木:ドラムの家庭教師なんて、あまり聞いたことがありません。お父さんは投資の発想があって、息子の教育にも豪快だったんでしょうね。

 

(第2回に続きます)

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