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大阪府

錦城護謨株式会社

代表取締役社長

太田 泰造

TAIZO OTA

みんなの可能性の種が開花する世界へgame change

私は「日本らしさ」を追求できるようなものづくりの会社を目指しています。日本が古くから大事にしているサステナビリティ
良いものを作る技術で、大事に長く使ってもらえる製品を作る
それが、大量生産・多量消費を良しとするマインドをチェンジしく事に繋がっていきます。また、「売り上げが高いことが良い会社」という企業評価はどうでしょう?たくさん作って、たくさん捨てて、売り上げを上げることが良い会社なのか、本質を見極めないといけない。私個人としては大した発言力もないですが、そんな新しいメーカーの形を提言・発信していきたいと思っています。

FAVORITE

PROFILE

  • 企業名

    錦城護謨株式会社

  • お名前

    太田 泰造

  • 自分の名前の由来

    おじいちゃんの富造から一字もらった

  • 社名の由来

    錦城とは、大阪城の別名で、創業者が豊臣秀吉のように天下を取れる会社にしたいとの思いから錦城と名付け、ゴムにまつわる事業だったので護謨というのをその後につけました。

  • 部活、特技

    大学時代はESS(英語研究会)に所属し、debateを英語でやっていました。特技は分かりやすいと評判のゴルフアドバイスです。

  • 趣味

    ゴルフとアニメを見る事

  • 尊敬する人

    劉備玄徳

  • 好きな映画

    必殺仕事人

  • 人生のバイブル

    歴史書

  • テーマカラー

    ブルー

  • ゲンかつぎアイテム

  • パワー飯

    天丼

  • 好きなお菓子

    モンブラン

  • 底力の源

    覚悟

  • カラオケ十八番

    安全地帯

  • 苦しいとき励みになった経営のテーマソング

    世界に一つだけの花

  • 自分を動物に例えると

    ネズミ

  • 好きなファッションブランド

    Loveless

  • 子どもの頃の夢

    無かった

  • 生まれ変わったら何になりたい

    同じ自分

  • 休みの日の過ごし方

    アニメを見る

CEO STORY

Q1

A. あなたをよく知る人物(家族・従業員・友人など)に紹介してもらってください。(他己紹介)

太田さんとは所属している社歴の長い企業経営者の会で出会いました。新しく入会された太田さんは老舗の大きなメーカーの経営者にも関わらず、懇親会後のカラオケにて諸先輩方の前でも物怖じせず全力で場を盛り上げようとする姿にある種感動を覚えて、興味が湧きお付き合いさせて頂く様になりました。会社見学にお邪魔させて頂いた時にあの時の感動を思い出しました。来訪者に対し事務所スタッフの皆様はもちろんの事、作業されている工場スタッフの皆様まで手を止めて良い笑顔で挨拶をし「ようこそ錦城護謨へ」の気持ちが溢れて出ていたのです。後に採用活動を社長自らが毎年先頭に立って行っている事を知り、社長の熱さに惚れた人材が集まっているのだと確信しました。太田さんは冷めつつある若い世代を熱くする素晴らしい経営者です。

Q2

B. 上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか (350文字以上 推奨)

最初に出会ったのは、銀行系の経営者会でした
オトコマエでオシャレでちょっといけすかん奴なんちゃうの?ってのが最初の印象で
でも話してみたら、めちゃくちゃナイスガイ
仕事もプライベートもすごい真面目で一生懸命で、会社が近くって事もあってメシ食いに行ったり、ゴルフしたり、その内旅行なんかも行ったりするくらい仲良くなりました
気づいたら本人同士だけでなくらお互いの家族ぐるみで付き合うくらいの関係になってます
彼のパッションや行動力はほんまに尊敬してるし、負けたくないって思うライバルでもあります
多分これからもずっと親友でいるんたゃうかな?って思ってる存在です

Q3

C. 事業内容を詳しく教えてください

我々のミッションは、産み出す事で世の中の当たり前を変えたい
産み出すとは、手を加える事で価値あるものに変えること
錦城護謨は、第二次世界大戦前に創業した89年目を迎える会社です。
戦前、戦中、ゴムは軍需統制品でした。そんなゴムを買い付けて関西のお客様にお分けした材料商社が当社のスタートでした。
戦後、物が無い時代、材料をお納めしてる先から言われたのが、この材料でものづくりしてみえへんか?の一言。そこから、ものを産み出すメーカーとしての錦城護謨が始まりました。
さらにものづくり技術を活用し、土木事業へと展開
羽田空港や大阪、関西万博用地である夢洲などの土地づくりに取り組んでいます。最近では、そんなものづくりの技術、土地づくりの繋がりを活かして、福祉事業を新事業として立ち上げています。
誘導ブロックの段差は視覚障害の方にとって大切なサインですが、車イスの方にとってはバリアになってしまうという社会課題をゴムの素材力とものづくり力で解決できるプロダクト開発を進め、インクルーシブな空間づくりに取り組んでいます。
そんなBtoBの会社ですが、とても大きな課題があったんです。
ある時、一人の社員に聞きました。
"何のために働いていますか?"答えは、"お金"でした
そりゃそーなんやけどとても悲しかったんです。こんなにすごい技術とクラフトマンシップで世の中を変えていってるのに一番伝えたい働いてくれてるメンバーに届いてなかったんやなと。そこでうちのようなBtoBの名前も知られてないような会社でも持ってるスゴイとこを見える化、見せる化できないかと考えて、初のBtoCブランドKINJO JAPANを2020年に立ち上げました。
我々が産み出した、世界に唯一無二のガラスにしか見えないのに割れないグラスは、驚きの渦を巻き起こしています。ブランド名のJAPANに込めたのは、日本のものづくりを通して、世界中に日本らしさを伝えたいって想い。
我々が繋いできた"いい物を大事に長く使う"文化は、ゴミを減らし、そして販売量が減る事で原材料消費も減らせます。
僕たちの目指すのは、"物を作らないメーカー"
大量生産、大量消費モデルから脱資本主義への転換です。
みんなの手を加えたプロダクトやプロジェクトをこれからもたくさん発信していきます。

Q4

D.どんな学生でしたか?

学生時代はESSという英語研究会の部活をやっていました。内容は主に英語のディベートです。3年生で部長を任され、中心になって部員を引っ張っていく存在でした。英語のディベートは、大学対抗戦という形で他の大学と交流ができ、私が入った頃は関西予選を通過すると会場がざわめくくらい弱いチームでした。そこから徐々に力をつけ、部長をしていたときには全国大会でベスト8、一つ下の代はベスト4まで行きました。まさに下剋上のように、弱小からトップまで上り詰めることができ、やりがいのある体験でした。部活以外にも、学内外で幹事長や協会の副会長なども引き受けました。小さなコミュニティの中でも人の上に立つ練習をさせてもらえ、組織のヒエラルキーを体感できたのは今に役立っているなと思います。

Q5

E.学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください

大学を卒業して「富士ゼロックス」に入社し、営業職をやっていました。営業の中の「新規営業」で、他社をお使いのユーザーさんに向けて、富士ゼロックスの機械に替えていただく「攻めの営業」です。入社して6年ほどお世話になったあと、今の錦城護謨に戻りました。実は、大学を卒業する前から「営業には向いていない」と、周りにさんざん言われており、私自身もそう思っていました。実際、最初はかなり苦労しましたが、退職するころには営業でトップの成績を出せるくらいになっていました。こちらへ戻ったとき、それまで営業しかやったことがなかったので、経験を買われると思っていました。しかし配属は土木の事業。29歳までスーツを着て仕事をしていたのに、いきなり土木現場で泥まみれ。心身共にしんどかったです。現場作業から管理までひと通り経験した後、本社へ戻りました。営業やマネージャー職を経て土木事業の事業部長、専務へと進み、2009年社長に就任しました。大学の専攻やその後の業種も土木の畑ではなかったので、仕事は苦労しかありませんでした。土木は週休1日で、基本的に月から土まで仕事です。体力的にキツかったですが、だからこそ現場のありがたみが分かるので、いつも従業員には感謝しています。

Q6

F.最近感情が動いたエピソード

実は、基本的に感情が動かない人なんです。なぜなら、普段から、感情が動かないように平坦を心がけています。物事を判断する場面が多いのですが、感情的過ぎると判断ミスに繋がると考えているからです。それでも動く場面はたくさんあって、2022年2月にICCサミットというビジネスイベントのピッチ大会で優勝できたことがめちゃくちゃ嬉しかったです。

Q7

G.汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)

土木事業の責任者をやっているとき、3年続けて赤字になったことがありました。先代である社長に「事業部をたため」と言われるほどの危機でした。私は、先輩たちが何十年も重ねて作り上げてきた事業を自分の代で終わらせることはできないと思ったんです。
当時、土木事業のメンバーは60人ほどいましたが、自分一人ではどうにもする事なんてできません。そこで全員を集めました。「社長から『土木をたため』と言われた。私は絶対に終わりにしたくない。なんとしても継続したいと思っているが、みんなはどうか」と聞いたんです。すると、ある一人の社員がパッと立ち上がって「やりましょう!」と言ってくれました。自分の思いとメンバーの思いは同じだった。気持ちが通じ合ったことが感動的で心が熱くなりました。その場面は、未だに自分の中に強く印象として残っています。
「絶対にやり切ろう」と団結して、単年で赤字3年分の利益を上げました。3年続いた赤字をV字回復したのです。あの時の、あの社員の、心の底から言ってくれたひと言が、何よりもモチベーションになりました。「やり切れる」と考えたのは自分の中である程度の戦略戦術があり、勝算があったからです。でもそれを実現するのは人。人の気持ちが動かないと、良い結果には繋がらないと分かっていました。気持ちの団結が危機を救ったのです。

Q8

H.経営危機をどのように乗り越えましたか

前出の土木事業の赤字を乗り越えたポイントは2つあります。1つは、事業の方向性をどんなふうにアクションしていくのか、という「戦略戦術」です。勢いで行くとか、行けば何とかなるというのは昭和時代の考え方です。戦略戦術は絶対に必要で、無計画では難しいですから。もう1つは「人の気持ち」です。気の持ち方次第で組織は変われると思っています。一緒にやっていく集団の、個々の気持ちが同じベクトルを向くこと。上の指示通りに動くのではなく、物事を自分ごとに捉えることができて初めて最高のパフォーマンスが発揮できると考えています。これは、本当のピンチの時にしかできないのですが、「危機感マーケティング」という考え方があります。瞬発力は出ますが持続力がないので、ずっと使える手段ではありません。でも、経営危機を脱出するためにはメンバーが一致団結するのが良いと思い、戦略戦術と気持ちの両面を最初から考え実行しました。2つの割合は5:5、片輪だけで車は走らないので両輪が必要です。いきなり「やってくれ」と言っても、人は動かない。「上の指示だからやる」というのは、他人事で受け身です。そこに気持ちを入れて「自分ごと」にしてもらうのです。社員の心をつかみ信頼関係を築くには日々のコミュニケーションや、接点をとる積み重ねが大事です。普段から会食などで気軽にコミュニケーションできる場を作ったり、現場に足を運んだりして話しやすい雰囲気を作っています。

Q9

I.社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い

日頃から社員とコミュニケーションをとっているので全員のエピソードがありますが、中でも錦城護謨らしいなと思うエピソードを紹介します。中川さんという技術の取締役がいます。以前、携帯電話の構成部品を作る依頼があった時、取締役全員に反対された案件がありました。中川さんは当時の技術課長で、どうしてもやりたいと思っていた人です。彼は夜中の3時に、上役をしていた弟の家に行き「とにかく話を聞いてほしい」と直談判します。弟も中川さんの熱意に打たれてGOサインを出し、責任は弟が全部持つということで携帯事業が始まりました。難しい技術が必要だったため、最初は9割の不良を出すほど不調でした。10個作って1個しか売れなければ、何のために仕事をしているのか、と社内でも不穏な空気が流れました。しかしその後技術を向上させ、通常の製品並みの不良率になりました。この一件は、難易度の高いものにチャレンジできたということと、やり切るハートが錦城護謨っぽくていいなと思っています。次の日の朝まで待って話しに行けば良いのに「思いついたらすぐ」と夜中の3時でも行動を起こす。そんな熱い気持ちが素晴らしいと思います。

Q10

J.リーダーシップのスタイル

基本的に率先垂範です。自分でやって見せ、背中で引っ張っていくスタイルです。コミュニケーションはウエットで、距離感は近いと思います。他に社長として大事なことは「逃げないこと」。嫌なことや面倒くさいことがあっても、自分の責任から逃げない姿勢が大切です。もし逃げる姿勢を見せてしまったら、総崩れになってしまう。どんな時でも、どんなに苦しくても、歯を食いしばって踏ん張り、前を向きます。経営の考え方は歴史から学んでいます。例えば、どんなリーダーなら人がついてくるのか、どんな政治をすれば国が栄えるか、というのは歴史の中から見出すことができるのです。例えばイエスマンばかりを周りに置く、君主が女性に溺れるなどです。人と時代が変わっても、正解・不正解は本質が一緒。あるべきリーダー像は、歴史から導き出すことができます。また、清く正しいところだけでなく、できない部分や弱さなど人間臭いところも見せるようにしています。どちらをどのくらい見せるかはバランスが大事です。オープンでフラットを心がけているので、隠したり装ったりはしません。ありのままでいます。

Q11

K.事業を通して実現したい夢

戦後導入された資本主義社会では、大量生産・大量消費が良いとされました。「売り上げの大きい会社が良い会社」という中で、日本も経済復興して豊かになりました。しかし、資源を浪費するこのビジネスモデルは、 もう限界を迎えていると考えています。限られた資源の中では、ごみを減らし消費を減らすことで資源の消費も減らせます。これまでのやり方を転換し、自然と共存できるサステナビリティを考えたものづくりにシフトするのです。サステナブルは、いかにも日本らしい考えです。日本は島国で資源がない。日本人は資源のない中でもうまくコントロールしながら、後世も持続していけるように考えて生きてきた民族です。魚を捕りすぎないことや、稲穂は翌年分のモミを残しておくのが良い例です。日本にいる私たちがサステナブルを発信すれば、信ぴょう性があり重みがあります。私は「日本らしさ」を追求できるようなものづくりの会社を作りたい。
大量生産・多量消費を良しとするマインドを、チェンジしていきたいと思っています。 良いものを作る技術で、大事に長く使ってもらえる製品を作る事で、大量生産・多量消費を良しとするマインドを、チェンジしていきたいと思っています。また「売り上げが高いことが良い会社」という企業評価も改めるのはどうでしょうか?
アパレル業界は、年間1億着もの服を捨てていると言われています。その裏には、第3諸国のアジアの国の資源と安い労働力を使って、安く作っている現状があります。沢山作って、沢山捨てて、売り上げを上げることが良い会社なのか、本質を見極めないといけない。私個人としては大した発言力もないですが、新しいメーカーの形を世界に提言・発信に取り組んでいます。

Q12

L.夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり

個人としての強みは「瞬発力」です。一瞬での判断や、瞬間的に発揮する本能的なものです。新しいことをするときにも、良い意味で周りの空気を読まないです。元々、自分が決めたことは実行するタイプで他人にどう思われようとあまり気にしません。新しいことをやるには、都合が良い性格です。社長としてのこだわりは、健康第一。「心技体」という言葉がありますが、私は「体心技」だと思っています。病気がちで健康に不安があったり心が病んでいると、技術やテクニックがあっても経営はできません。体が健康であることは、何より大事だと考えています。そして「社長は会社の太陽」です。いつもニコニコして笑い、みんなを明るく暖かくする存在であるべきだと。人間ですから機嫌の悪いときもあれば、しんどいときもありますが、行動や発言もできる限り太陽でいようと心がけています。

Q13

M.社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること

SDGsは、かなり力を入れて取り組んでいます。長く使える良いものを作ることとゴムの技術を使うことで、社会的な課題を解消しています。福祉事業では、視覚障碍者のための誘導マット「歩導くん」を使ってインフラ整備をしています。取り扱っているシリコンゴムは、カーボンオフ・カーボンフリー。脱プラ・脱炭素という社会に対して、ゴムを使って貢献できています。事業を着実に成長させて雇用を守っていくことも、CSRの一つです。我が社は現在、創業89年目。
100年継続させることを当面の目標にしています。また、地域との関わりも大切です。以前はただ「本社が大阪にある」という感覚でしたが、大阪のこの場所にある意味や意義を考えるようになりました。その場所にあることによって、色々な地域との繋がりができ、コラボレーションが生まれていきます。地域の方、特に子供たちにものづくりの魅力を伝える活動をしているので、地域との接点をつくることも一つのサステナビリティだと考えています。

Q14

N.自社の強み、面白い制度

自社の強みは、製造の上流から下流まで全てのプロセスを自社内でやっていることです。ワンストップで料理が出るまで対応できるという対応力があります。多くの工場は成型なら成型だけをする分業です。そのプロセスを全部自社内でやっています。おかげでいただく依頼は厄介なものばかり。それは難しいものでも対応してくれる、という信頼の裏返しだと思っています。面白い制度は、今どき珍しく社員食堂があることです。社食は一食150円。メニューは日替わりで、メインのおかずが一品。ごはんとみそ汁は食べ放題です。社食について社員同士や家族で話すこともあり「食」の提供をすることで、コミュニケーションに一役買っています。どうせお金をかけるなら、おいしいものを食べてほしい。おいしいものを食べたら生産性も上がると考え、仕入れ先も工夫してカレーの素や麺は業務用を仕入れています。麺は友人のホテルや高級レストランに業務用として提供してるものを特別に仕入れさせてもらってます。
この前はケータリングをし、すし職人に来てもらいました。食事にエンターテイメントがある事で、みんな喜んで食べてくれて良かったです。

Q15

O.若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ

若者に望むことは、経験をすることです。成功も失敗も経験してほしいと思います。このご時世、答えは全部ネットに書いてあります。やる前に調べたら、答えは全部ネットで見つかるんです。だからつい、グーグル先生に頼ってしまいますが自分で体感体験することで得られたものは、より深く身に入ります。特に学生の間は海外旅行をすると良いです。ネットで見てもVRを使っても現地のにおいや肌感、人々の表情は現地へ行かないと感じ取ることができません。特に日本は閉鎖された空間だから、どんどん外へ出かけ、体験体感することをお勧めしています。一緒にチャレンジしたいのは、世界に発信していくことです。以前、ある学校の説明会で子どもたちに「日本の未来は明るいですか?」と聞いた時、反応は良くありませんでした。でも2月にドイツで行われた世界の展示会に出席した際「メイドインジャパン」のブランドは凄く評価が高く、まだまだ日本は世界で勝負できると感じました。ものづくりでもっと日本は羽ばたける。成功してキラキラできる可能性があるんです。世界に向けて発信していくことを、若者と一緒にやっていけたら嬉しいですね。

Q16

P.家族へのメッセージ

いつも仕事で忙しく、なかなか家庭と仕事の両立ができていないのではと思ってて、そこは申し訳ないなあと思ってるんやけど、それでもいっぱい応援して、支えてくれてる事にめちゃくちゃ感謝してます。そんな支えのおかげで世界に向けて様々な発信ができているし、これからもそういった活動をしていくので、 引き続き、チカラ貸してくださいねー。

Q17

Q. 社長の推しポイント ※社員さんからのコメント

うちの社長は決して完璧では無いですね。そういう点も含め親しみがあり、人間味溢れる社長だと感じます。
完璧では無いということを社長自身も分かっているようで(笑)。だからこそ、社員を頼りにし、個人の意見や考えを尊重し、普段から社員を部下では無く仲間として接してくれています。
そういったこともあり、社長と社員との距離感が近いので社員一人一人を本当に良く見て、性格や得手不得手も理解してくれています。
社外の方は直接お話しされるまでは「少し近寄りがたいイメージを持っていました。」なんて言われることも少なくありませんが、実際に合ってお話し頂くとそのイメージが180度変わり、「めちゃめちゃ優しくてこんなに面白い方だったんだ」といった声を本当に良く耳にします。
社長はよく「社長は会社の太陽であるべきだ」と言っています。会社に何か困難なこと厳しいことがあったとしても、自分だけは暗い顔をしてはいけない。社員を明るく照らし、会社の行く先を明るく示す、そんな存在でいたいと。決して完璧では無い社長ですが、本当にどんな時も明るく、そこだけは完璧だと思います。(笑)
と、普段から社長をいじっても一緒になって笑ってくれる、本当に太陽のような暖かさ、優しい気持ちを持った、人間味溢れる社長は、控えめに言ってめっちゃ魅力的な社長であると同時に、何事も一緒に頑張って汗を流してくれる大切な仲間です。

COMPANY PROFILE

社名
錦城護謨株式会社
設立
1952 年11 月
業種
製造業
社員数
287名
採用情報
http://www.kinjogomu.jp/recruit_beginner.html