Interview

社長のせなか

株式会社B.L.S.

渡辺 堅社長インタビュー

【第1回】 2020.01.23

予測できなかったバブル崩壊、借金2億5000万円

 

鈴木:今日は、ざっくばらんに色んなお話を聞かせてください。ちなみに、今までお金のピンチってありました?

 

渡辺:お金のピンチはかなりありました。思い出したくないですが(笑)。もともと僕は今の会社を始める前、今と同じ貴金属の会社で23年間共同経営をしていました。27歳のときに共同経営をスタートして、僕は専務で資金繰りを担当。社長と、あともう1人の役員がいました。1987年くらいなので、ちょうどバブルのはじまりでした。仕事には、まったく困りませんでした。変な話、儲かって儲かって仕方がなかったです。

 

鈴木:そのときはどんなものを作っていたんですか?

 

渡辺:ジュエリーです。ジュエリーの製造卸をしている会社だったので、下請けとして、メーカーで卸屋さんや小売店にジュエリーを納品していました。もう笑っちゃうくらい発注が止まらない。売れて売れて仕方がありませんでした。先方からは「足りない足りない」「適当な仕上げでも良いから早く納品してくれ」と言われるような状況でした。

 

鈴木:そんな時代があったんですね?

 

渡辺:当時バブルに走っていたから、景気も良くて、若かったこともあって27歳から33歳くらいまでは、正直浮かれていました。今では考えられない豪遊をしていました。

 

鈴木:どう遊ばれたんですか?

 

渡辺:いわゆるネオン街ですね。お金の回りが良かったので、万札が飛び交いましたね。貯金なんてほとんどしないで。でも仕事はちゃんとしていたので、毎日忙しくて23時頃まで仕事。そのあと明け方まで飲んで、そのまま朝から仕事をしていました。若かったら体がもっていたんでしょうね。気分も大きくなっていて、その頃94年に結婚もしました。ところが、その1年後、95年くらいからバブルが弾けて。その影響で、ジュエリーがまったく売れなくなりました。そこからの約15年間、ずっと売れません。

 

 

鈴木:売り上げはどんな感じに減ったんですか?

 

渡辺:社員に給料が払えない状況です。バブル期の売り上げは、ガクッと半分くらいに落ちました。資金繰りが追い付かなくて、銀行にかなりお願いして融資を受けさせて貰いました。そうでもしないと回りません。自分たち役員の給料は据え置きにしたので、家族にはかなり苦しい思いをさせましたね。いつ倒産してもおかしくない。借金と自転車操業で苦しくて、本当に何年も「辞めたい」と思いながら続けていました。思い出したくもないです。

 

鈴木:あえて思い出して頂きますが…

 

渡辺:浮かれていたしわ寄せが一気にきてしまったんだと思います。中国のことわざで「居安思危(きょあんしき)」というものがありますが、そのことわざの通り、良いときもあれば悪いときもあるのだから、備えておけば良かった。若かったからまったく考えられなかった。まさかこんなことになるなんて考えもしなかったです。

 

鈴木:バブルが弾ける兆候は感じなかったですか?

 

渡辺:徐々に毎月の受注量が落ちて行きました。それが毎月毎月毎月。落ちるスピ―ドに資金対策が追い付きませんでした。「なんで?」と、卸屋さんに聞いても「売れないから」の一点張りでした。みるみる落ちて行きました。受注量が落ちて行くと、業界全体が、よりちゃんとしたものを納品しないといけないという流れになって、検品を厳しくする方向に走るんです。同時に安くしないと売れないわけですから、工賃は3分の1にまで落ちる、検品は厳しい、お金は苦しい、3重苦でいつ辞めようかと考えましたけど、辞めても生きていけません。家族がいて、娘もいるので。

 

鈴木:結婚された、1年後にバブルが弾けたんですよね?

 

渡辺:そうです。94年の34歳のときに、自分の誕生日に結婚しました。そのときは良かったです。絶頂期です。それから1年くらい経って「あれあれ?」という感じに受注が減っていきました。まったく予測が付きませんでしたね。気づいたときにはもう落ちていました。

 

鈴木:その時も、共同経営をされていたのですよね?

 

渡辺:2011年の初めまでですから、23年間は共同経営。社長がいて、僕がいて、もう1人の役員と、社員が26人くらいいました。景気が良かったので社員もどんどん増やしてしまって…。

 

鈴木:でも仕事がなくなってしまったんですよね?社員にはどう話したんですか?

 

渡辺:正直に話しました。バブルが弾けて仕事がないことも、昇給ができないことも。納得できない人は辞めてもらうしかありませんでした。最後は、僕も社長も役員も何カ月も給料を取らないでやっています。とにかく社員にお金を払わないといけないので。貯金から吐き出したり、もうダメだというときは、お金を借りて、繋いで繋いでやってきました。ギリギリでしたね。

 

鈴木:正直、そういう時って社員数が重荷じゃありませんか?「できることなら辞めて欲しい。」って思いませんでしたか?

 

 

渡辺:思いました。正直減っちゃった方がいいなって。でも解雇はできません。なので、手が空いたときは、早めに帰ってもらうようにしました。「辞めてくれ」とは言えないので、営業しても売れないから難しいと、別の道を促すような話をしましたが、結局みんな残っていました。業界自体が不況だったので、どこにいっても一緒なのは本人たちがわかっていました。

その後、僕は独立するのですが、20人くらいは残っていて、僕はそこから7人だけ連れて独立に踏み切りました。2011年までくると、苦しかったけど、ある程度資金繰りも回ってきていたので。変な話ですが借金を分けて、僕も借金を背負って独立したんです。

 

鈴木:借金の総額は、いくらあったんですか?

 

渡辺:2億5000万円です。僕が辞めたら倒産するだろうと思ってましたから、なかなか辞めることはできませんでした。でも、このままでは借金は減らない。どこかのタイミングで独立して、借金を分けていかないと難しいと思っていました。共同経営って難しいんですよ。長く23年もやっていると、意見の衝突もいっぱいありました。

 

(第2回に続きます)

各種お問い合わせ