Interview

社長のせなか

株式会社B.L.S.

渡辺 堅社長インタビュー

【第3回】 2020.01.25

辛い家庭だったからこそ、明るさを武器に

 

鈴木:妹さんとのお付き合いが終わっても会社には残られたんですね。

 

渡辺:大学を卒業してうちの会社に勤めて、妹とは亡くなる前に上手くいかず別れてしまいました。そのとき、本人はどうしたらいいか迷っていましたが、彼は仕事ができる人間だったので、僕のほうから「妹とのことは関係ないから」と話すと、そのまま会社にいてくれました。彼も今年50歳なので、28年間一緒にやっています。今は専務として、経理関係を担当してくれています。独立したときに「お金のことはすべて任す。売り上げを上げることに集中させてくれ」そう言って僕は、売り上げを上げることに集中できました。

 

鈴木:その方がいてくれたから売り上げが上がったんですね。それ以外に、振り返って前の会社と違うところは、どんなところですか?

 

渡辺:シンプルなんですけど、僕は苦しいときでも楽観的なんです。楽観的で明るい。明るさと笑顔をどんなときも忘れませんでした。泣きたいくらい辛いときも、人前では笑顔を絶やしません。家の中にも一切苦しい話を持って行きませんでした。娘が2人いるので、とにかく楽しくしようと、会話を絶やさず今でも仲がいいです。苦しくても笑顔!これが僕の持ち味です。

 

鈴木:今もとても楽しそうに話されていますし、渡辺さんが作品を説明される時って本当、楽しそうに自慢するように話しますよね。

 

渡辺:それがすべてだと思います。当時、僕に付いてきてくれた人は、「この人に付いて行けば楽しい」と感じてくれたのではないかと思っています。以前の社長はずっとしかめっ面だったので。明るさと笑顔が決定的な差になっていたと思います。下の人がどっちに行きたいか考えると、暗い方と明るい方だったら、明るい方が良いに決まっている。楽観主義でいた方がいいと思います。何もやらない楽観ではなく、努力した上での楽観。

 

鈴木:渡辺さんって、極端な話、生まれたときから明るい性格だったんですか?

 

渡辺:実は、生まれたときから辛いことがあり過ぎました。なんでこんな家に生まれてしまったのか…。辛過ぎて、逆に楽しくないとダメだと思ったのかもしれません。親とか家庭を見ていて、こういう家庭じゃない方がいいと思いました。娘たちにはこんな思いを絶対にさせたくありません。家では嫁さんと喧嘩すらしたことがない。絶対にしません。

 

鈴木:半面教師のような家庭だったんですか?どんな幼少期だったんですか?

 

渡辺:物心ついたときから、うちの家族には、父の母と父の弟も一緒に住んでいました。そして、毎晩、兄弟喧嘩と親子喧嘩を見てきました。僕は陰でその叔父にいじめられていて、殴られたり蹴られたりしていて、毎日家に帰るのが嫌でした。面白かった思い出がまったくありません。

 

鈴木:どんなことで喧嘩をされていたんですか?

 

渡辺:両親はお金に追われていました。父の実家の土地と建物のことで裁判をしていました。その裁判をやっているから、お金がなかったんです。本当はもっと贅沢な生活ができたかもしれません。裁判の結果、家はうちのもの、土地は向こうのものになりました。数千万つぎ込んで結局これ、という状況。あんな状況を見てきたから、反面教師で絶対明るい家庭にしたいと思いました。

 

鈴木:意外にも、辛い幼少期だったんですね。

 

渡辺:親父は裁判の途中でパーキンソン病になりました。僕が21歳のときです。当時は世間が誰も知らないマイナーな病気でした。普通70代の人がなるような、老人がなる病気です。親父は43歳でなったので珍しく、医者から「神経がやられてしまったんじゃないか?」と言われました。

 

鈴木:お父様はどうなったんですか?

 

渡辺:僕が46歳のときに亡くなりました。25年間パーキンソン病と戦いました。でもさっきも話しましたが、父より先に妹が15年前に亡くなっています。

 

鈴木:妹さんはなぜ?

 

渡辺:医療ミスです。肝嚢胞という病気だったのですが、35歳だから「心配はまったくない」と医者に言われていたのに、手術が失敗しました。妹は僕の3つ下。人間的に僕よりできている。なんで妹なんだ…? 父になんて話そうか、人生においてあれ以上、辛いことはありません。泣きながら父に伝えると、父は「俺を殺してくれ、殺してくれ、」って。あんな悲しい思いはしたくない。ほんとうにできる妹でした。亡くなってから1年間、常にどこからか花が届きました。お葬式も2000人くらいの人が来てくれました。それだけ人脈を持っていたんです。普通の主婦でしたが、すごく色んな人との付き合いがあったようです。

 

 

鈴木:そんなに!?すごい妹さんだったんですね。

 

渡辺:人は死んで価値がわかるって言いますが、「そんなに来るんだ!?」という感じでした。僕自身が生きていく上で、妹が力になっています。亡くなる方って絶対明日まで生きたかった。明後日まで生きたかったはず。その分自分が何か残していきたいと思うようになりました。社会貢献は言い過ぎですが、無駄な人生は生きたくない!僕は自分の年をあまり気にしません。58歳と感じないでしょ?

 

鈴木:はい、一体いくつなのかわからなくなります。

 

渡辺:「どれだけ太く豊かに生きられるか」だと思っています。太く短くじゃもったいない。「太く長く豊かに」が良い。そうは言っても、妹が亡くなってから1年くらいは僕もヤバかったです。どんなに明るいと言っても、可愛がっていた妹が亡くなり、その当時は参っていました。父が病気になり、妹も亡くなり、母は10㎏くらい痩せてしまいました。さらに弟のことがあって、今母は80歳ですが、父と同じパーキンソン病になってしまいました。

 

鈴木:弟さんもいらっしゃるんですね。

 

渡辺:実は、今は生活保護を受けています。

 

(第4回に続きます)

各種お問い合わせ