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社長“田村憲司”の挑戦

大阪府代表

株式会社田村道場

代表取締役

田村 憲司(44)

生年月日1973年5月4日
出身地大阪府
出身校大阪府立和泉高等学校
会社設立2007年9月
社長就任2007年9月
資本金11,000,000円
従業員数社員:3名/アルバイト:28名
事業内容食肉販売業、〈炭火焼肉たむら〉〈炭火焼肉たむらのお肉が入ったカレー屋さん〉の運営
自社の強み自由度が高い。社員の自主性を尊重する。
尊敬する人孫正義
おすすめ本『海賊と呼ばれた男』
パワー飯寿司(頑張った後の自分へのご褒美)
底力の源「仲間の生活を守る。幸せにする」という想い。そして、そんな仲間との宴。

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COMBAT ABILITY

社長戦闘能力測定 (自己採点)

総合得点

0

  • 知力

    5
  • 体力

    10
  • 統率力

    8
  • 人望

    8
  • 10
  • 行動力

    10
  • プレゼンテーション力

    5
  • コミュニケーション力

    4
  • 継続力

    3
  • 精神力

    10
  • 忍耐力

    10
  • 見た目・容姿

    5
  • 実行力

    8
  • 仲間からの愛され力

    5
  • 仲間を愛する心

    10
  • 女子力

    8
  • スピード

    10
  • ユーモア

    2
  • サービス精神

    8
  • 包容力

    8
  • 駆け引き力

    3
  • 謙虚さ

    8
  • 愚直さ

    8
  • 気づかい力

    8
  • 直感力

    10
  • 器用さ

    2
  • まめさ

    9
  • 処世術

    3
  • 信念

    10
  • カリスマ性

    5
平均0.00/10.00

EPISODE

“塩の味”を知る 社長エピソード

  1. EPISODE

    1

    設立の経緯 これまでの道のり

    前妻のお母さんが長年経営していた焼肉屋を閉店することになりました。譲渡などの方法も模索していましたが、なかなかうまくまとまらず。店の跡地を更地にするにも、お金がかかる……。そんな状況で困り果てるお母さんを見て、「それだったら、良い条件が見つかるまで、体制が整うまでの数カ月だったら……」という気持ちで、僕がお店を引き継ぐことになりました。
    そこから、それまでのフランチャイズのような経営をやめ、店名を変え、タレを変え、肉の仕入れも変えました。そのときの従業員は、5人くらい。家賃もかかっていたので、当時のその仲間たちと「2週間後にはオープンしよう!」と決意したのを覚えています。お店の看板のロゴは、野性爆弾の川島にお願いしてつくってもらいました。
    その当時、幸か不幸か芸人としての仕事があまりない時期だったので、つきっきりでお店の開店準備をしていました。ただ、それまで芸人だけをしていた僕には全てが未経験のことばかり。その当時、僕にはビジネスの師匠がいたので、その方から経営のイロハを教わりましたが、その頃はお店の準備で頭がいっぱいで、「儲かるかも……」といった気持ちは全くなかったです。「お世話になったお母さんを助けるため」。これに尽きました。
    恥ずかしい気持ちも、たくさんありました。芸人として売れていないのに、副業といえる焼肉屋を始めるなんて……。その想いから、親しい芸人仲間にだけお店を始めることを伝え、事務所には雑誌やテレビなどの取材を入れないよう、伝えていました(ちなみに後日、先輩芸人メッセンジャーあいはらさんに舞台上でお店をやっていることを暴露され、世間に発覚)。

  2. EPISODE

    2

    自社の強み 社長のこだわり

    まずは、タブーを犯していくことですね。それまでの焼肉屋の壁の色といえば赤や黄色が普通でしたが、新しい空間をつくるために黒にしました。あとは個室にソファを設置し、店内にジャズを流しました。レトルトのパックも周りからの反対も聞かず、黒にしました。既成概念を壊す。みんなが反対することをやる。それを〈炭火焼肉たむら〉のウリにしたいと思っていました。これは社員にも求めることです。どんどん、新しいことをやってほしい。自分がいいと思うことをとことんやってほしいです。なぜなら、僕の本業は“芸人たむらけんじ”。「あくまでこっちは副業だから」といつも社員には伝えています。だから、本業のみんなには頑張ってほしいと思っています。
    これはウリでも何でもないのですが、徐々に私がお店を経営していることが世間にばれ始めると、取材や番組のロケが来るようになりました。それでも、後輩芸人などには絶対に「おいしい」ということだけは言わないでくれと頼んでいました。先輩芸人のお店を訪れ、「おいしい!」という。何かそれって、少し気持ち悪いなと……。
    それからはみんな、お店に来ては「まずい!、まずい!」と言い出すようになりました。しまいには、「ウーロン茶までまずい!」とか言われたりして(笑)。それから「ほんまにまずいのか?」と興味半分で客足が増えていきました。実際来てみると、うまい。肉の質にはこだわっていましたので。それがうまくいった部分もあるかなと思います。本当に戦略はなかったです。実は、これまで一度もテレビに自分からお店を宣伝させてくれと言ったことはありません。

  3. EPISODE

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    私の考え 経営において大切なこと

    ・業界のタブーを犯す。
    ・スピード感。
    ・まずは行動する。

    この3つに尽きると思います。

  4. EPISODE

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    私の強み 得意技

    得意技といえるようなものは特にないですね。ただ、よく考えているのは「社員は子ども。アルバイトは孫」。その想いですね。これまでアルバイトをしかったことはないです。やっぱり“孫”は怒れませんからね。その分、社員はしかります。特に、楽している奴には怒ります。だから、アルバイトを怒るのは、その“親”にあたる社員に任せます。一つの家族のように僕は考えています。
    オープン当初は、僕がトイレ掃除をしていました。うれしいことは、今店舗を見に行ってもトイレがその当時と変わらず、いつもきれいに掃除されていることですね。背中で見せるなんて格好良いことではないかもしれませんが、想いが受け継がれているような気がして、うれしい気持ちになります。
    場所柄、新大阪駅の〈炭火焼肉たむらのお肉が入ったカレー屋さん〉は芸人仲間もよく行ってくれているみたいで、そこでの接客が良かったとほめられるのが何よりもうれしいです。社員・アルバイト含め、みんな本当の家族のように僕は思っています。

  5. EPISODE

    5

    社長ならではの話 汗と涙のエピソード

    オープン当初は、僕自身が銀行に入金へ行っていました。本当にゲーム感覚でした。どんどん、お金が増えていく。『桃太郎電鉄』みたいな感じでした。一方でお金への執着がなく、お金の運用もできていませんでした。
    そして数年が経ち、東日本大震災、セシウム牛、ユッケ問題……など、食肉業界が厳しい時期を迎えていた頃、その打撃を〈炭火焼肉たむら〉ももろに受け、本当に難しい時期を迎えました。その頃は社員にある程度経営を任せて、「まあまあ、大丈夫やろ」とあまり深刻に受け止めていませんでしたが、いざふたを開けて計算し直してみると、毎月赤字。任せていた自分が悪いと思いました。ビジネスの師匠に呼ばれて、「これはもう“脳死”。生命維持装置でぎりぎり生きているような状態だよ」と言われ、はっとしたのを覚えています。
    急いで銀行にお金を借りましたが、それはあくまで赤字を埋めるため。本当は借金をするなら、新しい利益と未来をつくらなければならない。これでは何も生まれない。銀行からお金を借りれなくなったら、それこそ本当の終わりです。本当にやばいと思いました……。車も売ったりして。それでも、厳しかった……。
    そんなとき、その当時働いていた高校の同級生がいました。当時一番の高給取りだった彼が自ら「辞める」と言ってきたんです。「こいつ逃げるのか……」、そのときはそう思いました。でも、そうではなかった。こいつはきっと、会社のためを思って決断したんだと。「一番の高給取りである自分が辞めることで、少しでも会社を助けられるのじゃないか」。きっと、そう思ったんだと思います。彼が抜けて、正直、会社としては助かりました。本人の意志もありましたが、そのとき初めて自分で社員をクビにしました。本当にしんどかった……。だからこそ、「俺が倒れたら、こうなる人がたくさん出る。あかん、倒れられへん。自分が強くいる」、そう思いました。本人に言ったことはないですが、今はあのときの彼の決断に悪いことをしたと思いつつ、感謝しています。

  6. EPISODE

    6

    前に進める理由 なぜ経営し続けるのか

    最初は、前妻のお母さんを助けるため。でも、今は自分だけじゃない。僕の周りに集まってきてくれた人、みんなを幸せにしたいと思っています。一生面倒を見る。とことん突き進む。どんどん、新しい分野にも。みんなの幸せのために。社員が苦労しないで暮らしていけるようにしてあげたいという想いが、僕が会社を続ける理由です。

  7. EPISODE

    7

    今後の展望 これからのこと

    飲食業界以外でも、何かやってみたいとは思っています。今考えているのは、淡路島に何かできないかなと。ヴィラ(邸宅、屋敷、別荘)やテーマパークとまではいきませんが、子どもの遊び場をつくれたらなと。自分の大好きな淡路島に何か還元できるような施設をつくりたいと思っています。

MESSAGE

大切な人に伝えたいメッセージ

  • 家族へ

    最近、長男と一緒に車に乗っているとき、ふと「お前はどんなことを将来したい? 俺の会社を継ぐみたいなこともできるんだぞ?」、そんなことを言ってみたらどんな反応をするかなと思って聞いてみたところ、意外な反応で「そーゆう選択肢もあるのか……」と、真剣に受け止めていました。とてもうれしかったです。さらに「これから大学に行って経済を学び、会社を継ぐのはどうや?」と聞いてみると、とても興味を示していました。
    今の社員たちをしっかり守り、そしてゆくゆくはそんな長男がこの会社を継ぎたいと思ってもらえるような会社をつくりたいと思っています。継いでくれたら、本当にうれしい。「長男が大学を卒業し、社会人になるまで」。今の会社を大きくできるか、磐石な体制を築いているか、今はまだわからないけど、まずはそこまで踏ん張っていきたいです。
  • 仲間へ

    僕がこうやって自由に芸人を続けられるのは、日々頑張ってくれている社員のおかげです。突拍子のないことを言ったり(急に「カフェをやる」とか)、ガンバ大阪の新スタジアムに勝手に店を出すことを決めてきたり……。それでもついてきてくれて、ありがとう。僕についてきてくれたからにはみんなを幸せにできるよう、僕も頑張ります。
    奈良のカフェ(田村さんの別会社にて運営)をオープンしたとき、僕のTwitterで採用を募集しました。結構な応募が来て、その中に運命の出会いがありました。当時22~23歳だった若手シェフ。フランス料理の見習いをしていた子でした。その子に可能性を感じ、いきなりメインシェフに抜てきしました。「立場が人を変える」。そんな言葉がありますが、まさにそうで、さまざまな修行を積み、今では一人前の立派なシェフとして活躍してくれています。他の店にいたら、きっとまだ見習いをやっていただろうな。
    あとは、照明の世界を目指していた子。ただ、なかなか狭き門の難しい世界なので、それをあきらめて、もう一つの大好きな飲食業界へ……という気持ちで、うちに来てくれました。優秀で、店長候補でした。ただ、大学時代の先生に声をかけられ、照明の世界へ戻る決意をしていました。それはやっぱり止められない。会社としては優秀な人材を失うのは痛いですが、それ以上に、夢を追ってほしい。僕自身も好き勝手やってきたから。そういうときは、背中を押してあげたいなと。
    芸人だけやっていたら本当に味わえない経験ばかりです。そんな経験をさせてくれる仲間には、日々感謝です。
  • 未来の仲間へ

    怠けなければ何でもできる会社だと思います。新しい分野へも、ぜひチャレンジしてほしい。ちゃんとしたビジョンがあれば、好きなことをやってくれてかまいません。「田村の下でこれをやりたい!」。そういう人の背中は押します。
    やりたいことが明確にある人は、強いと思います。それをやらせてあげられる環境が、僕の理想です。全責任は僕が取ります。想いを持ってる人には、ぜひ来てほしいと思います。

COMPANY

会社情報

社名株式会社田村道場
本社〒536-0005
社員:3名/アルバイト:28名
設立2007年9月
資本金11,000,000円
事業内容食肉販売業、〈炭火焼肉たむら〉〈炭火焼肉たむらのお肉が入ったカレー屋さん〉の運営
社員数社員:3名/アルバイト:28名
採用募集新卒採用 中途採用
HPhttp://www.yakiniku-tamura.com/

担当者コメント 取材を終えて

皆さまご存知、たむけん社長!! 取材をさせていただくと、テレビで見せる芸人“たむらけんじ”とは違う、何よりもまず仲間のことを思う、誠実で熱い経営者としての顔がありました。テレビではバラエティー感たっぷりに紹介されることの多い〈炭火焼肉たむら〉は、どのようにして生まれたのか? そして、どんな失敗や挫折を経て今の田村道場があるのか? 1時間以上にもわたるロングインタビューで見えた“田村憲司”社長の素顔を、ぜひ感じ取ってください。