Interview

社長のせなか

株式会社コプロ・ホールディングス【東証一部・名証一部】

清川 甲介社長インタビュー

【第3回】 2020.06.26

自分自身を形成しているのは

誰だって、育ててくれた人の影響が大きい。

感謝に100%は無い。

 

 

 

鈴木:お母さんが亡くなられたんですか?

 

清川:年明けの1月頃に大腸癌のステージ4って発覚してから、約1か月半の命でしたね。まだ65歳ですよ。1月6日の仕事始めの日、役員で熱田神宮に行ってきしめんを食べるのが毎年のルーティーンなんです。その後、会社に戻ったら妹から電話が掛かってきて、母親の緊急入院のことを知りました。

 

鈴木:年明けに癌が発見されたんですね。

 

清川:役員や社員に伝えていきたいのが「親孝行」っていう部分ですよね。

僕も結構してきた方だと思うんですが、「もっとしてあげれば良かったな」と後悔しています。そもそも頑固な母親だったし、厳格な父親の嫁だったんで、強い母親でした。年に一回の健康診断でも「そんな健康診断なんて行かんでいいわ」って言っていましたが、無理くりにでも連れていけば、早期発見できて、助かっていたかもしれない。そんなことは妹二人ともよく話しています。

 

鈴木:お母さんを亡くされて、親孝行の大切さをより強く思われたんですね。

 

清川:ただ、本当に自分の無力さを痛感しましたね。最後は抗がん剤も効かず、「家に帰りたい」と言い、先生にも確認したら「その意思を尊重しましょう」ということで、家に連れて帰りました。

家に帰った瞬間にめちゃくちゃ笑顔になっていたのが印象的でしたね。医学の統計的には家に帰ると一週間とか数日ほどで逝ってしまうケースが多いって数値があったんです。そんな中で訪問介護に切り替えて、一緒に家で過ごして最後は2月23日に全員の前で静かに息を引き取って。それは最後、病院で管をつけられているよりは、良かったんじゃないかなと思います。

 

鈴木:素敵なお母さんだったんですね。

 

清川:母親が、亡くなる前に手紙を書いていたんですよ。昔から字が綺麗だったんですけど、病室で隠れて書いて、歪んだ字になっちゃっていて。一人ひとりに手紙を書いていたんですよ。他人行儀っぽいんですけど、父や妹、僕の嫁とか孫とかにも「さん」付けして。

全員に宛てて書いた手紙を妹に託していたみたいで、読んだら涙が止まらなかったですね。今でも見たらやばいです。「世界で一番幸せな母親でした」

「会社を大きくして上場までさせた息子が誇らしいです」って。

そして最後の言葉が全員同じだったんですよ。

母は、まだ生きていたんですよ。けれども、「今までありがとう、そしてこれからもありがとう」って。「これからもありがとう」っていう言葉がね。

 

 

鈴木:いい話ですね。。。

 

清川:母は僕にとって一番の応援団長でしたね。僕の会社が上場してから、新聞の株価情報を毎日のように見ていたらしいです。逆に、今は父親が心配なんですよ。女親が先に亡くなると、男って弱まるじゃないですか。今は、うちの妹や孫と一緒に暮らしていて、さらに下の妹夫婦も実家の近くに住んでいます。

 

鈴木:お父さんはどういった方なんですか?

 

清川:東海市で建設業の会社を経営しています。僕は学生の頃にバンドを組んでいたんですが、ベースが欲しくて父の会社でアルバイトをしていました。

 

鈴木:どんな仕事をしていたんですか?

 

清川:ある時は、タンクの中で、サビを削ったり掃除をしたりしていたんですが、あれが結構大変でしたね。防護服みたいなものを着るんですが、出てきた時は砂だらけでした。

 

鈴木:そんな仕事もあったんですね。仕事中のお父さんはどんな方でした?

 

清川:小さい頃からめちゃくちゃ厳しかったんですが、仕事中はさらに怖かったですね。何か起これば労災の可能性もある危険な仕事だったので、安全面も含めて従業員に対しても厳しかったです。

 

鈴木:父親に反発はしなかったんですか?

 

清川:子供ながらに、言っていることに筋が通っているかどうか、理不尽なことは言ってないとは分かっていたので、反発はしなかったですね。自分が悪いことをしていて、相手の筋が通っていれば逆らえませんでした。

 

鈴木:仕事以外の家庭でも筋を通される方なんですか?

 

清川:いろいろありますけど、一番覚えているのは小学校5,6年生くらいのことですね。田んぼとか畑が周りにあるんですが、遊んでいて畑をぐちゃぐちゃにしたんですよ。それが、僕だってバレたことがありました。最初は嘘をついたんですが、バレて「人様に迷惑をかけるな」って言われて、ボコボコにされました。

 

鈴木:そんなことがあったんですね。

 

清川:怒られた当時は寒い季節で、玄関の前でずっと正座させられていました。ただ、母親が「おとんには内緒よ」と言って、味噌汁とおにぎりを出してくれて、僕は泣きながら食べました。

 

鈴木:いつの時代ですか?ものすごい昔の話だったらある話かもしれないですが、驚きです。

 

清川:古臭いというか、そういったことを大事にする父親だったと思います。

ただ、その後に愛情を感じることがありました。

父が「入ってこいって」言って、もう一回最後に「こんなことで人様に迷惑をかけたんだから、これをしっかり胸に刻め。同じことはするな」って言った後、「足伸ばせ」って言って冷えた足をずっとさすってくれたんです。そういう人でしたね。

 

鈴木:そういう過去があったからこそ、社員に対する教えに通じているんですか?

 

清川:間違ったことはしないように「筋を通そう」っていうのは一緒ですね。仕事って楽しいだけじゃなく、辛いこともたくさんあるから、基本は厳しくしています。

終わった後はフリーで、スイッチのオンとオフを切り替えています。

 

鈴木:ご両親のおかげで、今の清川さんがいるんですね。

 

清川:みんなに言いたいのは、生きていることは当然ではないんで、両親には感謝しないといけないし、感謝をどういう風に形にしていくか、一緒にいるだけでも良いし、プレゼントを買ってあげるのでも良いし。親孝行に100%っていうのがないので、そこは引き続き語っていきたいなって思っていますね。

 

 

 

 

(おわり)

 

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