Interview

社長のせなか

株式会社エンライズコーポレーション

吾郷 克洋社長インタビュー

【第1回】 2018.08.16

 

自分に力がなければ、大切な人を助けられない

 

鈴木:今日はあまり話してこなかったことを聞かせてください。

 

吾郷:わかりました。よろしくお願いします。

 

鈴木:吾郷さんは広島出身ですよね。ITビジネスで起業するために上京したんですか?

 

吾郷:いえ、当時の夢は漠然としていましたね。「大都会でビッグになってやる!」という感じです。

もともと、学生時代はプロのサッカー選手をめざしていました。小学3年生から始めて、中学、高校とサッカーづけ。

マツダ(サンフレッチェ広島)の元選手が監督を務める大学に進学し、すぐレギュラーになりました。

オレがいちばんうまいと調子にノッていたんですが、大学1年の夏に椎間板ヘルニアをわずらって…。

サッカーはおろか、1ヵ月間、歩くこともできなかった。そこでプロへの夢が絶たれたんです。

目の前が真っ暗になり、とにかく荒れましたね。

 

鈴木:気持ちはわかります。僕も大学まで陸上ひとすじ。

箱根駅伝をめざしていたんですが、大学4年の選抜合宿でケガをしてしまって。

夢の箱根に直前でメンバーから外れ、その後に3年間くらいひきずりました。毎日のように酒を飲み、20kgも太りました。

吾郷:私の場合、サッカー部の仲間と会うのがつらくて、ほとんど大学に行かなくなりました。

仲が悪くなったわけじゃないけど、サッカーの話題を聞きたくないんです。やりたいことがなくなり、日々イライラがつのるばかりでした。

 

鈴木:どうやって立ち直ったんですか?

 

吾郷:なんとなく始めたバーテンダーのアルバイトがきっかけです。

そこは格式の高いレストランバーで、先輩はバーテンダーの技能大会に出るようなスゴ腕。

その人に育てられ、新たな夢が見つかったんです。サッカーのプロにはなれなくても、バーテンダーのプロにはなれるかもしれないって。

 

鈴木:サッカー以外に打ちこめるものに出会ったんですね。

 

吾郷:もうひとつ救いになったのは、大学3年で受講したゼミです。

ファイナンスを教わった30代前半の助教授が強烈でした。その人は生まれも育ちも東京で、もともとプロのトレーダー志望。

とても熱心に教えてくれました。

その先生に高価なマッキントッシュをゼミ生全員が買わされて、

ホームページ制作や投資のシミュレーションをやらされたんです。そのとき、パソコンがすごくおもしろくて。

また、熱中できるものが見つかりました。

 

鈴木:挫折して落ちこんでいると、よく「時間が解決する」っていいますが、実際は違うと思います。

やってきたこと以上に熱中できるものが見つかったり、新たな栄光や勲章を手に入れて、初めて過去と折りあいをつけられますよね。

 

吾郷:そうですね。ただ、バーテンダーの道は父の猛反対であきらめました。

「大学まで行かせてやったのに、水商売なんて絶対許さん。チャレンジするなら、東京のような都会へ出て、まともなビジネスをしろ」と。

当時の父は大手通信系企業の部長へ昇進し、東京に単身赴任していました。

たまにしか顔を合わせないけど、怖い存在でしたね。いわゆるガンコ親父です。

 

鈴木:お父さんのアドバイスで上京したんですか?

 

吾郷:父には反発していたので、素直に「はい、そうします」とはいきません。

実際にせなかを押してくれたのは、先ほど話したゼミの先生です。広島の大学で教えているのに「仕事をするなら、東京へ行け」が口ぐせでしたから(笑)。

それで、就職活動は東京のITベンチャーをまわって、新卒1期生として採用され、22歳で上京しました。

 

 

鈴木:僕も同じように、田舎の秋田から上京しました。19歳の頃です。

当時、親と仲が悪かったので「東京に骨を埋めるよ」と言い残して、新幹線に乗りこみました。

新幹線がだんだん東京に近づくにつれて、スモッグで汚れた都心の空と巨大なビルが見えてきて、

「いよいよ来たな」と思いました。その情景をいまでもハッキリと覚えています。吾郷さんが上京したとき、印象に残ってるシーンってありますか?

 

吾郷:いちばん興奮したのは、東京タワーですね。

初めて東京駅に降りて街へ出たとき、夜空にライトアップされた鉄塔がオレンジ色に光っていて。

「ここで成功して、東京タワーが見えるマンションに住むぞ!」と心に誓いましたね。だから、このオフィスもオレンジ色にしたんです。

鈴木:僕も上京直後に東京タワーへ行きましたよ。高校時代に『東京ラブストーリー』というドラマが流行っていて、ブラウン管に東京タワーが映るシーンが目に焼きついてました。

 

吾郷:青春ですよね。でも、憧れの東京にワクワクしていたんですが、浮かれ気分はあっという間に吹き飛びました。

入社後すぐの5月に両親が突然離婚したんです。広島にいた母は専業主婦なので、収入がない。

だから、就職したばかりの私に帰ってきてほしいと。

 

鈴木:それで、どうしたんですか?

 

吾郷:母に「3年待ってくれ」と頼みました。

25歳で独立して、いっぱい稼いで、必ず幸せにしてやるからと。大切な人を助けたくても、

自分に力がなければなにもできない。それを痛感しました。

それから母は広島でパート生活。私は東京のベンチャーでがむしゃらに働きました。

当時の仕事は、ITエンジニアの派遣やITのアウトソーシングを提案する営業職。即戦力の中途人材が多いなか、

私はロクな指導も受けられず、苦労しました。

 

鈴木:約束通り、25歳で独立したんですか?

 

吾郷:ええ。といっても、ひとりじゃありません。父に知人を紹介され、ふたりで新たな会社をスタートしたんです。

 

鈴木:お父さんがビジネスパートナーを紹介!?

 

(第2回に続きます)

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