


PROFILE
企業名
錦城護謨株式会社
お名前
太田 泰造
自分の名前の由来
おじいちゃんの富造から一字もらった
社名の由来
錦城とは、大阪城の別名で、創業者が豊臣秀吉のように天下を取れる会社にしたいとの思いから錦城と名付け、ゴムにまつわる事業だったので護謨というのをその後につけました。
部活、特技
大学時代はESSに所属し英語でdebateやっていました。特技は気持ちのいいゴルフアドバイスです。
趣味
ゴルフとアニメを見る事
尊敬する人
劉備玄徳
好きな映画
必殺仕事人
人生のバイブル
歴史書
テーマカラー
ブルー
ゲンかつぎアイテム
龍
パワー飯
天丼
好きなお菓子
モンブラン
底力の源
覚悟
カラオケ十八番
安全地帯
苦しいとき励みになった経営のテーマソング
世界に一つだけの花
自分を動物に例えると
ネズミ
好きなファッションブランド
Loveless
子どもの頃の夢
無かった
生まれ変わったら何になりたい
同じ自分
休みの日の過ごし方
アニメを見る
CEO STORY

どんな学生でしたか?
学生時代はESSという英語研究会の部活をやっていました。内容は主に英語のディベートです。3年生で部長を任され、中心になって部員を引っ張っていく存在でした。英語のディベートは、大学対抗戦という形で他の大学と交流ができ、私が入った頃は関西予選を通過すると会場がざわめくくらい弱いチームでした。そこから徐々に力をつけ、部長をしていたときには全国大会でベスト8、一つ下の代はベスト4まで行きました。まさに下剋上のように、弱小からトップまで上り詰めることができ、やりがいのある体験でした。部活以外にも、学内外で幹事長や協会の副会長なども引き受けました。小さなコミュニティの中でも人の上に立つ練習をさせてもらえ、組織のヒエラルキーを体感できたのは今に役立っているなと思います。

学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
大学を卒業して「富士ゼロックス」に入社し、営業職をやっていました。営業の中の「新規営業」で、他社をお使いのユーザーさんに向けて、富士ゼロックスの機械に替えていただく「攻めの営業」です。入社して6年ほどお世話になったあと、今の錦城護謨に戻りました。実は、大学を卒業する前から「営業には向いていない」と、周りにさんざん言われており、私自身もそう思っていました。実際、最初はかなり苦労しましたが、退職するころには営業でトップの成績を出せるくらいになっていました。こちらへ戻ったとき、それまで営業しかやったことがなかったので、経験を買われると思っていました。しかし配属は土木の事業。29歳までスーツを着て仕事をしていたのに、いきなり土木現場で泥まみれ。心身共にしんどかったです。現場作業から管理までひと通り経験した後、本社へ戻りました。営業やマネージャー職を経て土木事業の事業部長、専務へと進み、2009年社長に就任しました。大学の専攻やその後の業種も土木の畑ではなかったので、仕事は苦労しかありませんでした。土木は週休1日で、基本的に月から土まで仕事です。体力的にキツかったですが、だからこそ現場のありがたみが分かるので、いつも従業員には感謝しています。

最近感情が動いたエピソード
基本的に感情が動かない人なんです。普段から、感情が動かないように平坦を心がけています。しいて言えば、去年の2月にICCサミットというビジネスイベントのスピーチ大会で優勝できたことが一番嬉しかったです。

汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
土木事業の責任者をやっているとき、3年続けて赤字になったことがありました。先代である社長に「事業部をたため」と言われるほどの危機でした。私は、先輩たちが何十年も重ねて作り上げてきた事業を自分の代で終わらせることはできないと思いました。当時、土木事業のメンバーは60人ほどいましたが、自分一人ではどうにもならず全員を集めました。「社長から『土木をたため』と言われた。私は絶対に終わりにしたくない。なんとしても継続したいと思っているが、みんなはどうか」と聞いたんです。すると、ある一人の社員がパッと立ち上がって「やりましょう!」と言ってくれました。自分の思いとメンバーの思いは同じだった。気持ちが通じ合ったことが感動的で心が熱くなりました。その場面は、未だに強く印象に残っています。「絶対にやり切ろう」と団結して、単年で赤字3年分の利益を上げました。3年続いた赤字をV字回復したのです。あの時の、あの社員の、心の底から言ってくれたひと言が、何よりもモチベーションになりました。「やり切れる」と考えたのは自分の中である程度の戦略戦術があり、勝算があったからです。でもそれを実現するのは人。人の気持ちが動かないと、良い結果には繋がらないと分かっていました。気持ちの団結が危機を救ったのです。

経営危機をどのように乗り越えましたか
前出の土木事業の赤字を乗り越えたポイントは2つあります。1つは、事業の方向性をどんなふうにアクションしていくのか、という「戦略戦術」です。勢いで行くとか、行けば何とかなるというのは昭和時代の考え方です。戦略戦術は絶対に必要で、無計画では難しいですから。もう1つは「人の気持ち」です。気の持ち方次第で組織は変われると思っています。一緒にやっていく集団の、個々の気持ちが同じベクトルを向くこと。上の指示通りに動くのではなく、物事を自分ごとに捉えることができて初めて最高のパフォーマンスが発揮できると考えています。これは「危機感マーケティング」というやり方です。瞬発力は出ますが持続力がないので、ずっと使える手段ではありません。でも、経営危機を脱出するためにはメンバーが一致団結するのが良いと思い、戦略戦術と気持ちの両面を最初から考え実行しました。2つの割合は5:5、片輪だけで車は走らないので両輪が必要です。いきなり「やってくれ」と言っても、人は動かない。「上の指示だからやる」というのは、他人事で受け身です。そこに気持ちを入れて「自分ごと」にしてもらうのです。社員の心をつかみ信頼関係を築くには日々のコミュニケーションや、接点をとる積み重ねが大事です。普段から会食などで気軽にコミュニケーションできる場を作ったり、現場に足を運んだりして話しやすい雰囲気を作っています。

社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
日頃から社員とコミュニケーションをとっているので全員のエピソードがありますが、中でも錦城護謨らしいなと思うエピソードを紹介します。中川さんという技術の取締役がいます。以前、携帯電話の構成部品を作る依頼があった時、取締役全員に反対された案件がありました。中川さんは当時の技術課長で、どうしてもやりたいと思っていた人です。彼は夜中の3時に、上役をしていた弟の家に行き「とにかく話を聞いてほしい」と直談判します。弟も中川さんの熱意に打たれてGOサインを出し、責任は弟が全部持つということで携帯事業が始まりました。難しい技術が必要だったため、最初は9割の不良を出すほど不調でした。10個作って1個しか売れなければ、何のために仕事をしているのか、と社内でも不穏な空気が流れました。しかしその後技術を向上させ、通常の製品並みの不良率になりました。この一件は、難易度の高いものにチャレンジできたということと、やり切るハートが錦城護謨っぽくていいなと思っています。次の日の朝まで待って話しに行けば良いのに「思いついたらすぐ」と夜中の3時でも行動を起こす。そんな熱い気持ちが素晴らしいと思います。

リーダーシップのスタイル
基本的に率先垂範です。自分でやって見せ、背中で引っ張っていくスタイルです。コミュニケーションはウエットで、距離感は近いと思います。他に社長として大事なことは「逃げないこと」。嫌なことや面倒くさいことがあっても、自分の責任から逃げない姿勢が大切です。もし逃げる姿勢を見せてしまったら、総崩れになってしまう。どんな時でも、どんなに苦しくても、歯を食いしばって踏ん張り、前を向きます。経営の考え方は歴史から学んでいます。例えば、どんなリーダーなら人がついてくるのか、どんな政治をすれば国が栄えるか、というのは歴史の中から見出すことができるのです。例えばイエスマンばかりを周りに置く、君主が女性に溺れるなどです。人と時代が変わっても、正解・不正解は本質が一緒。あるべきリーダー像は、歴史から導き出すことができます。また、清く正しいところだけでなく、できない部分や弱さなど人間臭いところも見せるようにしています。どちらをどのくらい見せるかはバランスが大事です。オープンでフラットを心がけているので、隠したり装ったりはしません。ありのままでいます。

事業を通して実現したい夢
戦後導入された資本主義社会では、大量生産・大量消費が良いとされました。「売り上げの大きい会社が良い会社」という中で、日本も経済復興して豊かになりました。しかし、資源を浪費するこのビジネスモデルは、ずっとは持たないと考えています。限られた資源の中では、ごみを減らし消費を減らすことで資源の消費も減らせます。これまでのやり方を転換し、自然と共存できるサステナビリティを考えたものづくりにシフトするのです。サステナブルは、いかにも日本らしい考えです。日本は島国で資源がない。日本人は資源のない中でもうまくコントロールしながら、後世も持続していけるように考えて生きてきた民族です。魚を捕りすぎないことや、稲穂は翌年分のモミを残しておくのが良い例です。日本にいる私たちがサステナブルを発信すれば、信ぴょう性があり重みがあります。私は「日本らしさ」を追求できるようなものづくりの会社と、大量生産・多量消費を良しとするマインドを、チェンジしていきたいと思っています。良いものを作る技術で、大事に長く使ってもらえる製品を作るのです。また「売り上げが高いことが良い会社」という企業評価も改めた方が良い。アパレル業界は、年間1億着もの服を捨てていると言われています。その裏には、第3諸国のアジアの国の資源と安い労働力を使って、安く作っている現状があります。沢山作って、沢山捨てて、売り上げを上げることが良い会社なのか、本質を見極めないといけない。私個人としては大した発言力もないですが、新しいメーカーの形を提言・発信していきたいと思っています。

夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
個人としての強みは「瞬発力」です。一瞬での判断や、瞬間的に発揮する本能的なものです。新しいことをするときにも、良い意味で周りの空気を読まないです。元々、自分が決めたことは実行するタイプで他人にどう思われようとあまり気にしません。新しいことをやるには、都合が良い性格です。社長としてのこだわりは、健康第一。「心技体」という言葉がありますが、私は「体心技」だと思っています。病気がちで健康に不安があったり心が病んでいると、技術やテクニックがあっても経営はできません。体が健康であることは、何より大事だと考えています。そして「社長は会社の太陽」です。いつもニコニコして笑い、みんなを明るく暖かくする存在であるべきだと。人間ですから機嫌の悪いときもあれば、しんどいときもありますが、行動や発言もできる限り太陽でいようと心がけています。

社会貢献、地域貢献、DSGsに関して実行していること
SDGsは、かなり力を入れて取り組んでいます。長く使える良いものを作ることとゴムの技術を使うことで、社会的な課題を解消しています。福祉事業では、視覚障碍者のための誘導マット「歩導くん」を使ってインフラ整備をしています。取り扱っているシリコンゴムは、カーボンオフ・カーボンフリー。脱プラ・脱炭素という社会に対して、ゴムを使って貢献できています。事業を着実に成長させて雇用を守っていくことも、CSRの一つです。我が社は現在、創業87年目。100年継続させることを当面の目標にしています。また、地域との関わりも大切です。以前はただ「本社が大阪にある」という感覚でしたが、大阪のこの場所にある意味や意義を考えるようになりました。その場所にあることによって、色々な地域との繋がりができ、コラボレーションが生まれていきます。地域の方、特に子供たちにものづくりの魅力を伝える活動をしているので、地域との接点をつくることも一つのサステナビリティだと考えています。

自社の強み、面白い制度
自社の強みは、製造の上流から下流まで全てのプロセスを自社内でやっていることです。ワンストップで料理が出るまで対応できるという対応力があります。多くの工場は成型なら成型だけをする分業です。そのプロセスを全部自社内でやっています。おかげでいただく依頼は厄介なものばかり。それは難しいものでも対応してくれる、という信頼の裏返しだと思っています。面白い制度は、今どき珍しく社員食堂があることです。社食は一食150円。メニューは日替わりで、メインのおかずが一品。ごはんとみそ汁は飲み放題です。社食について社員同士や家族で話すこともあり「食」の提供をすることで、コミュニケーションに一役買っています。どうせお金をかけるなら、おいしいものを食べてほしい。おいしいものを食べたら生産性も上がると考え、仕入れ先も工夫してカレーの素や麺は業務用を仕入れています。この前はケータリングをし、すし職人に来てもらいました。食事にエンタテイメントを入れ、みんなに喜んでもらえました。

若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
若者に望むことは、経験をすることです。成功も失敗も経験してほしいと思います。このご時世、答えは全部ネットに書いてあります。やる前に調べたら、答えは全部ネットで見つかるんです。だからつい、グーグル先生に頼ってしまいますが自分で体感体験することで得られたものは、より深く身に入ります。特に学生の間は海外旅行をすると良いです。ネットで見てもVRを使っても現地のにおいや肌感、人々の表情は現地へ行かないと感じ取ることができません。特に日本は閉鎖された空間だから、どんどん外へ出かけ、体験体感することをお勧めしています。一緒にチャレンジしたいのは、世界に発信していくことです。以前、ある学校の説明会で子どもたちに「日本の未来は明るいですか?」と聞いた時、反応は良くありませんでした。でも2月にドイツで行われた世界の展示会に出席した際「メイドインジャパン」のブランドは凄く評価が高く、まだまだ日本は世界で勝負できると感じました。ものづくりでもっと日本は羽ばたける。成功してキラキラできる可能性があるんです。世界に向けて発信していくことを、若者と一緒にやっていけたら嬉しいですね。

家族へのメッセージ
いつも仕事で忙しく、なかなか家庭と仕事の両立ができていなくて申し訳ないです。支えてくれているおかげで、世界に向けて様々な発信ができているし、これからもそういった活動をしていけると思うので、引き続きよろしくお願いいたします。
COMPANY PROFILE
- 社名
- 錦城護謨株式会社
- 設立
- 1952 年11 月
- 業種
- 製造業
- 本社
- 大阪府
- 社員数
- 287名
- 採用情報
- http://www.kinjogomu.jp/recruit_beginner.html