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大阪府大阪市

株式会社クラウドビューティ

代表取締役CEO

望月 雅彦

MASAHIKO MOCHIZUKI

美容家が活躍できる環境作りを

美を生み出す人たちが益々活躍していける環境を作りたいと考えています。この業界は結婚や出産で現場から離れた人が、戻りにくいとされています。たとえ独立しても、自分でスペースを借りて、顧客を獲得して、広告を出すことは非常に困難であり、自活できる人は限られています。
環境が整っていないことで、能力のあるベテランの熟練技術者が業界を去るのは非常に惜しいことです。そのために必要なサービスを提供します。フリーランスの人に仕事を振ったり、集客を手伝ったり、場所をシェアしたりすることで仕事ができる環境を供給したいですね。そして、休業補償など、技術力の高い人が戻ってきやすい世界を作り、業界を活性化させるバリューチェーンを作りたいと考えています。
私たちのサービスで現場に戻り、美容家の経験を積んでもらえるとうれしいです。美容家が生き生きと活躍し美を生み出す世界を夢見ています。

FAVORITE

CEO STORY

Q1

A. あなたをよく知る人物(家族・従業員・友人など)に紹介してもらってください。(他己紹介)

社長は、常に普通の人では気が付かないような私たちが聞いて「ハッ」とするようなことを自分の言葉でわかりやすく発信し、私たちに進むべき方向を示してくれる頼もしい存在です。これまで事業を続けていく中で、乗り越えなければならない困難には何度もぶつかってきました。しかし、社長は障壁にぶつかる度に突破口を見つけてそれを乗り越えてしまうのです。それだけではありません。失敗を逆手に取ってバネにし、そこから更にヒントを得て新事業を構想して実現するという天性の起業家としての才能と魅力を持っています。1つの大きな船に乗り、少しずつメンバーが増え共に航海する仲間のような会社になったのは、このリーダーあってこそだと感じています。経営者だからこその厳しい一面もありますが、どんなときも最後には皆を笑顔にするキャラクターであることも、社長が皆に愛される理由です。

Q2

B. 上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか (350文字以上 推奨)

シャーロックホームズで言うワトソンのような存在というのがぴったりです。「あ」、「うん」の呼吸で働くことのできる、気の置けない最高のビジネスパートナーです。当社での在勤歴は20年以上になります。私と会社を運営する上で喜怒哀楽を共有し、酸いも甘いも共に乗り越えた当社の歴史を網羅する会社の生き字引のような唯一無二の存在です。こと当社のことに関しては、AI以上の情報を蓄積していることは疑いありません。ほぼ新卒に近い第二新卒で入社し、当社でのキャリアを末端からスタートさせています。その後、様々な部署での勤務経験を経て業績を出し、今ではその実力を最大限に発揮して取締役として会社を牽引してくれています。彼はその働き方と生き方で、後進への当社でのキャリア形成の具体的なイメージを体現しているロールモデル的な存在です。

Q3

C. 事業内容を詳しく教えてください

当社のスローガンである「美を生み出す人たちと共に、未来をつくる」の実現のために、美容業界で活躍するサロン、美容家、美容メーカーなど向けに様々なソリューションを提供しています。
①美容サロン向けソリューション事業:
・予約管理、会計、売上管理、顧客管理クラウドサービス「BEAUTY POS」
②美容フリーランサー向けソリューション事業:
・施術スペース提供サービス美容シェアサロン運営「OASIS RESORT SPA」
・美容専門スペースマッチングサービス「BEAUTY SHARE」
・ネット予約やキャッシュレス決済クラウドサービス「BEAUTY POS FREELANCER」
③美容メーカーとサロン、美容家をつなぐソリューション事業:
・会員制美容専門ECショップ「BEAUTY SHARE PRO SHOP」
 上記にあげた主要事業を軸として、美容業界で活躍する皆様のニーズに答えるべくシステム開発の構築に日夜励んでいます。

Q4

D. どんな学生でしたか

子供の頃からとにかく好奇心旺盛で、何でも一度は自分で試してみなくては気が済まないタイプでした。スポーツに関しても、小学生の頃は少年野球や剣道に励み、中学生は軟式テニス部、高校生になってからは、ラグビー部に硬式テニス部、卒業後は、冬はスノーボード、夏はサーフィン、ウェイクボードにチャレンジしていました。アルバイトも同様で、レストラン、ラーメン屋、イベントスタッフ、工事現場、たこ焼き屋の屋台の店員など、とにかくいろいろな業界で働きました。大学生になると友人とBARを経営したり、アパレルブランドを立ち上げたりと、寝る間も惜しんでしたいことを何でもやっていました。今でも、そのスタイルは変わりません。父親からは、「いつか何かしでかすのではないか」と心配され、祖母からは「あんたはコンビニか!」と言われるくらい、とにかく24時間全力体制で活動していました。

Q5

E. 学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください

学生時代からなんとなく、将来は父が経営をしている建設会社を継ぐものだと思っていました。実際、高校卒業間際に父が病気で倒れ、一時は危篤状態となったので、慌てて大学受験を諦め、技術士の資格取得のために専門学校に入学したくらいです。幸いなことに、父の体調が改善したので、専門学校で資格を取った後は大学に進学しました。大学を卒業したら父の会社に入るものだと思っていたので、大学生の間にいろいろな経験を積んでおこうとあらゆるバイトや事業の立ち上げに挑戦しました。ところがいざ大学を卒業して父の会社に入ってみると、父からおもむろに「建設業界はこれからDX化の流れが来るぞ、お前はITの会社を立ち上げるんだ!」と言われ、入社2か月後には新会社を設立することになったのです。結局、それからも父の会社とは合流することもなく、2代続いた父の会社はリーマンショックで50年の歴史に幕を閉じ、私の会社の紆余曲折の上、何とか無事に創業26年目を迎えることができました。父があの時そもそも「社会のDX化を見据えた会社を作れ」と言わなければ私は今ここで社長をしていないわけで、当時の父の事業家としての先見の目の深さには驚くばかりです。

Q6

F. 最近感情が動いたエピソード

私には長女と長男、次男と3人子供がいます。特に一番下の息子と私は、勝気な性格がよく似ていて些細なことでよくぶつかります。でも、夏シーズンが始まるとウェイクサーフィンは、部活の予定がなければいつも私についてくるのです。何度もひっくり返って溺れそうになっても、ひるまず果敢に波乗りにチャレンジする姿には、密かに勇気をもらい感動しています。息子とどこかに行く時は、色々な情報交換をしながら(サーフィン、テニス、格闘技、マーベル好きと私のコピーのように趣味も似ている)和気あいあいと目的地までドライブしています。テニスショップに行った時にも一緒に付いてきて、新しいラケットを買ってほしいというのです。息子が持っていたラケットに目をやると、私とじデザインのラケットだったので、「あれ?俺のと同じ色やん?」と言うと「パパと一緒のだと上手くなれそうな気がするねん」と、気が付けば持っている物も私とお揃いものが最近増えた気がします。一生懸命私の後を追う姿がなんだかとても愛おしくて、この子のためにも一層格好良い父でいたいと思い心がグッと動きました。

Q7

G. 汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)

経営危機という波は、幾度となく訪れます。起業をしてから26年の歴史の中で振り返ると、小さな波は5年周期で、大きな波は10年周期で押し寄せてきているような気がします。これまでの最大の危機は何かと問われれば、それはリーマンショックによる大打撃です。リーマンショックには、世界中がそして日本がその余波を受け、当社にも天変地異が起きたかのような衝撃が走りました。それまで好調であった業績も売上は60%ダウン、半分以上の社員が職場を去り、資金繰りも急激に悪化、銀行返済もままならないといった地獄が予告もなしに訪れたのです。取引先も倒産が相次ぎ、詐欺まがいの提案や社員の裏切り、そして父の会社の倒産、実家も担保に取られなくなるというもうこれ以上何が起きてもおかしくないどん底の状態に陥りました。それでも、その苦境から這い上がったと思ったら、またコロナ禍と言ったように、10年後には、別の大きな波が来るのです。こうやって考えてみると、会社経営とは終わることなくつきつけられる課題への果敢な挑戦の連続だとつくづく思うのです。

Q8

H. 経営危機をどのように乗り越えましたか

経営危機を乗り越えるために、私が真っ先に取り組んだことは事業モデルの抜本的な転換でした。これまでの受託型の事業から脱却し、自社サービスへの切り替えを行いました。事業をSaaS型のクラウドサービスによるストック型収益モデルに切り替えたところ、これがクライアントのニーズにみごとにマッチしたのです。それだけではありません。新たな市場を作り、安定した収益モデルを構築することができたのです。当時の私の事業方向の転換に、金融機関は融資に前向きではありませんでした。私は自ら開発費用を捻出し、営業を行い、クレームが来ればそれは改善の良い機会だととらえて顧客が納得するまで改良しました。苦しい中でも嬉しかったことは、これまで仕事を通して関係を築いてきた取引先や企業が、支払条件を分割にしてくれたり、投資や融資でと当社を応援してくれたことです。当社の将来性に賭けて、前払いを申し出てくださった顧客もいました。おかげで、業績が思った以上に早い時期に回復し、金融機関の融資も完済することができました。何の足かせもなくなった当社は水を得た魚のように、クライアントの事業を強力にサポートする新しい事業の展開に集中することができました。

Q9

I. 社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い

創業した頃はたった一人でした。朝から晩までパソコンの前でひたすら、必要な情報をネットで集め、これだと思う本を読み漁りひたすら経営とは?事業とは何か?と考えを巡らせる毎日でした。一人でできることは限られています。自分の無力さを感じる日々に、それでも毎日一歩ずつできることをコツコツと続け、ふと気が付くといつの間にか社員が増え、今では20年クラスや10年クラスの社員も出てきました。一人では成しえなかったことが、今では同じ目標を持った仲間と一丸となって同じ道を進んでいくことができることに感謝しています。あの孤独な日々がなければ、今のこの現状にこんなに感動することはなかったでしょう。有り難いことに当社を卒業した社員もいまだに何かにつけて手伝ってくれることも多く、私は人に恵まれていると本当に感謝しています。私が家族のように思っている社員の家族も、また家族です。その家族の笑顔を増やすためにも、これからも社員一人一人の力を最大限に引き出し、皆が輝けるような組織を作っていきたいと考えています。

Q10

J. リーダーシップのスタイル

私がいつも肝に銘じているのは、「率先垂範」です。読んで字のごとく、誰よりも率先して模範的な行動を示すことです。私も人間ですから、全てにおいて模範的な行動ができると豪語することできません。ただ、一つだけ心掛けていることがあります。それは、「自分の考えで行う新しいチャレンジは、自らが責任を持って推進する」です。自分の立ち上げる新しい事業は、自らの手で一から設計しています。その事業が軌道に乗るまでは社員を巻き込まず、外部リソースを使ってでも別のチームを編成し、収益化が見えるところまで進めるようにしています。結果が見えない場合には早々に撤退し、事業化が見込めれば担当を任せたい社員にプレゼンし、納得がいくまで議論を交わします。社員の側からしても社長の思い付きや押し付けられた仕事だという思いのままでやる気を出してその事業に打ち込むことはできないからです。もちろん、その逆もしかり。社員のアイデアから生まれる事業もたくさんあります。オールマイティな社長と違い、社員が限られたリソースの中で自らがプレゼンし、私を納得させる根拠を示してくれます。それこそが、私の「率先垂範」の真の成果だと考えています。

Q11

K. 事業を通して実現したい夢

事業とは、永続的に発展していかなければならないものだと考えています。しかしそれは、決して普遍的な事業モデルを作るという意味ではありません。事業は、生物の進化と同様に時代の流れに対応し、柔軟に変化し、時には原型を留めないほどに形を変えなければ生き残ることができないという意味です。それが実現できれば、事業は水平展開も可能だと考えています。事業が永続的に発展するということは、つまりは提供するサービスがアップグレード可能であり、ビジネスを発展させることでまた新しいビジネスが生まれ、それが今までよりも便利なサービスを生み出し、更にそのサービスが新しい経済圏を作っていくようなものだと考えています。今、私たちは「美を生み出す人たちと共に未来をつくる」をスローガンに据え、美を生み出す人たちが益々活躍できる環境をつくるために必要なあらゆるサービスを生み出すために心血を注いでいます。スキルを持った人材が、その能力を最大限に伸ばして活用することができる環境づくりのサポートが当社の使命だと考えており、自社自身にもそんな人たちが集まり、それぞれが広く活躍の場を広げていけるような場にしたいと考えています。

Q12

L. 夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり

夢を形にしようとする時、私はまず事業のその先の全体像をイメージするようにしています。そのサービスは部分的に魅力的を持っているものではなく、全体を見回しても最適なものであるか、その事業は永続的な発展が見込めるような成長性や拡張性があるかなど詳細までイメージするのです。頭の中のバーチャルな世界で具体的に事業やサービスを設計した後は、収支計画も自ら行い率先垂範して自らテストマーケティングを実行することを心がけています。これが「私のこだわり」であり、それを実務レベルまで落とし込めることが「私の強み」であると考えています。しかし、それを事業として実際に勧めていくためには仲間である社員の力が必要です。事業を加速的に大きく伸ばすために、いつまでもその事業を私の手中にとどめずに、自分の手から放して適切なタイミングで適切な人にそれを潔く渡すと決めていることも私のこだわりです。

Q13

M. 社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること

私は常日頃から、近江商人のモットーである「売り手よし、買い手よし、世間よし」を意識し、私たちの事業が社会貢献となっているのかを考えるようしています。今後の事業収益に十分な余裕が出た段階で、様々な社会貢献活動に予算をつけ支援を行っていきたいと計画しています。現在は、SDGsの達成を意識しながら自社のサービスそのものが社会や地域に貢献し、当社の事業が「持続可能な世界」の実現と少しでもリンクできることを目指しています。当社の規模ではできる範囲が限られていますが、「美容」の分野に関しては当社の力を結集してその発展に尽力していきたいと思っています。当社活動のメインテーマは美容業界で働く人たちが時間や環境に左右されることなく、身に着けたスキルを最大限に発揮して活躍ができる場所の提供です。コロナ禍で、雇用の形態や働き方が大きく変化しました。変化する社会の中で未来を見据えた美容業界の在り方を、サロンや美容家と共に創ることが私たちの喜びです。

Q14

N. 自社の強み、面白い制度

自社の強みは、良い意味で風通しが良く、自由度も高く働ける環境です。普段から自由に意見が言いやすい文化の会社ですが、各自が自由に意見を出すことができる定例の場も設けており、社員の担当部署や個人的な事情にも柔軟に対応できる環境です。当社は、システム開発や営業、シェアサロン運営やパーソナルジム運営、そして美容家の独立支援など、美容業界向けに多岐に渡るサービスを提供しています。社内では、業界用語が飛び交い、業界特有の文化が複雑に絡み合っています。このような環境の中で社員が一つの目標に向けて仕事を進め異なる文化がぶつかりあうことで、新たな発見や発想が生まれることも多々あります。面白い制度と言えば、当社は多岐にわたる美容健康関連のサービスや商品を扱っていますので、社員が関心を持った商品やサービスを手軽に実体験できるように、無料とはいかないのですができるだけ入手しやすい価格にして社員の美と健康の維持に役立ててもらっています。

Q15

O. 若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ

若い人には、とにかく何事にも結果を恐れずに挑戦していってほしいと思っています。自分自身の若い頃を振り返ってみても、若いからこそ味わう苦労や若いからこそ許される失敗というものがあります。その苦労や失敗をフォローするために、経験豊富な諸先輩たちがいるのです。苦労や失敗を重ねてきた諸先輩法からのサポートや貴重なアドバイスを遠慮せずに求めて、苦い経験も失敗も成長への糧にしてください。そして、自分だからこそできるという得意技を早く見つけて伸ばしていってほしいと思います。当社はまさに社員一人一人が成長していける環境、すなわちスキルフルなスタッフによる”最強の船団”をつくることで目標を達成することができる集団です。柔軟な発想と無限大の可能性を持っている若い仲間と一緒に、“若い仲間が成長する姿と会社の成長”をこの目で届けたいと思っています。

Q16

P. 家族へのメッセージ

会社設立以来、会社が上向きに下向きに浮き沈みする中で変わることなく支えてきてくれた家族は、何者にも代えがたい私の宝物です。家族には、感謝の気持ちでいっぱいです。家族は、私の前に立ちはだかる障壁に時には足がすくみそうになる私に「諦めてはいけない」と奮い立たせる勇気をくれました。家族がいなければ、乗り越えることができなかった危機がこれまでどれほどあったことでしょう。その家族に恩返しするためにも一日も早く事業を通して叶えたい夢を実現させることが自分に課せられた責務だと考え、日々全力で働いています。妻と出会ってからの月日と社歴も同じ26年。3人の子供たちも大きな病気も怪我もせず素直にすくすくと育っているのは、私が仕事に明け暮れている中でも妻が家庭をしっかりと守ってきてくれた証です。子供よりも子供でやんちゃな私ですが、きっちりと仕事で成果を出し近江商人の経営哲学をバージョンアップさせた「売り手よし、買い手よし、世間よし、家族よし」で頑張りたいと思いますのでこれからもよろしくお願いいたします。

COMPANY PROFILE

社名
株式会社クラウドビューティ
設立
1999年6月1日
社長就任
1999年6月1日
業種
サービス業
事業内容
美容健康業界で活躍する人たちをサポートするために必要なあらゆるサービスを提供する
提供価値
美を生み出す人たちと共に未来をつくる
本社
大阪府大阪市中央区南本町2-9-9 辰野南本町ビル6F
拠点活動
https://cloudbeauty.co.jp
活動エリア
大阪府
社員数
18人(パート、契約スタッフ含む)
採用情報
新卒、中途、インターン、パートなど