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新潟県

株式会社HEIDI[ 株式会社ハイジ ]

代表取締役社長

皆川 賢太郎

KENTARO MINAGAWA

冬季産業を豊かに

夢は冬季産業の再生です。スキーリゾートやホテル、ショップ、交通網など諸々を含めると1~2兆円規模になります。このためにロールモデルとなるスキーリゾートの経営をしたり、苗場スキー場の飲食店や宿泊事業をしたり、不動産業や地方再生に力を入れています。

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PROFILE

  • 企業名

    株式会社HEIDI[ 株式会社ハイジ ]

  • お名前

    皆川 賢太郎

  • 自分の名前の由来

    父が賢治で、賢いという字を取って名付けられた

  • キャッチコピー

    元スキーヤー社長

  • 冬季産業を豊かに

  • 社名の由来

    両親が作った有限会社ハイジから引き継いだ
    両親はヨーロッパに憧れがあり、アルプスの少女ハイジから取ったとのこと

  • 部活、特技

    スキー

  • 趣味

    視察

  • 尊敬する人

    堤義明

  • テーマカラー

  • 好きなお菓子

    ポテトチップス

  • 底力の源

    共感できる人に出会うこと

  • 苦しいとき励みになった経営のテーマソング

    子鹿

  • 好きなファッションブランド

    アルマーニ

  • 子どもの頃の夢

    アルペンスキーヤー

  • 生まれ変わったら何になりたい

    建築家

  • 休みの日の過ごし方

    料理

CEO STORY

Q1

C. 事業内容を詳しく教えてください

弊社は、新潟県湯沢にある苗場というスノーリゾートで複数の飲食店と宿泊施設を運営しながら、夏は大磯ロングビーチで飲食店やサウナ事業を展開しており、地域性やリゾートの利点を活かした、所謂リゾート特化型ビジネスを展開しています。
コロナが収束し、訪日外国人も徐々に返り咲いているため、苗場では自社保有の建物を、
飲食店・サウナ・アートなどを取り入れた複合施設にすべく、リニューアルを進めております。

Q2

D.どんな学生でしたか

雪深い新潟県湯沢町で生まれ育ち、小中学校は苗場のスキー場に通い詰めていました。中学2年で年間100日ほど海外遠征に出かけ、高校は北海道小樽市にある北照高校のスポーツコースに進学。17歳でプロになり、年間150~200日ほどは海外遠征でヨーロッパ、特にオーストリアによく行きました(国技がアルペンスキーなので)。いろいろな雪国の子どもと出会うことで、多様性が身についたと思います。その後日本体育大学に進学しましたがほとんど学校に通えず、通学したのは2週間ほど。現役引退後に1年半程授業を受け、6年かけて卒業しました。勉強はいつでもできますが運動には賞味期限があると思っていたので学生時代はスキー、一色でしたね。

Q3

E.学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください

17歳でプロになり、21歳までは順風満帆。20歳前後で年収は1000万円を超えていました。父が元競輪選手なのですが引退後にペンションを経営していまして、その父から「会計を一緒にしないか」と言われました。そこで(有)HEIDIから(株)HEIDIに変更したんです。しかし財務状況を見たところ赤字で借金もある状態。プロスキーヤーとしての収入に頼らず、すぐにでも事業を再生しなくてはと思ったのですが、最初は決算書の読み方も分かりませんでした。それが23歳のときです。それでも飲食業から事業を始め、ペンションの事業再生を行うことができました。スキーヤーと経営者の2足のわらじを履き、37歳でスキーヤーを引退。その時点でも年間レッスンを14本ほどもっていたので収入面では安定しており、食べていくのには困りませんでした。その後全日本スキー連盟常任理事に就任し、連盟の再生に3年ほどボランティアで関わりました。

Q4

F.最近感情が動いたエピソード

冬季産業が盛り上がるかもしれないという期待感ですかね。私が子どもの頃はバブル経済の真っただ中で、お金があり日本中が元気な時でした。それに対して、今はさっぱりです…。ただ、インバウンドが増えてきましたので以前以上に大きな冬季産業になるのではないかと期待しています。盛り上がって落ち込んで、また盛り上がっていく(かも?)。うまくいかないものがうまくいく。そういう状況が好きです。スポーツも、誰だって最初はうまくいかないですから。スキー連盟の再生に関わった理由もそのような思いからです。

Q5

G.汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)

20代でビジネスに関わったものの、最初は何も分からない状態でした。当時は海外にいたので、実質的な運営は人に任せていたんです。それで騙された…といいますか大変な目に遭いまして。改めて人を雇うのは大変なことだと痛感しました。あとは、やはりコロナ禍ですね。売上ゼロが3年近く続きましたから、よく耐えたなと思います。

Q6

H.経営危機をどのように乗り越えましたか

逆算することの大切さですかね。悪いことは必ず起こると考えています。そういう時にどうするか、資金繰りを考えておきます。一夜にして立ち直るのは無理ですから。現役時代には、ケガを何度か経験しました。そんな時「皆川はエースだったけど、次のオリンピックは難しい」「もう引退した方が良いのでは」などの声が聞こえてきました。しかし、結果を出すとオセロのように掌返し。このような経験を繰り返していますので、取引先や銀行、お客さん、友だちなど誰に対しても期待することはしません。言い換えれば「人に依存しない」ということです。そうすれば、それらが無くなった時の打撃に耐えられますからね。

Q7

I.社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い

名物社員はいないかな。社員への思いとしては「去る者追わず」です。コロナ禍で辞めたスタッフは多かったです。でも、引き留めることはしませんでした。一度「辞める」と意思表示をした人と、一緒に仕事をすることはできないですから。戻ってきたところで、お互いを必要としていないと思います。実際「出戻り」のメンバーはいませんので冷たい人だと思われているかもしれません。ただ今いるスタッフに対しては「最後まで面倒見る」「徹底的に守る」という気持ちがありますね。同級生にも、オリンピック選手を目指したけれど自分の価値観で判断してスキーをやめていく人が沢山いました。そういう経験から、個々人が人生の主人公なのだから、スタッフにも自分の価値観を大切にしてほしいと思います。

Q8

Jリーダーシップのスタイル

私は自分の会社以外にも他の会社を経営し、JOC(日本オリンピック委員会)の選手強化本部テクノロジー&データWGリーダーも務めています。それらに関わるなかで感じることは、逆算して考えることの大切さです。誰にも未来は分からないので、答えとなるものを考えることがリーダーの仕事だと思っています。「こうなりたい」「こうしたい」という組織の目標を見つけ、スタッフそれぞれが進んで行けるように導いていく。目標に向かうために一つずつ積み上げたことは、無駄にはなりません。

Q9

K.事業を通して実現したい夢

冬季産業の再生です。スキーリゾートやホテル、ショップ、交通網など諸々を含めると1~2兆円規模になります。このためにロールモデルとなるスキーリゾートの経営をしたり、苗場スキー場の飲食店や宿泊事業をしたり、不動産業や地方再生に力を入れています。

Q10

L.夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり

父は私に「勝つまでやれば、負けない」と言いました。実際スポーツの世界は負けることが多いです。野球のバッターは、3割打てればすごいと言われるくらいです。勝つ比率を上げるためには、やり続けないといけないのです。「諦めない」と似た意味に捉えられがちですが、これは当然のこと。その先にあるのが「勝つ」こと。そして事業は「勝つ」ことで評価されます。ただこれをスタッフに言うとパワハラになってしまいますので、自身のこだわりに留めています。また、子どもの頃からいろいろな国の人と出会ったり、スキーの合間にいろいろな場所を訪れたりして、広い視野で物事が見られるようになったことですね。

Q11

M.社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること

2年半ほど前、一般財団法人冬季産業再生機構を設立して代表理事になりました。「SAVE THE SNOW」を理念に、雪を資源として捉え、これを守るために地球温暖化や森林破壊などの環境問題に取り組んでいます。すぐ結果が出る取り組みではありませんが、共感とロールモデルになることを目指しています。そのために、雪山のプラスティック除去に取り組み、スキーやスキー靴のリサイクルやリユースなどをこの秋に始める予定です(産業廃棄物として山に放置されることがある)。誰かに任せるのではなく、雪に詳しく冬季産業に関わる私たちが動くことが大切だと思っています。

Q12

N.自社の強み、面白い制度

面白い制度は、特にないかな。強いていえばリゾートの仕組み作りですかね。また、私は「雪国の田舎で育った男の子」。雪や冬山についてはよく知っているので、これらが強みです。元西武グループオーナーの堤義明氏は、スポーツと観光ビジネスを融合させた人です。彼がいなかったらスキーリゾートは成長せず、オリンピックは開催されませんでしたので、非常に尊敬しています。彼の理念を残せるようなアイデアを出せるよう頑張りたいと思っています。

Q13

O.若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ

「場が人を育てる」という言葉が好きです。頭で考えて知識だけを増やすことより、その場に身を置いて多くの体験をしてください。私は海外遠征に行ったことが貴重な体験になりました。そして多くの失敗をしてください。「こやし」になります。失敗できる期間は限られています。年齢を重ねるとそこから回復するのに時間がかかりますので。

Q14

P.家族へのメッセージ

生きさせてもらって、ありがとうという感じです。妻(元フリースタイルスキー・モーグル日本代表の上村愛子さん)とは「ゴールで見える景色が一緒だといいね」といつも話しています。これからもそうありたいです。また、私の父は競輪選手として華々しい活動をした人ではありません。「引退したら、雪山でお母さんとペンションを経営する」と言っていたので。そのせいか、私には失敗しないでほしいと様々な経験をさせてくれました。父から言われた言葉をとても大切にしていて、先にも紹介した「勝つまでやれば、負けない」ということ以外にも「ズルい選択をするな」「三日坊主でいいから続ける人間になれ」という言葉を常に心に留めながら生きています。

Q15

Q. 社長の推しポイント ※社員さんからのコメント

自社で経営している飲食店や宿泊施設だけではなく、
スポーツ団体の選手強化・財政立て直し、雪資源保全を目的とした財団の運営、
スキー場のコンサルティング、講演活動など、
主に冬季に関わることには時間を惜しみなく使い精力的に取り組んでおり、
フレキシブルで行動力があります。

COMPANY PROFILE

社名
株式会社HEIDI[ 株式会社ハイジ ]
設立
1979年10月6日
本社
新潟県