PROFILE
企業名
兼弥産業株式会社
お名前
青山 松夫
生年月日
1951年10月20日 今年で72歳!
出身地(都道府県)
愛知県知多郡南知多町豊浜
出身校
愛知県立半田商業高等学校
あだ名
まっちゃ まっちゃん
自分の名前の由来
祖父 兼松 父 一夫 から1文字ずつ取って 松&夫
キャッチコピー
"①自分の人生で生きる ②俺の人生補欠の人生
・人の人生、人に左右されることなく、自分の一度きりの人生なんだから、自分の責任で何事も考えて決めて、自分がいかに楽しめる人生を生きるかを大切にしていきたい
・スターじゃなくても中心人物じゃなくても、補欠のような能力才能の人間であっても、目標に向かって努力など継続しつづけることで自分の居場所や価値を見出していける"夢
自分の考えた商品・アイデアを世界中の人に喜んでもらうこと
社名の由来
"田舎の漁師町(愛知県知多郡南知多町豊浜漁港は県下一の水揚げ漁港)で、父方の水産加工の屋号(個人事業主の名称)が「兼松」で、母方の水産加工の屋号が「弥吉」、結婚を機に兼松と弥吉が合併して兼弥に名称変更。
合併当時は兼弥水産として水産加工(ちりめんじゃこを作ったり、干物を作ったりするのが事業の100%)が事業内容でした。
プラスチックの製造業も始め、プラスチック製造にシフトしていったタイミングで現在のかたちの兼弥産業株式会社に社名変更と株式会社化しました。(従業員の方は水産加工していた皆さんがそのままプラスチック製造へ業態変更)"人生成分6つのキーワード
"進化 (常に時代に合うように進化していかなければいけないと思っています)
すべて自分事 (他人事としてとらえてしまうとすべてがうまくいかなく不満だらけになると思います)
ギブアンドギブ (ギブアンド「テイク」になると、取ることが前提で考えてしまうと不満・トラブルになるのでとにかくギブし続ける関係が好きです)
すべて自分のために (自分が幸せになるために他人を幸せにすることで結果自分が幸せになると思うので自分のためにすべてをしたいです)
負けず嫌い (他人やいろいろなモノを凄いと思ったままでいると成長も進化もないので、凄いと思った感情をそのまま自分の成長の起爆剤にしたいです)
諦めない (壁に当たっても、考えてトライアンドエラーを繰り返して壁を乗り越えたい、諦めないで探せば壁の横を歩いて通れることもあります"部活、特技
中学陸上部 高校ラグビー部、 特技:スキー どこでも寝れること
趣味
スキー(本当は仕事が趣味です)
尊敬する人
自分を信じる! あえて挙げるなら明石家さんま
好きな映画
トップガン シリーズ(マーベリックは映画館に3回見に行きました)
人生のバイブル
本など読まないので、頼るのは自分自身!
テーマカラー
赤(スキーウェアは赤が多いです)
ゲンかつぎアイテム
ゲン担ぎしない。自分を信じて
パワー飯
とんかつ(なるべく分厚いロース)
好きなお菓子
あんこ系(つぶあん)特にきんつば
底力の源
世の中のすべては自分事だという認識
カラオケ十八番
長渕剛 とんぼ
苦しいとき励みになった経営のテーマソング
かまやつひろし どうにかなるさ
自分を動物に例えると
ウサギ
好きなファッションブランド
割引率の高いハイブランドをアウトレットで探し求めるのが好きです
子どもの頃の夢
かっこいい車を運転したい
生まれ変わったら何になりたい
もう一度青山松夫(自分に)
休みの日の過ごし方
ランニング・ハイキング・山登り・スキーなど体力維持
VIDEO
CEO STORY
Q1
あなたをよく知る人物(家族・従業員・友人など)にあなたを紹介してもらってください。(他己紹介)
50代男性入社22年目の社員から。
入社4年目のころ、仕事も周囲の社員にも全く不満はない環境下で仕事をさせてもらっていたのですが、新しいことをどんどんやらせてもらえていたこともあって新商品開発だったり営業活動など、自分自身にとってもチャレンジ目標になったりするような業務が増え、業務全体のボリュームもどんどん増えてしまい日々仕事に追われはじめるようになったタイミングがありました。その時、自分の中で限界、キャパオーバーだと思ってしまい集中力が切れ突然会社を無断欠席で2日間休んだ時がありました。社内の同僚や先輩社員も心配してくれていましたが、かかってくる電話には出れずプチ引きこもりに。当時はLINEなどもなくショートメッセージでやり取りは出来ましたが、会社に迷惑をかけてしまったと感じ、迷惑をかけたので会社にはもういけない・・・という感覚が2日目に心の中にありました。無断欠勤3日目に青山社長から突然電話があり電話に出ると、「神様が与えてくれた休日だからゆっくり休めよ」とだけ言って直ぐに電話が切れました。その瞬間涙が止まらず心を整理して、次の日会社に行くことができ、朝いちばんに社長にお礼を言ったのは一生忘れません。
Q2
上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか
"今現在彼は、日本国内の営業のトップとして全国飛び回り当社の商品を一生懸命お客様へ紹介してくれています。
彼が一番すごいのは、ほかの人が動きだすのよりも早く、常に一番に行動を開始するスタートダッシュの速さは私の知るかぎり他にいません。とにかくスピード感を重視し、動き出しが早いので他の誰よりも早く経験を積み、また回数も連続で試行するので、経験値アップがとてつもなく早いです。
彼自身は、「本物」を見つけられるように自分がなりたい、という想いをもってその実現に向けて勉強や努力をする人です。自分の意見を持ち、他の人の意見も取り入れながら自分の非も認められ、常に改革改善常に進化していく人物です。決して威張ることがなく、「偉い」人になることもなく、自分の位置がどこであるかを探りながら、自分を高めるためにはどうしたらいいかの試行錯誤を常時行っている人です。
そして、行動が素早く、僕と一緒に仕事をしていく中で、僕の想い・思いがどこで方向性がどうであるかということを確認してくれ、その方向性を即時に解釈してくれ行動に移せる頼もしい存在。途中で方向性がずれてきても少しの修正を入れるとよりレベルと速度があがり、ビジネスを一緒にしていくスピードやクオリティが上がっていく人です。
Q3
事業内容を詳しく教えてください
"今現在、弊社が何屋なのか表現するのが難しい状態になっています。本業自体は第二次産業に分類される、プラスチック製造業です。製造している商品はすべてプラスチック製の植木鉢や園芸や農業に使うトレーなどを設計、開発、製造販売しているメーカーで、農業や園芸といった第一次産業に関わっています。主力商品は私が開発したスリット鉢という、植物が大地で育つのと同じような、使い方によってはそれ以上の土壌環境を作り出し、根がとてもよく成長することができる特殊な構造を持った植木鉢で、今では日本国内だけでなく世界10か国程度輸出もしています。使用する原料も、30年以上前から再生原料、リサイクル原料を少しでも多く使い、今では日本有数のリサイクル原料使用率を持つプラスチック製造工場になっていると自負しています。今でこそ、プラスチックのリサイクルに対する価値が見直されてきていますが、自社で30年以上、当時はリサイクル技術も今ほど高くなく不純物も多い中、現時点で存在する限りある資源をどう使い続けるかを念頭に置き、当時はリサイクル原料というと、原料が中古だから安くしろだとか言われることが多かったです。そのため、リサイクル原料を使っていると大々的には告知していなかったのですが、当社の商品を使ってもらうことで、間接的に環境への負荷を減らすことにつながっていけばいいという想いで、自社の商品も使用後により多くリサイクルに回されるような取り組みを目指して進めています。そのために、リサイクル原料もポリプロピレン(世の中のいろいろな商品に使われています、通称PPで番号は5番)の使用にこだわっています。弊社が同じ原料を使い続けることで植木鉢=ポリプロピレン製になるように活動を続けています。
物売り屋になりたくなく、どう直接自社商品を使ってくれる生産者さん、農家さんが健全な経営をできる状況を作るか、使用するさまざまな資材(農薬や肥料など)を減らし環境への負荷を減らすことができるかという課題を解決するためには、植木鉢の開発だけでは足りないということで、土や肥料、ビニールハウスやその中の環境を改善する機器の取り扱いも国内外の世界中のありとあらゆるメーカーと協議し、弊社と同じ想いや方向性を持っているパートナーを探し、彼らと様々な形で連携しています。シクラメンなどの花やトマト・パプリカなど野菜の世界中で品種改良された種や苗の販売も行っています。生産者さんのやれない、難しいことを代わりにおこなうこともしていて、現在ではやみつきブランドを立ち上げ、やみつきトマトというトマトを生産は生産者さんにお願いしていますが品種や栽培システムの開発から販売までは自社でおこなっています。現在は北海道から沖縄まで30件以上の生産者さんにやみつきトマトを同じ管理で栽培していただいています。
植物の流通も行っていて、今では世界中にいる30名(社)以上の育種家の開発する新品種の取り扱いもしています。また日本で品種改良された品種を世界中に販売など、生産者さん一人では難しいことを一緒に取り組みチャレンジもしています。愛知県にある本社には、まだ名前がついていない世界初・日本初の品種なんかもよく飾ってあります。
異常気象が世界中で発生していて、食の安定供給の面から植物工場という分野も研究を行っています。電気を従来の農業よりも消費するというマイナス面もありますが、弊社はオウングリーンズシステムという、従来の植物工場とは全く違う形の野菜の栽培のシステムで無農薬の葉物野菜を栽培できるシステムを開発しています。やみつきトマトの栽培もそうですが、今まで何百年と農家さんが行ってきた栽培の中で、なるべく無駄を省けるようにしたり、汚い汚れるなどといったマイナス面を排除した新しい仕組みの農業も将来に向けては大切なことだと感じそれらの普及活動を行っています。オウングリーンズシステムは、農業の知識や経験が一切なくてもレタスの栽培ができるシステムを目指して開発しています。とても簡単な単純作業だけで工程を組んでいて、今現在は障がい者施設と連携をして障がい者の方々と日本の食の供給に貢献できる仕組みづくりをテスト的ではありますが進めています。今現状は未成年の子供を働かせるつもりはありませんが、小学校3年生ぐらいであればオウングリーンズシステムの作業ができるぐらい作業工程を簡単にしています。
また、2001年からELFバケットシステムという切り花の鮮度保持輸送システムも開発して日本中の生産者さんへ提供しています。従来は段ボール箱で生産者さんが切り花を梱包し市場や卸市場へ出荷、それを花屋さんで水揚げ(茎を一部切って水に浸ける)を行っています。ELFシステムでは、バケツを生産者さんに届け、切り花が長持ちするように鮮度保持剤と水を張ったバケツに切り花を入れ、市場を通り花屋さんまで生き物である切り花が水に常に浸かった状態で輸送されるシステムです。花は水がないと死んでしまうので、水に浸かり鮮度が保たれた状態で消費者のもとまで届けられることでより長く花を楽しむことができるよう運営しています。毎年300万個以上のバケツが流通しています。花屋さんまで届いたバケツは、市場や卸市場に戻されそれらをすべて回収し、洗浄除菌しまた生産者さんに戻すリターンリユースのシステムになっています。利用途中で割れたり壊れたバケツは回収し、原料に戻してまたバケツにしたり、植木鉢になったりとゴミが出ないような工夫をしながら運営しています。ELFバケットシステムをスタートした当時にはSDGsの概念などまだない時代でしたが、ごみ排出量を削減するためにスタートし、洗剤や除菌なども環境に負荷のかからないものを当時から使うなど、いろいろなことに配慮し賛同してくださる生産者さんを見つけ取り組みすることで20年以上も継続して行えています。
自社内では、プラスチック製植木鉢を製造する製造部の工場勤務、自社製品や資材や種などを販売する営業部、野菜の栽培システムを開発するアグリ事業部、野菜や輸出入業務やマーケティングツールなどを作る事業部といった多岐にわたる部署があり、行っている業務や販売している商材の幅もどんどん増え、何をやっている会社かよくわからないと外部から言われるまでになっています。基本的な理念として、当社が開発や取り扱いをしている商材のすべてに共通することは、人間がおこなう経済活動というベースを維持しながら環境への負荷を減らすなど環境悪化を1分1秒でも遅らせることができるような商品を選択してそれらの販売を通じて、ユーザーさんには直接的間接的に弊社の目指す低環境負荷商材を利用していただけるようにという方向性に合致したものになります。
農業には多くの石油燃料、農薬などの化学薬品、プラスチック製品、有機無機含めた肥料など多くのインプットがされて食の供給に紐づいています。人間の内臓と同じで植物の根が健康健全であれば病気に感染しにくくなり、健康な植物ほど虫に食べられない(虫に食べられる野菜は新鮮でいいと思いがちですが、実際は逆で不健康だったり弱った野菜が虫に食べられています)など、植物自体を健康に育てることで農薬の使用量を減らすことができます。肥料も与えたすべてが植物に吸収されるわけでなく、多くの肥料が雨などによって根が届かないところに流れ無駄になっています。その無駄をなくす商品を販売することで肥料の使用量を減らすことができますし、健康な根を育てることで肥料の吸収効率が上がりより無駄になる肥料を減らす相乗効果も出ます。冬の農業は暖房が欠かせず石油燃料を使い暖房して植物が寒さで枯れないようにしながら育てています。その暖房の効率を上げることで石油使用量を減らすことができます。プラスチックも使用後マイクロプラスチックが流出したり、プラスチックごみがでたりしています。弊社の植木鉢やトレーはすべてポリプロピレンというリサイクルしやすい原料のみを使用して、少しでもリサイクルに回され資源が減らないような思いで運用しています。現在弊社は肥料や農薬、石油燃料の使用量を減らすことのできる商品を数多くそろえて日本中だけでなく世界中の生産者さんに向けて販売をしています。
Q4
どんな学生でしたか
"保育園から小学校低学年までは学校がとにかく嫌で嫌で、学校に居たくないと常に思っていました。保育園の時には、昼寝の時間の間に保育園を脱走をして家に帰ったりしてしまう子供でした。小学校の時も本当に学校に行くのが嫌で、ときには母親に連れられて登校したこともありました。そんな時でも学校にいたくないので、学校に着いてもすぐ逃げるように自宅に帰って、母親が自宅に戻ったときにはすでに自宅にいたこともありました。普段は一人で押し入れに入っていろいろ遊んでいるような子供で、よく親戚のおじさんおばさんや周りの人からは変わった子だねと言われていました。
小学校のときには、虫やキンギョ、犬などを飼うことが好きだったり、サボテン愛に目覚めてたくさん栽培したりと、とにかく虫や動物、植物を手広くいろいろな種類を同時進行で飼っていました。買いながら、動物や植物の観察をして、どうやったら魚は大きく育つか、植物はどうしたら増やせるか、大きくできるかなど疑問を基に観察していろいろと試行錯誤しているのが楽しかった幼少期だったように記憶しています。昔自宅に植えたサボテンのうちの1つは、実は今もまだ残っていて会社に植えてあります(今現在は工事のため避難してます)。
もともと運動が苦手でどちらかというと運動音痴です。中学に入学したときに、小学校のころからずっと徒競走は最下位争いを繰り広げていて、そんな自分自身の運動音痴が格好悪い恥ずかしいと感じたことがきっかけで、中学校は陸上部に入部しました。入部しても足が速くなるわけではないなかで、いろいろな種目をやった結果長距離には適性があるかもしれない!と直感で感じたので、一生懸命に練習をし続け、苦しくても連続して練習を重ねることができたことで、中学校のマラソン大会で2位になることができました!(1位はセンスの塊のような同級生でした)。自分自身の今につながる、「やり続ける」「苦しくてもやり続けることでゴールにたどり着ける」ことを陸上部の長距離の練習の中で学びました。
高校時代は、まったく未経験でルールも知らなかったですが、ラグビー部に入部しました。陸上部で頑張ったおかげで持久力は人並み以上にあったのですが、やはりラグビーのセンスがなく、あらためて自分のセンスのなさを実感していました。それでも中学校の時の陸上部のように諦めず誰よりも練習に参加したり、チームメイトと自分事で関わり合うことで、センスのない補欠のような自分だけれどもチームの中に自分の居場所や自分が活躍できるポジションがあるんだということを実際に経験して感じることができ、ラグビーを通じて多くのことを学ぶことができました。ここで、「俺の人生補欠の人生」という座右の銘ができました。
Q5
学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
"本当は中学卒業で働きたかったので卒業と同時に興味のあった自動車に関われる仕事として整備工になる予定が、母親に説得され高校進学することになりました。勉強しなくても進学できるという高校に入学。学生時代はラグビーに打ち込んで勉強は全然せずギリギリでなんとか高校卒業しました。
高校卒業後は家業である水産加工会社(兼弥水産)に就職。その水産加工会社は、私が卒業すると同時にプラスチック製造業もスタートしました。ちょうどこのころ、プラスチックに関するビジネスがブームで、田舎な町ですが、町中でプラスチック製造を始める人が多く、私の父もそのビッグウェーブに乗ることを決断しました。 プラスチックを始めた当初は、魚の加工を生業にしていたので、社員は全員魚は触れるがプラスチックは触ったことがないのでどうしていいかわからない状態でした。そんな中自動車だったり機械というものに興味があったのでプラスチックの製造に関していろいろと勉強や試行錯誤しながら、昼間は魚の加工をしながら夜のプラスチック製造工場の夜勤もやり、今でいう超ブラック企業な環境で一生懸命働いていました。自分は三男で、長男と次男は大学へ進学、家業には就かず社会人となっていく中で、僕はこの家業で何ができるんだろうと毎日考えながらまずは目の前のことを着実にこなして自分の経験値を積みレベルを上げながらいました。したいことやそれに伴うチャレンジはいつも父親に大反対されてきたので、その大反対する父親をどう納得させるか、どういう状況になったら父親が首を縦に振るか、を常に考えて準備、根回しなどをしてどう自分の思い描いたゴールに向かってたどり着けるかを考えて行動して実践することが楽しみでした。
そんな中で、教科書にも載っているオイルショックが日本を襲い、いろいろなものが作れなくなる時がありました。愛知県には瀬戸市や常滑市といった陶器の産地があり、当時の鉢物はすべて素焼きの陶器で栽培されていました。オイルショックで石油の価格が上がり、素焼きの陶器を焼く燃料価格の高騰や不足が起きていました。プラスチック原料も石油由来ですが、当時プラスチック原料は石油からガソリンや軽油などを作る際にできるゴミのような扱いでそこまで価格が高騰しなかったこともあり、プラスチック製の植木鉢を作ったらビジネスになるのでは?と考えて設計して商品化しました。近隣の生産者さんに訪問し紹介したところ売れ始め、植木鉢以外は下請けの仕事をしていたのですが、下請けという他の企業や環境によって急に注文がなくなったり、車の部品だとモデルチェンジでパーツが不要になって仕事がなくなったりと周りに振り回される仕事が多かったので、自分で設計し自分で販売をし、売れたものを自分で製造して納品するというメーカーの楽しさを感じ、下請けという人に頼って生きる、人の人生で生きるのではなくて自分で決断できる人生を全うしようと思い、どんどん自社製品の植木鉢の製造、販売とよりよいものができるようにと新しいデザインの設計にのめり込みました。当時は自分でトラックに乗り愛知県から埼玉県だったり福岡や鹿児島まで運転し、営業や販売をしながら行商をしていました。それを続けているうちにどんどん会社は大きくなっていきました。注文を間に合わせるためにプラスチック成型をする機械をどんどん増やす必要があり、機械1台で高級車が何台も買えてしまう価格なので父親がなかなか追加をしてくれないときも、銀行に前もって話をしに行って、銀行の支店長を連れて父親にあとは印鑑を押すだけの状態にしておぜん立てするなどして、会社の成長が止まらないように工夫しながらやっていました。そんなことをやり続けることで、父から会社をこんなに大きくしてしまったのはお前だから、と言われ私が社長をしなければいけない環境を自分で作ってしまい、なる羽目になりました。本当はもっと技術職やプラスチック製品をもっと早くもっと安くもっと丈夫にするなどの技術開発や製造技術、ノウハウの向上に没頭したかったのですが・・・
Q6
汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
"まだ社長になる前の時の話になりますが、その頃はプラスチック製植木鉢の販売が伸びていて、自分自身でデザインの考案や開発、製造や営業と納品まですべて一人でこなし回していた時期で工場と納品先の生産者さんを往復し続けてなかなか事務所にもいないような時期でした。
父親(当時社長)は水産加工のプロで魚を扱わせたら右に出るものはいないほどでしたが、商取引についてはそこまでに経験や知識がなく、ある時父親が、ある取引先の商社へ原料調達の商談を担当した時がありました。その時に、その商社から儲かりますよ、などいろいろな甘い言葉を言われ、それに騙された父親が口車に乗ってしまい、結果騙されるかたちで融通手形を切ってしまった。(融通手形は、実際の取引をしていないのに、資金調達目的で発行される手形(一定期間後に換金できる証書のこと、一部の借金)を「融通手形」といいます。)
自分は商業高校出身で、融通手形のリスクについては知っていたので、ずっと何度も何度も父親には融通手形には、何があっても絶対融通手形には手を出さないでくれ、と言い続けていたのですが自分がいないときにそれが起こっていました。・・・
ある時、八丈島にトラックに乗って営業に行き、販売や納品も順調にでき夜遅く帰ってきました。翌朝会社に行くために自宅の玄関を開けたら、外に父親が立っていました。どうしたんだろうと話をすると、融通手形を振り出した先の社長が昨晩なくなったという連絡が今あったと聞きました。その瞬間頭が真っ白になりながら話をきいていると、やはりその融通手形がどこかに回ってしまうだろう、ということを聞きました。(振り出した先の会社が融通手形をどこかに譲渡したりしてしまうと、その手形分の金額をこちらが支払わなくてはいけないのです。実際の取引はないのでただただ損失が発生する状況になってしまいました)
このままだと会社が倒産してしまうという危機的状況になった瞬間でした。
"
Q7
経営危機をどのように乗り越えましたか
"いつ換金されて不渡りになってしまうかわからない融通手形の処理をするために、とにかくやれることを自分なりに頭の中で整理をしながらとにかく行動をしました。父親とその場ですぐ話をし、自分自身はまずは売り上げを上げ製造し納品が継続できる状態を維持して借金返済に向けて動くので、父親には銀行にすぐ向かい、現在起こっているトラブルの一部始終を報告して資金援助の話をしてきてほしいと伝えました。
八丈島で新たにもらってきた注文も含めて今もらっている注文をこなして利益を作ることで手形分の借金を少しでも返しながら会社が存続し事業が続くようにとまずは原料がなくては製造も販売もできないので一気に原料を販売している卸会社や商社を周り、支払い条件などもお願いして融通してもらいながら調達をしました。数日かけ動き回り、原料の調達のめども立ってきて、原料不足によって工場が止まらなくて済む状況ができあがってきました
状況がよくなってきたかと感じましたが、発行た融通手形はやはり裁判所に差し押さえられてしまい、融通手形分の負債の穴埋めをしなければならないのが確実になった状況でした。父親に現状の原料調達の件など父親に報告し、あとはお願いしていた銀行への説明と倒産を回避するための資金援助の件について銀行の反応はどうだったか尋ねると、まさかのまだ銀行に足を運んですらないとういう状況を聞き2度目の頭が真っ白になってしまいました。
それでも調達予定の原料購入資金と、融通手形の問題を解決するための資金を確実にそろえなければいけないので、行動ができずふさぎ込んでしまっている父親に代わり、私がすぐ銀行へ行き現状起きてしまったことを経緯からすべて洗いざらい話し、これから行う対策について銀行に説明し、頭を何度も下げてお願いと折衝を繰り返しました。そんな状況下でも営業活動や納品でトラックで日本中回って納品しなければならなかったし、24時間稼働の工場が止まらないようにメンテナンスなども自分で行いながら原料調達と資金調達の交渉を継続しました。
最終的に、なんとか銀行の支援の約束もとりつけることができ、結果不渡りなど出さずに済み倒産の危機を乗り切ることができました。父親には逐一報告をしながら、自分一人で考え行動して行動のたびに軌道修正を繰り返し行動し続けることでやりきることができました。周囲からは確実に倒産するといわれていた状況を乗り切ることができました。 実際この危機が発生したときは、私は「社長の息子」という肩書だけで、取締役や役職が一切ない状況でした。そんな自分に対して銀行も話を聞いてくれたりと、今思うと神懸かっていたと思います。
この危機を脱してからというもの、もともとやっていた営業と納品、また若いからという理由で工場の夜勤もやって24時間忙しい状況だったのですが、原料調達も私がやることになり、また財務経理の管理もすべて平社員の自分がやることになってしまいました・・・
今思うと、今回の危機が発覚してから最後まで常に隠し事をしたり、オブラートに包んだ表現をせず、バカ正直に相手にぶつかっていったのがよかったのだと思います。倒産の危機を回避するために、自分は商社にも事実を伝えながら連携し材料の手配などを徹底して行うことを優先して動き、父親に代わり自分自身で銀行に出向き、すべて洗いざらいを話し、理解してもらうことが結果できた。それで資金援助のための約束をいただくことができました。実際には、営業部分の動きを一生懸命こなし、銀行から約束を取り付けた資金には一切手を付けることなくやりくりすることができました。ただ、危機を乗り越えるまでの間は何が起こるかわからない予断を許さない状況の中、一番効率がいいだろうと考えたことを実行し続け危機回避に向けて動くことができました。"
Q8
最近感情が動いたエピソード
"私自身、普段から大きく感動したり心が動かされることが少ないように思います。これだけを聞くと冷酷な性格に思われるかもしれません。社員が頑張って成果を上げたり、成長したのを感じ、おっ!と思った瞬間にその感情がすでに次の行動に移るきっかけになっていることばかりだと感じています。
行動に移るきっかけの感情が、記憶する間もなく行動に移り変わってしまう性格なのであまりエピソードなどを覚えていないんです。
何かしらの感情が動くことは、すべて自分自身の成長進化にむけた行動の原動力になっていて、それによって自分自身の成長と成長した自分が新しく考えたり生み出せる、環境にやさしかったり自然へ不可をかけない、もちろん人間なので経済活動をしないと生きられないので経済活動の一部になる開発やイノベーションを起こしよりよい社会づくりに貢献できるようにしたいと思っています。
悲しい寂しいなどの感情も瞬間は感じますが、そこで立ち止まってしまう時間がもったいなく感じる性格なので、その感情のパワーを原動力に周囲が社会が笑顔でハッピーになれる状況を作りたいと思っています
"
Q9
社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
"社長に半ば強制的になって30年以上、弊社在籍50年以上なので、今在籍している社員だけでなく、定年まで働いてくれたり、定年超えても働き続けてくれる社員がたくさんいます。弊社には、定年制度は法律に則った基準ではありますが、働いていただける方にはシルバー人材として週1日でも出社してくれる方もたくさんいます。
①プラスチックの製造工場で、材料担当だった水谷君、少し障害を持った彼でしたが定年まで一生懸命に働いてくれ、立派に原料供給をしてくれました。2人以上の仕事量をこなしてくれ、ただ掃除ができなかったり整理整頓ができなく、そのサポートを私がしながら足りないところを補い合って夜勤でも昼の勤務でもチームとしてタッグを組んで頑張りました。繁忙期の時も、一緒に朝まで整理整頓しながら必要な業務をこなし、そのまま朝を迎えて一度家でシャワーを浴びてまた二人で朝から仕事をしたりと、今ではありえない仕事環境ですがお客様に商品を納期通りに届けたいという同じ想いをもって最後まで一生懸命頑張ってくれる社員でした。
②私が社長になって、なかなかプラスチック製造工場に昔のように工場長みたいに関わることができなくなってきて、新しい人材を未来の工場長として育てるのが難しくうまくいかないときもありました。私よりもうんと若く、息子よりも若い相川君が入社してきました。あまり目立つことはなくコツコツ毎日学び、製造においてもいろいろなチャレンジを自分なりに試行錯誤してきたころ、そろそろ社長の技術に追いついた!と私に技術的な挑戦をしてきてくれるようになりました。挑戦を受けるたび、まだまだだね!とからかいながら成長を楽しませてもらいながら成長できるようサポートしていました。どんどん技術があがり彼のレベルが上がっていくのを楽しんでいると、社長!よりよい工場にして製造能力あげるには新しい機械が必要です!と私は触ったことがないが金型(鉄でできていて、植木鉢の形をした空洞があり、そこに溶かしたプラスチックを流し込んで形を作る、プラスチック製造でとても重要なパーツです)を修理したりメンテナンスする機械が欲しいというお願いが来ました。使ったことないのに果たして彼に使えるのか、と考えましたが彼が成長してくれるなら・・・と購入を決断。機械導入してから時間を無駄にせずその機械をどんどん使ってどんどん上手になっていくのを見ることができました。今では、ほかの社員にも使用方法を教えられるようになり教育者としても成長していくのを見れてとてもうれしく思います。今でも技術的なことについて私に挑戦し続けてきてくれて毎日会社に行くのが楽しみになる存在になっています。
彼らのような、一緒になってやりぬいてくれる、自分で考えてチャレンジをし続けて成長してくれるような社員が増えてくれるといいなといつも思っています。モチベーションがあげられるならできることはしたいと思いますし、そういう想いをもって入社してきてくれる社員なら一生懸命サポートします。そんな社員でいっぱいの会社にしたいなと思っています。"
Q10
リーダーシップのスタイル
"自分にはリーダーシップというものはないと思ってます。昔から植物を育てたり、プラモデルを作ったり試行錯誤を自分で考えながら繰り返して新しいアイデアを出すのが好きです。
浮かんできたアイデアや商品開発が、社会にとってどう有益になるかを常に考え開発し販売を通じて社会に浸透できるように自分が率先して行動することが多いです。
自分で考えたものが世に受け入れられるかどうかを、自分自身で社会に紹介し改善改良を行いながら事業を進めていくので、その結果や動いている姿を見て賛同してくれる社員やメンバー、社外の取引先も含め巻き込んで大きな波にしていくスタイルのように思います。
実際自分自身は何も深く考えていなく、とにかく自分の考えたアイデアがほんの少しでも社会にいい影響が与えられたらいいなという想いが根幹にあり、それをどのような形でも賛同してくれて一緒に歩んでくれる人が周りにたくさん増えるといいなといつも思ってます。"
Q11
事業を通して実現したい夢
「環境維持を1分1秒でも伸ばし未来につなげる!」
事業を通して実現したいことは、ただただ未来に対して汚染されていない状態の環境を残す一助になりたいということです。
若いころの私の夢は、周りが見えていなくかっこいいスポーツカーに乗りたい!というのが夢でした。ただの個人欲でした。それが環境に関して興味を持ち始めそれがビジネスをしていくうえで密接に関わるようになってきたときに、個人の欲でなくもっと社会のために、社会に貢献できるようにしたいという想いが強くなってきました。
水産加工から始まってプラスチック製造業にシフトし今の業態がスタートしました。プラスチック製造業という業態自体には環境に影響を与えないということは不可能に近く、環境に負荷をかけてしまう人間の生活、経済活動の中にあります。
その業種で、自然や植物というわたしたちが口にする野菜や穀物、畜産などの食や、鑑賞して楽しむ花や植物を生産する農業、園芸に深く関与しています。
そういったマイナス面からスタートしているので、特に事業を通して環境への負荷や、将来に影響を及ぼす可能性のあるものごとを少しでも減らし軽減することを一番大切なコアバリューとして据えています。
今まで使っていなかった新しい商品や資材を農業に使うことは、従来のコストにプラスしてコストがかかる、経済活動としては余分なものになるかもしれないけれど、それを使うことによって、従来使っていた100のインプットを70に60にすることができれば、環境への負荷、影響を少なくすることができると確信しています。
また、人間がコスト(人件費だったり素材の費用も含めて)をかけて生み出している素材や商品を農業に使うと環境に負荷や影響がかかります。それらを少なくして環境への負荷を軽減できると、その分コストが減り、人間の経済活動に係る費用も軽減されます。それによってより環境に負荷のかからない状態で野菜作りや花づくりなどの農業による経済活動ができ、無駄にかかっていた費用も削減することができ、また生産方式も含めて食品ロスに関連する生産現場でのロスも減れば、生産者さんも利益が取れ、規模拡大など事業拡大になれば食料自給率の改善にもつながり、また費用やコストが軽減されて野菜が栽培されれば、適正な価格で野菜や食べ物が流通し家計への無駄な圧迫が減ります。食品ロスの多くは生産中に規格外としてはじかれた野菜が多く含まれるので、今おこなっている青果流通でそういった規格外の野菜も味も品質も問題ないものが多いので、それらを流通させることでのごみ削減であったり環境への影響を減らす動きができればと思っています。
Q12
夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
今現在の農業に対して、環境破壊が少しでも遅らせることができる、少しでも環境への負荷がかからない、少しでも環境へ残留するものを減らすなど、1分1秒でも、1ミリでも1リットルでも現状の環境よりもより未来につながるようになる可能性がある、というアイデアや技術などには、とにかくすべてを自社内で考えてテストをしたりいろいろなチャレンジを行うことを社風として作り上げられたのが私の強みかなと思います。
世界中で環境に配慮したうえで開発された素材や機械、システムもそうですがまずは開発者の人にできれば直に会って話をさせてもらい、共感できるパートナーであって同じ未来を目指している商品やサービスに出会えればすべてをテストしています。
中には、あまりにも従来の考え方とかけ離れて理解が難しい、信じる物こそ救われる、と瞬間思ってしまうようなものでも、実際にテストをしていくことで中身の理解が深まり、また新しい考え方や技術につながることが多くあります。
そういった関係やチャレンジを続ける中で、これは日本の農業のためには、食糧自給率にプラスの影響を与える可能性がある、といったものには可能な限りの投資を私が決断しますし、それに賛同してついてきてくれる社員や自分で勉強を始めてよりよいものに改善してくれる社員などが増えて、関わってくれる社員がよりよい人生を送ってもらえるような自分自身のレベルアップにつながることがずっと続けられることを目標にしています。何でもチャレンジ!やってみないとわからない!
Q13
社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること
"社会貢献だとボランティアなどを思い浮かべると思いますが、私の考える社会貢献として一番効果があるだろうと思っているのは、納税することです。使われ方に不満や文句など皆さんもあるかもしれませんが、日本という国の社会インフラは、税金から成り立っています。税金が足りないと道路が直せなかったり、医療費の自己負担に影響したりすると思います。私が自社を通じてできることは、主に日本国内で経済活動の一部としておこない、利益を上げることで納税することができます。それによって社会に貢献できると考えています。
地域貢献については、まだまだやっていることは少ないですが、現在は町の所有している道路脇花壇が予算不足で管理ができなくなったという話を聞き、南知多町からその管理や植栽の許可をいただき、社員で地域美化活動を行っています。少しでも、地域美化につながればと思いますし、花壇をきれいにしておくことでごみのポイ捨てなども減り環境へプラスチックが廃棄されるなどが少しでも減ってくれればと思っています。
小中学校の社会見学の受け入れも積極的に行っており、毎年多くの小中学生が会社見学に来てくれています。工場だと危険だったり危ないことも多く、トラブルが起きないように社会見学の受け入れを渋る企業もあるかと思いますが、未来ある子供に、社会のことを少しでも多く幅広く知ってもらうことは社会にとっても国にとっても重要なことだと考えています。
SDGsに関連することは、サステナビリティにつながる商材やシステムの開発を大前提として行っています。リサイクルできるように原料を統一し、さまざまな場所から出るプラスチックごみ由来の原料をなるべく多く使いCO2排出量を減らす取り組みが自社でできることとして行っています。また、ELFバケットシステムでもリターンリユースリサイクルの循環社会を作りゴミ排出減や、輸送中に枯れて廃棄などのロス軽減に貢献しています。また、いろいろな商材で暖房費を抑えたり肥料使用量を抑える、健康な植物を育て農薬を減らす、など環境に残留する薬品などを極力減らせる商品開発をおこなっています。それらに置き換わることで環境への負荷が減り未来に自然や、環境を残すことができると考えて常にリサーチや開発を途切れることなく行い実行しています。"
Q14
自社の強み、面白い制度
"自社の強みと言える部分は、無駄なことだらけですが農業なら農業の長い歴史の中で気づかなかったことや、不可能だと諦められてきたこと、そのために困りごとが当たり前になっていること、といった課題に対して、なぜ?なぜ?どうして?という疑問を持ち、それに対していろいろなものを考えテストし続けて失敗し続けて最終的に課題解決となり、時にはゲームチェンジャーとなりえる物やサービスの開発を事業の進め方にしています。 すべてのことには、当たり前になっていることや一般的なことだったりすることが世の中には多くあると思います。無理だと諦められていることだったり、こういうものだと決めつけられて変化や進化が止まってしまっていることに対して、この商品を使うと、またはこうすると今まで当たり前だったのがこのように変化しませんか?といった新しいスタンダードにつながるような開発を数多く、社外の人からは多すぎると言われるほどやり続けているのが自社の強みだと思います。
新しいきっかけやアイデアを知ると、これは何かに使えないか、今までに聞いたことのある困りごとに使える技術にならないかと答えのないパズルに常に挑戦し続けることで、さらに自社の強みになる部分は試行錯誤から新しい物やサービスが開発された際に、テスト規模を大きくし、なるべく実際の生産者さんが試験やテスト運用した時と同じ効果がでるような規模でのテストと量産化に向けた開発も行うことだと思います。
弊社の多くのことが明文化していないことが多いので、きちんとした制度はあまりありません。社員の誕生日休暇だったり、勤続5年ごとに連休+旅行費用プレゼントといったことはしています。
制度としては作られていないのですが、社員が新しいアイデアを考えてビジネスにできないか、という考えをもってきたときには、やれる環境をやりたい社員本人も努力しながら形になるように進めてもらう、そのサポートも必要なことはしながら事業としてできるかどうかを見ていくことはよくしています。
やみつきトマトも最初は社員の思い付きからでした。カーネーションやポインセチアを栽培している生産者さんが生産量縮小して困っている、何とかしてあげたいという社員の想いから、少しの間でも収穫できるトマトを作ってもらうプランを考え生産者さんに実際栽培してもらい、改善を繰り返すうちにシステムとして完成し、せっかく作ってもらうなら世界一おいしいトマトにしようとどんどん成長を続け、今では事業の一つとして成っているものもあります。
他には、ホームセンターや園芸店で販売されている植物、特に野菜苗などには写真のついたラベルが添付されているのを見たことがあると思います。雨などで破れないように園芸用のラベルはプラスチック由来の素材でできているものがほとんどです。弊社はプラスチックにはかかわりが深いこともありますし、園芸用ラベルもデザインしたり販売もしているので、それを何かほかの事業に転用できないかということを考え始めた社員がいました。社内で即席プロジェクトチームを組み、考えていき最終的に破れない診察券としてデザインから販売までを一括でおこなう利用後にはリサイクルしてもらうという事業ができました。完全に農業とは別の事業にはなりますが、自社が関わっている分野や技術なんかをほかに応用してよりよい社会になるような小さな小さなことでも、関わる方に喜ばれるような新規プロジェクトやアイデアは経歴や年功序列関係なくチャレンジできるような環境がある意味面白い制度なのかなと思います。いろんなアイデアにたいして、やるな、ダメだと言ったことは今までになく、とにかく少しでも形にしてもらって本当に社会や環境に貢献できるかどうかも検証しながらすべてのことにチャレンジしています。"
Q15
若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
この世界に生まれるすべての人はそれぞれ自分自身の人生を生きていると思います。自分の人生を自分の人生として自分のものだという認識で生きるということをしっかり考えてほしいかなと思います。今までに多くの人と接する機会がありいろいろな話をしていると、あれ?と何か違和感を感じることが多くありました。よくよく考えてみると違和感を感じた答えを言う人の多くが他人の人生で生きているような表現が多かったです。人のせいにしすぎている=自分の人生でなかったり、多数の意見に流されて自分の考えることと違う中に居続けたりと、逃げ出すのは難しいと思いますがそのまま続けていくとストレスもたまるだろうし、長期的にみるとつまらない人生になってしまうのかなと感じます。とにかく私は、何についても自分のためにしか生きていない、人によっては私は自己中心の極みのような人間に見られることもあるぐらいなので、なかなかそういった他人の人生に生きるような、他人に振り回される人生はとても理解ができないことです。
いい意味で自分のために周囲を活用する、活用させてもらえる人間関係だったり環境を自分で作り上げることに意識を向けて継続することで、自分の周囲に惑わされたり、トラブルに巻き込まれて余分な時間やエネルギーを使って疲れてストレスをためることなく、自分の成長や自分の幸福のために最短で行動できるようになるのではないかなと思います。自分の人生でいきると決断して行動し始めると、いじめだったり周りから距離を置かれるなど、つらいこともあると思いますが長い自分の人生を楽しく生きるには、無駄なことに時間やエネルギーだったりお金だったりを無駄にするにはもったいなさすぎるので、そんな自分の人生で生きる、というような感覚や意識をもってもらえるといいのかなと思います。
共にチャレンジしたい挑戦したいことは山ほどあります。弊社の目指す環境に負荷をかけない商品づくりや開発や社員が挑戦して新しいビジネスや開発がより増えて楽しくチャレンジまみれの毎日にするには、私の望む自分の人生で生きなければいけないと思います。環境問題を他人、人のせいにしていると将来に環境を壊さずに残そうなど考えてもらえないですし、自分事としてすべての物事を考えられないと、新しいイノベーションは出てこないと思います。今は農業、第一次産業に深く関わらせてもらい、少しでも多くの生産者や農家さんに賛同してもらい環境に負荷のかかりにくい農業や園芸の発展ができるように毎日チャレンジし続けています。これが数年後には違う分野で、でも同じ理念や方向性を持ったまま新しい展開をしているかもしれません。とにかく毎日考え毎日チャレンジし続けたい人が日本に少しでも多く出てきてくれるきっかけになるような企業も目指しているので、そんな思いを持った次世代の皆さんと一緒にいろいろなことをチャレンジできればなと思っています。
Q16
家族へのメッセージ
自分自身、趣味も人生もすべてが仕事でした。若いころは24時間工場で働いたり、四六時中仕事のことや新しいビジネスチャンスなど何か新しいことはないかと考えていたのは事実です。
結婚し子供が二人生まれ、仕事120%だった状態から家庭のことだったり息子二人のことを独身の頃よりは考えるようになりました。自分なりに、二人の息子との時間を大切にしたいという思いは強くあり、少しでも時間を工面して時間を取るようにしていました。夏休みにはキャンプに一緒に行ったり、冬はスキーに行ったりとまとまった時間を取ったり、息子二人ともサッカーをしていたので週末の練習や試合には見に行けるように、二人は恥ずかしいと思ったかもしれませんが大声で応援しにいけるように、当時の自分としては最大限できることをしたつもりではいます。それでもやはり、「自分が社長である」ということからくるプレッシャー、特に1990年代のバブル崩壊後、会社が倒産してしまうと社員やその家族が路頭に迷ってしまうので倒産しないように家にも戻らず日本中を飛び回り営業をおこなったり、弊社商品を使い続けてくれる顧客が倒産や材料不足などで欠品して困らないように、など色々な思いや環境、状況を解決するために家族にまったく時間が取れない期間もありました。
結果、私は結婚20年目で離婚しました。息子二人には親として、私たち両親が離別したことで心配をかけたり不安にさせてたことが申し訳ないと思っています。
今は二人ともそれぞれ家庭を持ち、二人の息子もその子供たちも元気でいてくれるのを見せてもらえているのが幸せで、いかに自分が元気で健康な状態を維持して息子たちに心配させない自分を維持できるように、毎日健康オタクとして運動でも食べ物でもなんでも自分の健康にプラスになりそうなことはいろいろ勉強して、常に人体実験として自分で実践してボケないように努力しています。"
Q17
社長の推しポイント ※社員さんからのコメント
社長の推しポイントアンケートの結果です。
・とにかく健康オタクで、社長と会って話をするたびに健康についての食べ物や運動などについて理解が追い付かないほどいろいろなことを教えてくれます。自分で人体実験をして効果を確認し効果のあったものを社員に(半ば強引に)教えて実践して健康でいてほしいと思ってもらえていると感じています。
・自分は本社でなく営業所にいますが、よく社員一人一人のことを見てくれているなと感じます。会社の方向性を常に示してくれ社員全員が同じ方向を向けるように言い続けてくれています。あと、健康オタクで筋肉が発達しています。
・自分の父親よりもスタイルがよく健康志向な社長です。あとは、常に自分を持っていて軸がぶれないところがすごいなと思います。典型的な日本人にありがちな周りに合わせるということを必要以上にしないと思います。
・どんなことでも頭ごなしに拒否や否定をされたことはなく、多くのチャレンジをさせてもらえているなと思います。声が大きくていつも元気、自分だけでなく周りを元気の渦に巻き込みながら、健康オタクで社員の健康管理も気を使ってくれて、食事や運動のアドバイスを常に発信してくれています。
・社長自身がいいと思ったことは結構強引に進めてくることもありますが、強引さの裏には優しさがあるように感じます。
・常に元気で、社長と話をすると人の健康をベースにした考え方を持ち、健康であることのすばらしさを教えてくれます。10年先を考えて物事を話してくれているように感じます
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COMPANY PROFILE
- 社名
- 兼弥産業株式会社
- 設立
- 1972年2月29日
- 社長就任
- 1991年9月7日
- 業種
- 製造業
- 事業内容
- プラスチック製植木鉢製造販売/新しい農業生産システム開発販売/トマトなど青果販売/世界中の花・野菜の新品種輸出入/環境に負荷のかからない農業用資材販売・輸入販売/ほかにも細かくいろいろと・・・
- 提供価値
- 主に農業分野に対して他にない変わった商品を開発販売し、使用してもらうことでユーザーが経済的に儲かり、その商品を使い続けてもらうことで間接的に環境への負荷を軽減する商材群の提供
- 本社
- 愛知県知多郡南知多町豊浜須佐ヶ丘34
- 活動エリア
- 愛知、全国、全世界
- 社員数
- 合計100名 67名(正社員・役員など) 33名(パートさん・研修生) 2023年8月時点
- 採用情報
- エン転職 ぱそな