EPISODE“塩の味”
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Shacho List
株式会社田村道場
代表取締役
田村 憲司社長
EPISODE“塩の味”
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田村 憲司社長のエピソード
設立の経緯
これまでの道のりを教えてください。
前妻のお母さんが長年経営していた焼肉屋を閉店することになりました。譲渡などの方法も模索していましたが、なかなかうまくまとまらず。店の跡地を更地にするにも、お金がかかる……。そんな状況で困り果てるお母さんを見て、「それだったら、良い条件が見つかるまで、体制が整うまでの数カ月だったら……」という気持ちで、僕がお店を引き継ぐことになりました。
そこから、それまでのフランチャイズのような経営をやめ、店名を変え、タレを変え、肉の仕入れも変えました。そのときの従業員は、5人くらい。家賃もかかっていたので、当時のその仲間たちと「2週間後にはオープンしよう!」と決意したのを覚えています。お店の看板のロゴは、野性爆弾の川島にお願いしてつくってもらいました。
その当時、幸か不幸か芸人としての仕事があまりない時期だったので、つきっきりでお店の開店準備をしていました。ただ、それまで芸人だけをしていた僕には全てが未経験のことばかり。その当時、僕にはビジネスの師匠がいたので、その方から経営のイロハを教わりましたが、その頃はお店の準備で頭がいっぱいで、「儲かるかも……」といった気持ちは全くなかったです。「お世話になったお母さんを助けるため」。これに尽きました。
恥ずかしい気持ちも、たくさんありました。芸人として売れていないのに、副業といえる焼肉屋を始めるなんて……。その想いから、親しい芸人仲間にだけお店を始めることを伝え、事務所には雑誌やテレビなどの取材を入れないよう、伝えていました(ちなみに後日、先輩芸人メッセンジャーあいはらさんに舞台上でお店をやっていることを暴露され、世間に発覚)。
自社の強み
社長のこだわりを教えてください。
まずは、タブーを犯していくことですね。それまでの焼肉屋の壁の色といえば赤や黄色が普通でしたが、新しい空間をつくるために黒にしました。あとは個室にソファを設置し、店内にジャズを流しました。レトルトのパックも周りからの反対も聞かず、黒にしました。既成概念を壊す。みんなが反対することをやる。それを〈炭火焼肉たむら〉のウリにしたいと思っていました。これは社員にも求めることです。どんどん、新しいことをやってほしい。自分がいいと思うことをとことんやってほしいです。なぜなら、僕の本業は“芸人たむらけんじ”。「あくまでこっちは副業だから」といつも社員には伝えています。だから、本業のみんなには頑張ってほしいと思っています。
これはウリでも何でもないのですが、徐々に私がお店を経営していることが世間にばれ始めると、取材や番組のロケが来るようになりました。それでも、後輩芸人などには絶対に「おいしい」ということだけは言わないでくれと頼んでいました。先輩芸人のお店を訪れ、「おいしい!」という。何かそれって、少し気持ち悪いなと……。
それからはみんな、お店に来ては「まずい!、まずい!」と言い出すようになりました。しまいには、「ウーロン茶までまずい!」とか言われたりして(笑)。それから「ほんまにまずいのか?」と興味半分で客足が増えていきました。実際来てみると、うまい。肉の質にはこだわっていましたので。それがうまくいった部分もあるかなと思います。本当に戦略はなかったです。実は、これまで一度もテレビに自分からお店を宣伝させてくれと言ったことはありません。
私の考え
経営において大切なことは何ですか?
・業界のタブーを犯す。
・スピード感。
・まずは行動する。
この3つに尽きると思います。
私の強み
得意技は何ですか?
得意技といえるようなものは特にないですね。ただ、よく考えているのは「社員は子ども。アルバイトは孫」。その想いですね。これまでアルバイトをしかったことはないです。やっぱり“孫”は怒れませんからね。その分、社員はしかります。特に、楽している奴には怒ります。だから、アルバイトを怒るのは、その“親”にあたる社員に任せます。一つの家族のように僕は考えています。
オープン当初は、僕がトイレ掃除をしていました。うれしいことは、今店舗を見に行ってもトイレがその当時と変わらず、いつもきれいに掃除されていることですね。背中で見せるなんて格好良いことではないかもしれませんが、想いが受け継がれているような気がして、うれしい気持ちになります。
場所柄、新大阪駅の〈炭火焼肉たむらのお肉が入ったカレー屋さん〉は芸人仲間もよく行ってくれているみたいで、そこでの接客が良かったとほめられるのが何よりもうれしいです。社員・アルバイト含め、みんな本当の家族のように僕は思っています。
社長ならではの話
汗と涙のエピソードはございますか?
オープン当初は、僕自身が銀行に入金へ行っていました。本当にゲーム感覚でした。どんどん、お金が増えていく。『桃太郎電鉄』みたいな感じでした。一方でお金への執着がなく、お金の運用もできていませんでした。
そして数年が経ち、東日本大震災、セシウム牛、ユッケ問題……など、食肉業界が厳しい時期を迎えていた頃、その打撃を〈炭火焼肉たむら〉ももろに受け、本当に難しい時期を迎えました。その頃は社員にある程度経営を任せて、「まあまあ、大丈夫やろ」とあまり深刻に受け止めていませんでしたが、いざふたを開けて計算し直してみると、毎月赤字。任せていた自分が悪いと思いました。ビジネスの師匠に呼ばれて、「これはもう“脳死”。生命維持装置でぎりぎり生きているような状態だよ」と言われ、はっとしたのを覚えています。
急いで銀行にお金を借りましたが、それはあくまで赤字を埋めるため。本当は借金をするなら、新しい利益と未来をつくらなければならない。これでは何も生まれない。銀行からお金を借りれなくなったら、それこそ本当の終わりです。本当にやばいと思いました……。車も売ったりして。それでも、厳しかった……。
そんなとき、その当時働いていた高校の同級生がいました。当時一番の高給取りだった彼が自ら「辞める」と言ってきたんです。「こいつ逃げるのか……」、そのときはそう思いました。でも、そうではなかった。こいつはきっと、会社のためを思って決断したんだと。「一番の高給取りである自分が辞めることで、少しでも会社を助けられるのじゃないか」。きっと、そう思ったんだと思います。彼が抜けて、正直、会社としては助かりました。本人の意志もありましたが、そのとき初めて自分で社員をクビにしました。本当にしんどかった……。だからこそ、「俺が倒れたら、こうなる人がたくさん出る。あかん、倒れられへん。自分が強くいる」、そう思いました。本人に言ったことはないですが、今はあのときの彼の決断に悪いことをしたと思いつつ、感謝しています。
前に進める理由
なぜ経営し続けるのでしょうか? 最初は、前妻のお母さんを助けるため。でも、今は自分だけじゃない。僕の周りに集まってきてくれた人、みんなを幸せにしたいと思っています。一生面倒を見る。とことん突き進む。どんどん、新しい分野にも。みんなの幸せのために。社員が苦労しないで暮らしていけるようにしてあげたいという想いが、僕が会社を続ける理由です。
今後の展望
最後にこれからのことをお聞かせください。 飲食業界以外でも、何かやってみたいとは思っています。今考えているのは、淡路島に何かできないかなと。ヴィラ(邸宅、屋敷、別荘)やテーマパークとまではいきませんが、子どもの遊び場をつくれたらなと。自分の大好きな淡路島に何か還元できるような施設をつくりたいと思っています。
総合得点
0
知力
体力
統率力
人望
運
行動力
プレゼンテーション力
コミュニケーション力
継続力
精神力
忍耐力
見た目・容姿
実行力
仲間からの愛され力
仲間を愛する心
女子力
スピード
ユーモア
サービス精神
包容力
駆け引き力
謙虚さ
愚直さ
気づかい力
直感力
器用さ
まめさ
処世術
信念
カリスマ性
田村 憲司社長のプロフィール
生年月日 | 1973年5月4日 | 出身地 | 大阪府 |
---|---|---|---|
出身校 | 大阪府立和泉高等学校 | 尊敬する人 | 孫正義 |
おすすめ本 | 『海賊と呼ばれた男』 | パワー飯 | 寿司(頑張った後の自分へのご褒美) |
底力の源 | 「仲間の生活を守る。幸せにする」という想い。そして、そんな仲間との宴。 |
会社情報
社名 | 株式会社田村道場 |
---|---|
本社 | 〒536-0005 社員:3名/アルバイト:28名 |
設立 | 2007年9月 |
社長就任 | 2007年9月 |
業種 | 飲食店 |
事業内容 | 食肉販売業、〈炭火焼肉たむら〉〈炭火焼肉たむらのお肉が入ったカレー屋さん〉の運営 |
社員数 | 社員:3名/アルバイト:28名 |
採用募集 | 新卒採用 中途採用 |
ホームページ | http://www.yakiniku-tamura.com/ |
自社の強み | 自由度が高い。社員の自主性を尊重する。 |
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