Shacho List

社長詳細

株式会社三企

代表取締役

丸山 和博社長

“当たり前”に感謝する

30歳のとき、ある事故により、半月間の意識不明の重体を負った丸山社長。奇跡的に一命を取りとめた経験を通し、仕事、仲間、家族、社員……など、身の回りに当たり前に存在しているものは、決して当たり前じゃないんだということに気付いたそうです。周囲の方々や、今日という日が当たり前にやってくることに感謝しているからこそ、心の底から幸せを感じることができるのではないでしょうか。丸山社長は当たり前のことに心から感謝し、今日も周囲の人々を幸せにするために笑顔を届けています!

  • EPISODE
  • ABILITY
  • MESSAGE

EPISODE“塩の味”
を知る

丸山 和博社長のエピソード

設立の経緯

これまでの道のりを教えてください。 今の会社に入社する前の私は、建築工事の現場監督を担うサラリーマンをしており、「経営者になる」という志もありませんでした。ところが、26歳のとき、創業者である父ががんで入院し、それをきっかけに今の会社に入社。二代目社長の候補者として、なんとも心細いスタートを切りました。もともと人のフォローをすることが大好きでしたし、人を引っ張っていくようなリーダータイプではなかったので、取り急ぎ会社の足元(体制)強化を図るところから始めました。その基盤を築き、徐々に「過去の大切なものを変えないために、企業体質を変化していく」と意識して行動を起こしていきました。行動こそが進化を生むということを今も学んでいます。

自社の強み

社長のこだわりを教えてください。 私たちがビジネスの主軸としている空調・換気・衛生・電気などを対象とした設備工事は、かつて『3K(キツイ・汚い・危険)』といわれた仕事です。職人といえば、無口で無愛想な人物像が長らく定番であり、「職人は現場で仕事をすれば良い」といった考え方が主流でした。それは、当時の当社の職人もまた然り。この業界の状況への危機感と、企業として長く続く会社だからこそ企業体質が変化しくく、このまま衰退していくことを危惧したため、当社では新たな『3K』のイメージをつくっていくことを目指しました。従来の“キツイ・汚い・危険”の『3K』のイメージではなく、当社の職人は本来の職能である『①寡黙に工事』、現場での発見をお客さまに『②果敢に提案』、お客さまの課題を『③華麗に解決する』という新しい『3K』のかたちを提唱しました。職人の守備範囲を“現場”から“顧客”へと昇華したことで、私が入社した平成12年当時では約1億円であった会社の売り上げが、社長就任時の平成26年には3億6千万円に到達。現在では、5億5千万円までにアップし、急激な成長を遂げました。また、社員の資格取得数が増えたことで、従来の完全な下請け企業のイメージからは脱却し、元請けに近いような存在になることができました。従業員同士のコミュニケ―ションが円滑に行われる活発な社内の空気づくりも売り上げアップに結びついていると思います。お客さまからのご相談の多様性は目に見えて増え、近年では空調工事に付随する電気・水道・内装などの工事も一貫してお任せいただけるようになりました。

私の考え

経営において大切なことは何ですか? ① 「これだけは絶対にやる!」という熱量を最大限に高めてキープする情熱。
②強烈に正しいと思うことを、可能な限り謙虚に伝えること。
③直観力。最初に思い立ったことを、即効で行動に起こすスピード感。
④身近な方々や過ごしている日々を大切に、感謝の気持ちにブレーキをかけないこと。

私の強み

得意技は何ですか? 発想力とそれに対しての行動力。きびだんごは持っていませんが(笑)、仲間を集めて一つの目標の実現に向かって突き進むこと。                 

社長ならではの話

汗と涙のエピソードはございますか? 14年前(当時30歳)のある日、それは結婚式の一週間前でした。 私はある事故により、半月間の意識不明の重体。そのとき行った治療は低体温治療といって、身体の腐敗をできるだけ遠ざけるために生存ギリギリまで体温に下げる保存延命治療が施術されました。当然、結婚式は中止。医者は、「たとえ意識を取り戻したとしても、かなりの確率で重度の後遺症を背負う」と私の家族と婚約者に伝えました。脳への無酸素状態が続いた事が原因で、記憶喪失・言語障害・植物人間・左半身不随……そのどれもが80%以上の確率で起こる可能性がありました。
まさに、悪夢の夜。 弟は、私の彼女(婚約者)の実家玄関で、相手の両親に土下座で謝罪。私の両親も彼女(婚約者)に、「息子のことは家族で見守ります。あなたはこれからの自分の人生(幸せ)を大切にしなさい」と伝えてくれました。
――半月後、私は目が覚めると、そこは救命室でした。私は激動の裏舞台のことも知らず、ひょっこりと生き返りました。しかし、視覚もなく、身体もほとんど動かすことができず、絵本の1ページさえ重くてめくれなくない体になっていました。ただ、結婚式の直前であったことだけは、なんとか思い出せる状態でした。頭がハッキリしていることが逆に辛かった。入院している大学病院の大きな救命室の囲いの中でたびたに聞こえてくる「ピッ、 ピッ、 ピーーーーーー」という命の音。ポンコツになった自分の体、これから先のことを考えるのがつらくなり、いっそのこと「自分もこのまま終わってしまえば楽になる」と感じ始めました。
しかし、婚約者だった彼女は私の家族と共に、「私のことを待つ」という究極の選択を決断してくれていました。私の知らない所で図太い家族の絆ができていました。私は目覚めた後、約1ヵ月間のリハビリ生活を終え、幸いにも事故の前後の記憶が無いだけで、後遺症もなく退院しました。今でも奇跡だと思います。この奇跡的な回復に疑問を抱いた医者は私に言いました。 「意識不明時は、直前までの健康と基礎体力が生命線となる。 幼い時から健康管理をしてくれた両親に感謝しなさい。それしかキミの奇跡的復帰を説明できない」
この経験をきっかけに、“死生観”が定着し、生きている使命感や生きている感度が確実に敏感になりました。以後、起こるさまざまな事柄に“意味がある”と思えるようになりました。そして、この人生最大の出来事は、生まれ変わった自分の原点となりました。今、普通に仕事ができて、仲間がいて、家族(社員も含む)がいる――当たり前のことは、決して当たり前ではないんです。全部“感謝”の出来事なんだなと。今ある自分は生かされていると感じたときに、今日を大切に、身近な人を大切に思って生きることができます。当時、私を守ってくれて、復帰を信じて待ってくれた方々に感謝しながら、生きているという素晴らしさと使命感を強く感じながら、私は今日も生きています。

前に進める理由

なぜ経営し続けるのでしょうか? 私は創業者ではなく、ただの順番社長の二代目です。最初は父の経営する会社を継承するとは思っておらず、4年間ほどサラリーマン生活を楽しみました。その後、実家の会社に入社し、2代目社長候補としての風当たりも受けました。もともと経営の志などなかったので、心がすさむ時期もありました。二代目の人にありがちかもしれませんが、そもそも“自分で決めた道”という意識が薄かったので、覚悟が定まるのに一定の時間がかかってしましました。あるとき、「この道は自分で決めた道なんだ!」 と思うようになり、その瞬間から経営者としてやっていく自覚と覚悟が定まりました。また、家業を通して、立ち止まったときは建設的に物事を考える習慣がわが家にはあり、そういった環境で育ちましたし、自由に個性を大切に育てくれたので、クリエイティブに物事を考えることが得意で「自分だったらこうする!」という独自性もありました。もともと会社を経営している父、それを支える母を見て育ったので、経営上起こり得るさまざまな事象をマネージメント的に捉えるスキルが自然と身についていました。今はこうして、50年企業の代表として会社に関われていることに誇りを感じています。私の夢は、会社を大きくすることではなく、『会社を絶対に潰さないこと』です。チャレンジしたい! 何かを成し遂げたい、こんな世界に行ってみたい、関わるみんなを幸せに導きたい……その全てが、会社経営がうまくいかなければかなえられないことばかりです。だからこそ、どんなときでも笑顔で楽しく経営を続けていくのみです。

今後の展望

最後にこれからのことをお聞かせください。 建設業は、案件の終わりと同時に関係性も途切れてしまうビジネスモデルだなと、いつも感じていました。人の縁が『つながり・深まり・継続してゆく』……これこそが尊いことだと想い、2017年に新規事業の【musubi(結び)】を設立。江戸時代から続く“粗品という習慣”をフックとして、「新しい文化をつくる!」ことを目指した事業です。その事業のコンセプトに“粗品革命”と名付け、事業の熱量高めて続けてきました。
「つまらないものですが……」 こう言い添えて渡される粗品は、日本人特有の奥ゆかしさが詰まった素晴らしい習慣だと思います。しかし、時代と共にタオルや石鹸など定番品が増え、現在は本来粗品が持っていた感謝の気持ちとは離れた、ただの習慣で渡しあう無機質で素っ気ない“素品”ばかりが溢れています。今や自分の好みのものを買える時代であり、年末年始の恒例になっているお年賀タオルやカレンダーを例にとると、カレンダーは年明けすぐに可燃ごみ、タオルはすぐ雑巾となっている現状があります。そこで、粗品の本来の意味である「使いながら、(粗品を)くれた相手を思い出せる」「お客さまへ感謝を伝え、次の営業機会につながるご縁を結ぶ」といったことを今一度大切にしていきたいという気持ちから、熨斗タオルをおしぼりへと転換させたノベルティ商品、『musubi』を開発しました。 
この『musubi』の事業は、現市場にはない事業モデルで完全なブルーオーシャン。今後、躍進する可能性を秘めています。粗品という昔からの習慣を徹底的に現代流にすることで、さらに縁がつながり・深まり・継続する尊さと思いを、世界中に発信していきたいと本気で思って行動に起しています。粗品に革命を起こし、これからも日本の誇れる習慣や情緒あふれる美しい和のこころを世界へと広げていきます!

総合得点

0

  • 知力

    4
  • 体力

    8
  • 統率力

    6
  • 人望

    6
  • 10
  • 行動力

    10
  • プレゼンテーション力

    8
  • コミュニケーション力

    10
  • 継続力

    5
  • 精神力

    8
  • 忍耐力

    8
  • 見た目・容姿

    5
  • 実行力

    8
  • 仲間からの愛され力

    5
  • 仲間を愛する心

    10
  • 女子力

    10
  • スピード

    8
  • ユーモア

    2
  • サービス精神

    8
  • 包容力

    8
  • 駆け引き力

    2
  • 謙虚さ

    8
  • 愚直さ

    8
  • 気づかい力

    8
  • 直感力

    10
  • 器用さ

    2
  • まめさ

    5
  • 処世術

    2
  • 信念

    10
  • カリスマ性

    3
平均0.00/10.00

MESSAGE

大切な人に伝えたい

家族へ

私という人間を理解してくれて、いつも支えてくれていることに感謝しています。4人の子宝に恵まれたことにも感謝です。小6の娘からの手紙に「今の私の夢は、かっこいい女の社長になることです!」と書かれたときは、本当にうれしかった。少なくとも子どもから見て、「パパの会社は良い会社だね!」と思ってもらえるような会社に必ずします。

仲間へ

口癖のようにいつも『社員は家族』と表現しています。これだけ長い時間を共にする関係性を“家族”と言わずなんと表現してよいのかわかりません。良いところも悪いところも全部理解したうえで、支えてくれていることに感謝しています。会社が50年続いているのは、会社の『人間力の高さ』に他ならないので、仲間(社員)は会社の宝そのものです。私のながー-ーい話に付き合ってくれて(笑)、いつもありがとう。

未来の仲間へ

当社は個性を伸ばせるシステムと、リーダーとしての感性を学べる会社です。当社の掲げるリーダーシップとは「1人では実現できない何かを実現したいと思い、他者に働きかけ、協力を仰ぎ、その実現を目指す力」です。例えば、数人を誘って飲みに行くとしても、リーダーシップ論を運用すると、飲み会が絶対に楽しくなります。小さな仕事の一つ一つもそうです。決める勇気も、他者への感謝も、気遣いも、リーダーは常に忘れてはなりません。それが実行できていれば、自分の存在を大切にしてくれる仲間がおのずとできるはずです。その仲間を楽しませるのがリーダーの役目であり、だからこそリーダーは楽しいのです。人は自分の持っている能力が周りから注目された際、成長意欲を促進することができます。周囲に信頼されるリーダーを50年間輩出させてきた実績があり、リーダーとして活躍したい意欲ある社員を成長させる環境がここにはあります。

Interview

丸山 和博社長のインタビュー

  • 社長チップスRADIO

〈ラジオ日本〉18.4.19放送  丸山 和博社長(株式会社三企)

第33人目の汗と涙のCEOは、、、丸山 和博社長(株式会社三企)! お父様のあとを継いで「三企冷暖房サービス株式会……

丸山 和博社長のプロフィール

生年月日 1973年1月8日 出身地 東京都
出身校 東京工業専門学校 尊敬する人 吉田松陰
おすすめ本 『生き方――人間として一番大切なこと』 パワー飯 焼き肉
底力の源 家族(子ども4人)の笑顔

会社情報

社名 株式会社三企
本社 〒116-0001
東京都荒川区町屋7-21-5
設立 1968年2月
社長就任 2014年1月
事業内容 建築設備業、小売業(粗品革命)
社員数 15名
採用募集 新卒採用 中途採用
ホームページ http://sanki-air.co.jp/
自社の強み 個々の能力が高く、各スタッフが主人公でオールスターが集う組織(全員社長)

都道府県で絞り込み

各種お問い合わせ