Interview
株式会社エンライズコーポレーション
吾郷 克洋社長インタビュー
鈴木:お父さんと共同経営者、どちらにも複雑な感情を抱えていたのに、結局ふたりとも助けるわけですよね。どうして突き放さなかったんですか?
吾郷:縁があったからです。若い頃は彼らの悪いところばかり見ていましたが、当然いいところもある。大人になって、考え方も観点も変わりました。
父に関していえば、東京で働くようになって、だんだんと当時の気持ちが理解できるようになりました。父も苦しかったんだな、と。
鈴木:家族の人間模様があったわけですね。吾郷さんは、成長して強さを身につけることで、やさしくなれたんでしょう。
再び合流して、業績は伸びましたか?
吾郷:はい。地道に下請け仕事をこなしつつ、エンジニアを増やしていきました。そうやって共同経営者が会社を譲ってくれるのを待っていたんですが、数年後に再び波乱が。私が34歳になったころ、彼が「他の会社に売りたい」と言い出したんです。
鈴木:またもや、話が違いますね。
吾郷:それからは2年間くらい、もめ続けました。共同経営者に「この課題をクリアしたら会社を譲る」と何度もハードルを課されて、達成してはホゴにされる。何度も約束を破られているうちに、利用されていることに気づきました。会社の売値をつりあげるために、私たちを必死に働かせていたんです。
そうこうするうち、私についてきてくれた主要メンバーも希望を失って辞め始めた。もうガマンできないと共同経営者に詰め寄ったら、翌日にはクビですよ。気に入らないなら、お前が出てけと。
鈴木:え? 共同経営のはずなのに、たった1日でクビですか?
吾郷:はい。しばらく放心状態でした。当時36歳。約10年間、ふたりだけのスタートから、社員も200名くらいに増えていました。一時は社外に出たものの、ここまで会社を大きくしてきた自負もありました。それが一瞬でゼロになるんだって…。
すでに私は結婚して子どももいたし、母への仕送りも続けていました。どう家族を養っていこうか、途方に暮れましたね。広島へ戻るしかないかな…なんて。
鈴木:いま普通に話してますけど、かなり重い話ですよね。金銭的な補償はなかったんですか?
吾郷:なんにもありません。退職金はおろか、最終月の給与すら、もらえませんでした。共同経営者は会社の価値を下げたくないので、私が独立して競合とならないように競業避止義務をふりかざし、いろいろな手を打ってきました。結局、弁護士を立てて1年間やりあいましたが、すべての権利を放棄しました。お金はいらないから、せめて私のビジネスだけは邪魔しないでくれって。
鈴木:彼は吾郷さんを追い出した後、その会社を高値で売ったんですか。
吾郷:その通りです。どんどん怒りがわいてきて、「許さない、見とけよ」という気持ちになりました。絶対にビジネスで見返してやるって。
そこで東京で再び会社をつくり、ゼロからやり直すことを決意しました。父に相談して、新社名には「エンライズ」の冠をつけることに。それが、いまのエンライズコーポレーションです。
鈴木:「エンライズ」はお父さんが最初につけた社名ですよね。その会社が一度ダメになって、それを吾郷さんが救って、新会社をエンライズソリューションと名づけた。その後に吾郷さん自身が抜けて、お父さんに残した会社です。
さらに、その会社もお父さんは捨てて、別の会社を設立したわけですよね。なぜ、吾郷さんがゼロからやり直すとき、まったく新しい社名にしなかったんですか?
吾郷:父が失敗した会社の名前に、新たな意味をこめたかったからです。当初の「エンライズ」は、お金の“円”を増やすようなイメージ。私が大切にしている人の“縁”や、応“援”という想いは含まれていませんでした。そこで“エン”という文字に3つの意味(円・縁・援)をこめて、エンライズコーポレーションを設立したんです。そこから数年間は、共同経営者に裏切られた怒りが成長の原動力になりました。
鈴木:怒りが立ち直る力を与えてくれたわけですね。
吾郷:あとは“縁”に恵まれました。ある日、昔の仲間が訪ねてきて、「ぜひまた一緒にやらせてください」と。売却後の新体制に不安を抱き、私の消息を探してくれてたんです。
それからの数年間で、前職の仲間が20名以上も来てくれました。感謝、感謝ですよ。優秀な人材が集まって、やりたいことができるようになりました。
鈴木:新会社では、なにをやりたかったんですか?
吾郷:エンジニアの育成です。前職では、共同経営者の方針で即戦力しか求めていませんでしたから。
私はIT業界を20年見てきましたが、最大の課題はエンジニア不足。だから、業界をめざす若者を増やして、価値あるエンジニアに育てたい。それには、成長できる環境を用意する必要があります。それもIT技術が一極集中する、ここ東京に。
そこで2013年に「エンライズ・アカデミー」を立ち上げました。これはITエンジニアの養成機関。
鈴木:未経験者も安心ですね。
吾郷:ほかにも、地方の若者を東京のアカデミーへ呼び寄せることに力を入れています。そのための拠点として、全国5都市とシリコンバレーにサテライトオフィスを置きました。
鈴木:これからのビジョンを教えてください。
吾郷:私が目標としているのは、地域社会の課題をITで解決できるエンジニアの育成です。東京で優秀なエンジニアに成長した若者を、今度は地方へ送る。そのために、サテライトオフィスの強化を進めています。
また、今年6月には仙台に東北最大級のシェアオフィス・コワーキングスペース「enspace(エンスペース)」を開設しました。仙台は東日本大震災という大きな痛みを経験した土地。だからこそ変化と成長を強く求めているし、まるでシリコンバレーのような空気感を感じました。これからも仙台を拠点にして、さまざまな挑戦をしていくつもりです。
鈴木:「痛みや怒りの反動が成長力になる」というのは、吾郷さんの半生とも重なりますよね。外的要因に人生を左右されながら、清算と再出発をくりかえして、ここまで来たわけですから。今日は胸が熱くなるようなお話を聞かせてもらい、本当にありがとうございました。
(おわり)
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