PROFILE
企業名
有限会社福井事務機
お名前
福井 孝幸
生年月日
1974年9月10日
出身地(都道府県)
出身校
和歌山大学
あだ名
たかちゃん
自分の名前の由来
名前から
夢
感性を大切にして私たちの住みやすい、楽しい環境を作る
社名の由来
福井事務機:70年前は事務機がナウかった SKY: 美容とファッションを通じて心のゆとりを感じる
人生成分6つのキーワード
経験、感受性、気づき、ありのままの自分、視野の広さ、好奇心、本来の自分を知る、
部活、特技
日常にスパイスを加えれること、創意工夫、空想、
趣味
海外旅行、仕事、スポーツ、恋愛、投資、企画
尊敬する人
岡本太郎
人生のバイブル
アルケミスト
テーマカラー
ピンク
パワー飯
生レバー、生ガキ、ウナギ
好きなお菓子
ポテトチップス
底力の源
もっとこうなったらいいのに
カラオケ十八番
藤井風邪 旅路
苦しいとき励みになった経営のテーマソング
on my own
自分を動物に例えると
渡り鳥
好きなファッションブランド
ルイビトン
子どもの頃の夢
商売人
生まれ変わったら何になりたい
国王
休みの日の過ごし方
好きな人と
CEO STORY
Q1
A. あなたをよく知る人物(家族・従業員・友人など)に紹介してもらってください。(他己紹介)
社長のビジョン・哲学は「お客様、お取引先、社員と家族からありがとうがもらえる人づくり経営」。この信念のもと、社長は通販業において大胆な投資を実施。
リスクを恐れず、果敢な決断を下すことで売上の大幅な増加を果たしました。さらに、3代にわたる家業の3代目としての事業継承は、決して容易な道のりではありませんでした。
困難な時期も存在しましたが、20年の歳月をかけてITや働き方のトータルコーディネートにより、利益を創出できる企業へと育て上げました。
働く人に向けて社長は言います。「仕事は自己実現の場である」と。私たちが生活の中で多くの時間を費やす仕事は、ただの生計の手段ではなく、自らを表現し、成長する場所と捉えています。
この信念に基づき、社員一人ひとりが自己実現を果たせるような環境を整える経営を心がけています。
また、社長の趣味・特技は非常にユニークです。DIYに精通し、新しいことに挑戦する姿勢「とりあえず何でもやってみる」を持つ彼ですが、その結果は、驚くほどの成功がありました。
例外として、彼がこよなく愛するゴルフだけは、少々苦手な模様。しかし、その人柄や多様性を尊重する考え方、そしてフレンドリーな性格は、多くの人々に親近感を抱かせています。
特に海外では、ラテン系の人々に間違えられるほどの熱量と情熱を持ってコミュニケーションをとり、国境を越えた人々との絆を深めています。
Q2
B. 上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか
営業本部長の若槻さんです。彼は、私と同じ時期にこの会社へ入社したいわゆる同期になります。若槻さんは、専門学校を卒業後新卒での入社です。ネットワークや情報システム、パソコン関連などITの分野で活躍し、今では当社の屋台骨であるシステム構築事業を支える主力の人材となっています。若槻さんは、私と同じ価値観を大切にしています。それは、成果に対して平等であるということ。そして、人を育てるために機会を与え、簡単には諦めてしまわずに支援していくということです。この価値観が共有できるので、お互いの思考が整っています。仕事における判断基準も共通なので、安心して仕事を任せることができています。年齢で言えば若槻さんは10歳年下になりますが、会社のNo.2として社内をしっかりまとめてくれています。彼ほど信頼できるパートナーは、他にいません。
Q3
C. 事業内容を詳しく教えてください
主な事業は、官公庁や民間企業などのネットワークインフラの構築、保守そして付随する事務機器やネットワーク機器の販売・修理です。オフィス用品の通販サイト「アスクル」の正規代理店として全国の企業とお取引させていただいているほか、iPhoneの修理・バッテリー交換を行う「スマホスピタル米子」、資格試験の運営など、幅広く事業を展開しています。創業者が事業を始めたころは、行商のように一軒一軒のお宅を訪問し文具を売り歩いていました。その当時、ビジネスの主流がEコマースになるなどと誰が思ったことでしょうか。時は流れ時代も人の生活も変わる中、当社はまもなく創業70年を迎えます。すでに文具を直接取り扱う事業は行っていないのですが、現在の主力事業であるオフィスの最適化という分野で、お客様とともに未来に向かって歩み続けています。
Q4
D. どんな学生でしたか
子どものころから、将来は商売人になりたいと思っていました。小学生のころには、友人たちに実家で仕入れた最新の文具を市場価格より安く販売して喜ばれていました。また、新聞の「売ります・買いますコーナー」では、自分がクリアしてしまったゲームソフトなどを販売してお小遣い稼ぎをしていました。
高校卒業後は、和歌山大学経済学部へ進学しました。大学時代は、本当にいろいろなことに挑戦しました。スカイスポーツやサッカー、器械体操などさまざまなサークルも立ち上げました。アルバイトで塾の講師もしていましたし、教員免許も取得しました。あのころは、有り余る若いエネルギーを発散するかのように、とにかく休む間もなく活動していました。大学の単位も120単位くらい取れば十分なのに150近くの単位を取り、大学4年生の時には、カナダのトロント大学への留学も果たしました。目まぐるしくも、充実した大学生活でした。
Q5
E. 学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
大学時代にカナダに留学しましたが、卒業後も1年間アメリカのニューヨーク大学へ留学しました。社会人留学という枠組みで留学したのですが、そこでのカリキュラムは社会人がさまざまなビジネススキルを学ぶというものでした。日本への帰国後は、事務機器メーカーの「株式会社リコー」へ就職しました。そこでは、営業をメインに新規事業の立ち上げや販売店の支援などを担当し、6年間在籍しました。そんなある日、実家から米子に戻って会社を継がないかという話がありました。当時、父親が社長をしていた福井事務機の財務諸表を見たところ、お世辞にもとても良好といえる状況ではありませんでした。私はこれまで好きなようにさせてもらってきたし、親孝行のつもりで会社を立て直そうと実家へ戻ることに決めました。父が社長の会社でしたが、私は一般社員として入社をして数年間は現場での業務を経験しました。その後、私は専務職を経験した後に2009(平成21)年8月社長に就任しました。
Q6
F. 最近感情が動いたエピソード
以前の私は、今とは全く違う性格でした。当時の私は精神的な成長が遅れていたというか、自分に少しも自信が持てずにいたのです。それまでいろいろなことを経験してきて、できることもたくさんあったのに、なんとなく自信が持てず本音で話せないでいたのです。社長として自信のない姿は見せられないと強がって、人からの評価ばかり気にしている、そんな人間でした。ある時、私はその自分の弱さに気づき、社員一人一人と面談をすることにしました。社員と話す中で私は自分が思っていることを正直に、そして丁寧に話しました。そうすると、社員の方からも私に悩みを打ち明けてくれるようになったのです。結局、自分を信用することができていなかったから、相手を受け入れる余裕がなかったのだということに気づいたのです。それ以降は相手の気持ちに寄り添い共感できるようになり、自分自身も肩ひじを張らずに仕事ができるようになったのです。
Q7
G. 汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
幸いなことに、今まで会社が傾くような危機に遭遇したことはありませんが、採用した人材が次々に退職してしまうという時期があり頭を抱えたことがありました。新入社員は面接で私と話し、思い描いたイメージと希望を持って入社をします。その後、実際に働き出してみると、面接時に抱いたイメージと実際の業務に大きなギャップを感じてしまうようなのです。その時期は、私自身が会社へ足を運ぶことも少なく、新入社員との関わりが薄くなっていた時期でした。また、今と違って以前の私は、自信のなさから周囲に壁を作ってしまっていたので新入社員の心の内側までケアできていなかったことも原因だと思っています。業績が悪化したということはありませんでしたが、大切な人材をうまく育てられず能力を発揮させてあげられなかったことは、数字では表せない大きな損失だと反省しています。この経験をいかし、社内の環境整備にも心を配るようになりました。
Q8
H. 経営危機をどのように乗り越えましたか
自分の殻を破ったことで人間関係も良好になり、仕事も円滑に進むようになりました。私の場合、すべての原点はそこにあるのだと感じています。自分が動いて働けば、ある程度の業績は見込めると思います。でも、それではいずれ頭打ちとなり限界を迎えることは目に見えています。人を信頼してその人たちに仕事を任せるということができなければ、企業のさらなる成長は期待できません。以前の私は、それができていなかったのです。その重要な問題に気づくことができなければ、会社を成長させることはできません。つまり、私自身の成長が、全ての鍵であったのです。幸いなことに、私は今まで深刻な経営危機に直面はしていません。しかし、今までなかったからといってこれからもないとは言い切ることはできません。会社が危機に直面してもそれを乗り越える体力をつけるためには、会社を成長させ業績を伸ばし続けなければなりません。そのためには社員を信頼して仕事を任せることも含めて、まず社長である私が成長し続けることが大切なのです。
Q9
I. 社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
社員は本当に大切な存在で、全ての社員に愛情を持って接しています。みんなそれぞれ能力も違うし個性も違います。それでも共通して言えることは、社員全員が優しい心の持ち主だということです。それは、私自身に足りない物だと自負しているので、みんなの優しさに日々感謝しています。たくさん頑張れる人や頑張りを小出しにする人など個性はさまざまですが、どのような人であれ素晴らしい個性を持つ社員一人一人が私は大好きです。社員たちが、それぞれにやりたいことをみつけ、存分に能力を発揮できる職場環境を作ることが私の役割です。企業は、ただ大きく成長するだけを目的にしているのではありません。そこで働く社員たちが、それぞれに自己表現や自己実現できる場所であることも企業としての大切な役割ではないかと感じています。
Q10
J. リーダーシップのスタイル
以前の私のリーダーシップのスタイルは、スタンドプレーを地で行くものでした。周囲の意見は聞かず、自分が切り開いた道についてこいというタイプだったのです。それが今では考え方も変わり、余裕を持って社員の仕事を見ることができるようになりました。社員が考えること、行動することを見守るというか、社員が私に提案してきたことを受け入れて一緒にやる心の余裕ができたのです。例えば、この「社長チップス!」の取材もそうです。今回は、私の方から「こういう案件があるけれど、どうする?」と社員に尋ねてみたのです。そうすると、私から質問をされた社員はその効果などを一生懸命に考え「面白そうだから、ぜひやりましょう」と答えてくれたのです。社員の答えを待って、動き出すという意見共有型のリーダーシップです。社員が失敗してもいいですし、むしろ失敗してほしいとすら思っています。つまりやってみて失敗させるリーダーシップです。失敗から学ぶことが何か一つでもあれば、それもまた成長につながります。
Q11
K. 事業を通して実現したい夢
会社を受け継いだ当時、将来は上場したい、100億円企業にしたい、社会に必要とされたいなどという夢を描いていました。しかし今では、社員から「自分の子どもたちをこの会社で働かせたい」と思ってもらえる企業を目指しています。私も、心の中で将来自分の子どもたちをここで働かせたいなと思っていました。そんなことを考えていたある日、社員の一人から唐突に「社長のところで、うちの息子を働かせてもらえませんか」と相談されたのです。その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中では驚きと共に信じられない気持ちでいっぱいになりました。私が自分の子供がそうであればよいのにと心の奥底で考えていたことを、この社員も考えていてくれたのかということが嬉しくて、その日は一日中涙が止まりませんでした。これからも、そういった社員が一人でも増えてくれたこれ以上の喜びはありません。1人でも多くの社員が自分の子供を就職させたいと思える会社になるように、これからも社員にとって働きやすい会社づくりを目指します。
Q12
L. 夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
社会全般にかかる大きな話題になるのですが、私は昔からこの世の中には理不尽なことが多すぎると感じています。社会の構造だとか法律、税金など、勉強すればするほどその理不尽さを強く感じるのです。普段の生活においては家族関係や人間関係に縛られ過度に期待されることや、地域社会における束縛などもそうです。そういった、理不尽さや束縛感には時折息苦しさを感じてしまいます。私は、もっと自由でありたいし、何でも自分で選べる社会で生きていきたいと思うのです。会社も同じで、社員を過度に束縛し、居心地の悪い環境であってはなりません。福井事務機では、社員の自由度はできる限り高くしています。社員の考えを否定したり、私の考えを押し付けたりするようなことも一切しないように心掛けています。「自由な社風」にこだわり、社員の働きやすさや居心地の良さを常に追求しながら会社づくりをしています。
Q13
M. 社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること
2021(令和3)年1月に「有限会社福井事務機 SDGs宣言」と題したスローガンを発表しました。当社ではそのコンテンツを「お客様の求めるサービスを」、「You are Our family」「公正な事業慣行」、「山陰をもっと元気に!」の4つに定め、それぞれのテーマに、SDGs17の目標を組み込み取り組んでいます。「山陰をもっと元気に!」では、「カーボンオフセット」へのチャレンジとして「日南町有林J-クレジット」を購入しています。この日南町有林J-クレジットは、購入するとカーボンオフセットが達成されるというものです。当社でも、過去に3回ほど購入しました。このほかにも、当社ではさまざまな形でSDGsに挑戦しています。地域貢献では、「米子がいな祭り」や「けやき祭り」などへ参加。そのほかにも地元への寄付活動、清掃・交通安全活動など積極的に地域活動へ関わり、地域レベルでSDGsの振興に取り組んでいます。
Q14
N. 自社の強み、面白い制度
プチ社食を導入しています。ちょっとした食べ物を安価に購入できるのでお弁当の足しにもなりますし、それだけでランチ代わりにもなります。コンビニよりも安く購入できるため、社員からは大変好評です。他にもユニークな制度として、社員が自由に利用できるトレーニングジムを社内へ設置。日頃の運動不足解消や健康促進に役立てています。こうした取り組み以外にも、当社では特に女性社員が働きやすい職場づくりを推進しています。これからの時代は女性が活躍する時代です。子育てしながらでも、女性が自分らしく生き生きと働ける制度を積極的に取り入れることでワークライフバランスの推進にも積極的に取り組んでいます。日々、職場環境の改善を重ねていることが功をなし、社員の定着率も年々上がっています。これからも社員が働きやすい職場になるように、より良い環境整備に取り組んでいく予定です。
Q15
O. 若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
私は、この会社以外にも商業ビルの会社を運営しています。ビジネスの楽しいところは、社会に必要なものや新しいものを作りだすことができることです。言い方を変えると、ビジネスで自分の環境や人生そのものを変えることができるということです。もっと言えば、社会そのものを変えることができる可能性すらあるのです。自分を変えたい、社会を変えたいと思う若い人にとって、ビジネスはとても有効な手段です。また、ビジネスでしかそれらは達成できません。若い人は、これから歩む道を無数の選択肢から選べます。その中で自らビジネスを手掛けるという選択をすれば、世界は無限に広がっていくことでしょう。仮に失敗したとしても、そこから学んでまた新たな一歩を踏み出せばいいのです。臆することなく、チャレンジしてください。これからの時代を生きる若者には、ビジネスの醍醐味を知り新たな未来の第一歩を切り開く人になってほしいと願っています。
Q16
P. 家族へのメッセージ
私には、3人の娘がいます。仕事ばかりで、家庭や子育てのことにはあまり関わることができずに家のことは妻に任せきりです。そんな妻には、心から感謝の気持ちを伝えたいです。家事をしながら3人の子どもを育ててくれて、本当にありがとう。
私がまだ幼いころ両親が離婚しました。私は父方に引き取られ、祖母が私を世話して育ててくれました。父は、これまで私がやりたいと思ったことをすべて経験させてくれました。そんな、祖母や父にも心から感謝しています。実家に戻り家業を継ぐと決めた時には、これまでの恩返しをしたいという強い気持ちもありました。私が、社長になって10年以上が経ちます。経営も安定し企業として成長できた今、少しは親孝行ができているかどうか父に尋ねてみたいものです。これからも父から受け継いだ福井事務機を発展させ、更なる親孝行に励みたいと思っています。