Interview

社長のせなか

株式会社B.L.S.

渡辺 堅社長インタビュー

【第4回】 2020.01.26

トップチームを知っている強さで、

娘を日本一に導く

 

鈴木:弟さんに何が起きたんですか?

 

渡辺:道を外しちゃったんですよね。弟も僕なんかよりずっと頭が良くて、国税に勤めていました。公認会計士の資格を取りにアメリカに行きました。行ったはいいけど、そこでおかしくなってしまいました。突然、アメリカの大家さんから電話がかかってきて、「弟が薬で様子がおかしいから迎えに来て」と連絡が来ました。そして、実家に戻りましたが、社会復帰はできなくて、お金がないから生前贈与をして、それも無くなり今は生活保護です。なんでそんなことになってしまったのか、僕らもきっかけはわかりません。

 

鈴木:ものすごい濃い人生ですね。

 

渡辺:それもまた人生。運命だと思っています。母親も明るい性格ですごく尊敬していますが、もう健康体でまともと言えるのが僕くらいしかいません。家族は大切にしないといけないと強く感じます。

 

鈴木:家族といえば、ご自身の娘さんとは仲が良いんですか?

 

渡辺:はい。仲良いですよ。長女は大学4年生で就職が決まっています。次女は高校3年生で次は美容学校に通うことになっています。娘たちとは一晩話せるほど仲が良いです。娘の受験のときに付き添いでホテルに泊まったことがありました。どちらも喋るのが止まらず、受験日なのに気づけば明け方でした(笑)娘は中学、高校生のときも好きな人ができると僕に相談してきます。彼氏ができれば必ず僕に会わせるんですよ。一度娘の彼氏を紹介されたとき、一生懸命喋ったら「俺のお父さんの2年分くらい喋って帰っていった」と言われたそうです(笑)あるとき娘が泣いていたときも、「別れたんだな。」とピンときました。その後2時間慰めたりして。嫁さんには「友達と揉めてたみたい」と報告しました。

 

鈴木:普通は逆ですよね?ママに相談してパパには言わない。

 

渡辺:それが普通ですよね。うちは珍しいパターンだと思います。それだけ娘と話してきました。苦しいときもどんなときも。とにかく話を聞いてあげてきたからですね。上の娘は音楽の才能があります。吹奏楽で有名な小学校に通っていて、アルトサックスを吹き、巨人の星のような練習をしていました。「私が部長になったからには、絶対優勝する」と宣言し、小学生なのに5㎏痩せるくらい満身創痍でした。僕も先生に「日本一になりましょう」と言い、そのときは忙しかろうが何だろうが手伝いに行きました。

 

鈴木:妥協しない精神が表れていますね。

 

渡辺:盆正月まで練習。毎日朝練。夜帰ってきたら、僕はサックスなんて吹けもしないのに「もっとスイングしろ」と指示(笑)娘は泣きながら必死に吹いていました。優勝したときは、先生と泣きながら抱き合いました。

 

 

鈴木:どんな分野であれ、その分野のトップチームを知っている人は強いですよね。高い基準でものごとを考えることが沁みついている。

 

渡辺:そういわれてみると、実は、僕は元々ホテルマンになろうとしていて、日本一のホテルマンを育てる学校に通っていました。今でも時々ホテルに立っていると、ホテルマンと間違われて尋ねられることがあります。2年間軍隊のような厳しい学校で、殴る蹴るは当たり前。入学して3分の2は辞めていくような学校でした。入った当初は40~50名いたのに、最終的に12名です。

 

鈴木:トップを目指す教育がどういうものかを知ってたから、娘さんも一番取れたのでは?

 

渡辺:あの学校の2年間は濃かったです。一流の学校だったので勉強になりました。何から何までうるさかったので、靴磨きも職人さんより上手く磨けます。どうしたら光らせられるかわかるんです。先輩たちに靴磨きを特訓され

 

鈴木:どうして、ホテルマンにはならなかったんですか?

 

渡辺:きっかけは父です。父に「ホテルに行きたくないのであれば、宝石はどうだ?」と勧められました。当時、父は厨房食器の仕事をしていたので、冷蔵庫を運んだりしていて体が大変だったんです。「宝石はいいぞ。軽いから」と。それでピンときました。ファッションも好きで煌びやかなものが嫌いじゃなかった。色々調べたら面白そうでジュエリーにハマってしまい、会社勤めしながらデザイン科のある学校に通いました。極端な人間なので、寝食忘れて作品作りに没頭しました。夢中になり過ぎて、栄養失調で倒れたこともあります。

 

鈴木:栄養失調!?

 

渡辺:親方に何年で独立できるか聞くと「最低5年」と返ってきました。それなら3年で1人前になると決めました。僕は、元々左利きだったんですが、左利きには教えないと言われ、ご飯も何も全部、右に直したんです。それで3年で「よくやった」と言って貰えました。sれで、ご飯を忘れてやっていたので、栄養失調になりましたね。ただ、宝石は面白い。作るのも好きだし、宝石の勉強をもっとしたいとアメリカに行って、鑑定士の資格も取りました。次は売り方も知りたいと思って、東京の御徒町の宝石販売の会社に入社。24歳のときでした。

 

鈴木:言ってしまえば、宝石のオタクですもんね。

渡辺:ジュエリー大好きです。愛しています。僕もこんなノリだから、会社に入社して3年でトップセールスになりました。営業に行くと、作ることも知っているし、鑑定士の資格も持っているので、お客さんの相談にも乗れて、安心して買ってくれました。一度、広島の福山の方で売ろうとしたことがあったんですが、最初は奥さんに「買わないよ」って言われましたが、そのお宅にギターがあるのが見えたので貸してもらって「あなたは~もう忘れたかしら~♪」と神田川を歌ったら、「お兄さん上手だね。買ってあげる」と神田川を歌って売れたこともあります。ギターで売れたのは初めてでした(笑)

 

鈴木:ここでも明るさが武器だったんですね。以前、僕も部活をしていたとき、当時は、運動中は水を飲んじゃいけないって時代でした。そで、部員20人が夏の炎天下での練習で、バタバタ倒れちゃって。それで倒れなかったのは僕を含めた4人だけだったんですが、その4人と他の部員の違いは、とにかく明るかった。体力があるとか、精神力があるとか関係なく、声を出して「きついよー」と笑いながらやってるやつが残りました。明るさが自分を守ると感じました。

 

渡辺:絶対にそう思います。明るくしてなきゃやっていられませんでした。笑顔が一番!

 

鈴木:今日は辛い過去から何まで、深い話をしていただきありがとうございました。

 

(おわり)

各種お問い合わせ