千葉県千葉市花見川区
株式会社ダンデライオン
代表取締役
杉野 貴彦
TAKAHIKO SUGUNO
日本の子育てをアップデートする
日本の子育てをUPDATEしたい!と思っています。そのために必要なロードマップはまず私たちが事業展開する千葉市花見川区を中心とした幕張エリアが日本で一番子育てがしやすい街となること。障害のある子供の家庭では日本の子育て施策の縮図とも言われています。その彼らが「この地域で住んでてよかった」と思ってもらえるよう私たちがまずサポート役として地域に出て発信し、ノーマライゼーション、インクルージョンの環境を作り出していく。それが叶った時、ダンデライオンのエッセンスは日本中に発信されていくでしょう。また他の地域で同じように頑張っている会社もあるでしょう。そういった先進の取り組みをオープンシェアして発展していく。一人勝ちでなくみんな勝ちを目指さねばその世界は叶えられません。
PROFILE
企業名
株式会社ダンデライオン
お名前
杉野 貴彦
生年月日
1976年1月6日
出身地(都道府県)
熊本県
出身校
熊本大学教育学部附属中学校
あだ名
たかひこ
自分の名前の由来
一族男子の名前が全てが○彦とつくことで画数とイメージで決めたとのこと。
キャッチコピー
『男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ』
夢
日本の子育てをUP DATEする
社名の由来
「子どもたちが生きる力を育み、粘り強く人生を生き抜いてほしい」というコンセプトを話して、パートナーに名付けてもらった。
人生成分6つのキーワード
我慢強さ、往生際の悪さ、器用さ、熱意、覚悟、思いやり
部活、特技
部活バレーボール、グランドホッケー、写真。後ろ姿を忘れない。
趣味
趣味 登山・料理・ウェイトトレーニング・サウナ
尊敬する人
田中正造
好きな映画
「ショーシャンクの空に」
人生のバイブル
宮城谷昌光「管仲」
テーマカラー
黄色
ゲンかつぎアイテム
担がない
パワー飯
カツ丼
好きなお菓子
ルマンド
底力の源
コンプレックス
カラオケ十八番
ブルーハーツのリンダリンダ
苦しいとき励みになった経営のテーマソング
中島みゆきのファイト
自分を動物に例えると
ラーテル
好きなファッションブランド
ノースフェイス
子どもの頃の夢
ウルトラマン
生まれ変わったら何になりたい
自分
休みの日の過ごし方
旅・登山・料理・ウェイトトレーニング・サウナ
VIDEO
CEO STORY
Q1
A. あなたをよく知る人物(家族・従業員・友人など)に紹介してもらってください。(他己紹介)
杉野との出会いは、リクルート熊本支社で同じ営業マンとしてひたすら汗だくになりながら毎日自転車で営業をやっていた約20年前のちょうど今と同じ頃。営業マンとしての毎月厳しい数字を課せられながらもお互い人に優しい性格がゆえに、あと少しというところで結果が出せない日々もよくあったな。仕事帰り二人して夜の二ノ丸公園に行っては、なけなしのお金で焼き鳥と缶ビール1本、お前と夢を語る時間が格別だったことを今でも忘れないよ。二人で飛び込んだ異業種から挑戦した農業も苦労の連続で、ここからが本当のどん底のはじまりだったな、、、あの時は一緒に誘った俺が悪かったとこの場を借りてお詫びしたい。その後、お前は体一つで福岡・東京と飛び回り輝かしい営業成績を残したかと思うと、今度は千葉で瞬く間に経営者へと成功の架け橋を駆け上がっていった時には、正直嫉妬したよ、今ではほんと尊敬してる!そんな杉野の長所は、直向きに努力する性格と、人と同じ目線で接する優しさや心配り、あと、どんな人にも分け隔てない謙虚さだと思う。あのどん底からここまで這い上がれるだけの努力と結果を残した杉野社長の周りには、沢山の笑顔で溢れる仲間やスタッフがきっと伸び伸び働いているとことと思います。
杉野の波乱万丈は、折り紙付きでまだまだ書ききれないことが沢山あり過ぎるので、近々本でも出版しますのでAmazonで購入してください。
著者 吉岡孝浩
Q2
B. 上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか (350文字以上 推奨)
リクルート時代の先輩で、最初に打ち解けあってくれた大切な人です。新人時代から異動先でも一緒になりほぼ退職まで同じ部署で働いていました。苦しい時も二人でお金がなかった時も二人で3千円持って飲みに行きながら、明日への夢を語り合った日々は私にとって宝物のようです。そんな先輩から誘わ始めた農業はうまく行きませんでしたが、最後までなんとかしようとしてくれていたことは忘れませんし、その苦しみがあったからこそ今があると思っています。
Q3
C. 事業内容を詳しく教えてください
子どもたちの生活現場で子どもたちが生活しやすいように、現場の先生たちと協働支援や保護者との橋渡しや連絡調整、相談業務を行う「保育所等訪問支援」、障害福祉サービスを全体的にコーディネートする「計画相談支援」を行っています。弊社が他社と違うところは、地域に根差し、地域に出ていくということ。僕らはすべての子どもたちが生まれ育った場所でその子らしく育まれることを望んでいます。時にこういった福祉施設はさまざまな事情(保護者の働く環境等)で学校以外の大半の時間は福祉施設で過ごしてしまったりしてしまい、普段から友達のうちに遊びに行ったり、色々な社会体験の積み増しの機会が失われてしまい「閉じられている、一般の子供たちと隔離している」との批難があるが、私たちは「早く子供たちが地域社会で育まれる」ように、その生活現場(園や学校)に積極的に出ていき、その現場で起きている困りごとと向き合って支援しています。その中核にあるのが「保育所等訪問支援」というサービスなのですが、全国でも障害福祉サービス全体の0.1%、障害児のサービスでみても2.8%ほどしか利用されていません。弊社のエリアの千葉県全体で見ても障害児支援を利用している児童は2万8千人。そのうち約3%の850人しか「保育所等訪問支援」を利用していない状況です。ですが、弊社は弊社の提供エリア(千葉市西エリア)だけでその850人のうち210名の子どもたちを支援し、ほぼ全ての地域の小学校、保育園等へサービスを提供し、強い信頼を得ています。
Q4
D. どんな学生でしたか
中学2年生までは、教育熱心な家庭のおかげで中学受験で国立大学附属に入学しましたが、人前に出ると緊張して何も喋れなくなるほどのあがり症、作文が書けない、ぼーっとのんびりとした子どもでした。中3の時に長期療養してた母がががんで亡くなるとこれまでゲームと漫画とアニメくらいしか興味のない幼児性の強い性格から、精神的な成長のきっかけを生み、怒涛の思春期に突入。高校には入学したものの、先生と学校の方針等で合わずに中退。もう一度県下一の進学校に入り直すも、不登校になり2度の留年を経験し、結局中退。でも不登校時に遊びに来てくれていた友人たちに支えられていたので、寂しくはなかったです。また不登校でしたがアウトドアで青春18切符で一人で放浪していたので、旅好きや登山好きなのはこの頃からの経験によるところが大きいです。
Q5
E. 学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
1997 (20歳)大学入学資格検定を取得後大学受験時代、アルバイトで出会った女性とデキ婚。そこから受験を諦め就職。時は就職氷河期中卒で正職での就職は諦め派遣で就労。製麺工場では生産管理の補助として倉庫番、家電量販店ではインターネット契約の販売をしながら、数年を過ごす。
2001年(24歳)家電量販店で営業成績が全国TOPとなったことで家電量販店側から正職員の打診があったが、主任からのパワハラ等(金銭等の執拗な接待強要)もあり辞退。これを機に販売職から営業職の転職を希望し、都内の広告代理店を経てリクルートに入職。この時長年別居生活に終止符を打ち、離婚。
2002年(26歳)リクルート時代は1回MVPをとるも大味な営業でした。娘への養育費の支払いや家電量販店時代の借金の返済もあってすごく貧乏な時代でした。
2008年(32歳)リーマンショックを機にリクルート時代の先輩と就農。ほとんど2年間それなりに頑張ってはいましたが、うまくいかず辛い時代でした。しかし、ある時、「なぜうまくいかなかのかは結局自分が甘かったから」とこれまでの大甘な生き方を改め「全力で生き直す」と決め、介護デイサービスのフランチャイズ本部に営業職として再就職。
2010年(34歳)農業独立時代のシビアさから会社組織に再復帰したのですが、意識の変化や辛い経験もあって圧倒的成果を簡単に収めることができるようになっていました。2年で営業部長となりました。一方で、介護という福祉の仕事に関わるようになって現場の人たちの想いや、超高齢社会の訪れによる国難とも言える社会問題(人口減少、少子化、社会保障費の増大)を意識するようになって、その未来に生まれ生きる子どもたちに目を向けるようになっていく。
2014年(37歳)フリーランスとして、独立。訪問看護や幼児教室のコンサルを行う一方、障害児支援に出会う。そこにいた子どもたちは、いつか見た自分でした。「人の3倍手のかかる」と言われ育った幼少時代、「他人との距離感や人間関係に悩み続けた」学生、社会人時代。これから生きていく子どもたちに何かを残してあげたいと独立したけど、この障害のある子どもたちは時として大学等のモラトリアムすら許されず社会に放り込まれ就労に従事している。幸いにして大学教育を受け、一般就労にたどり着いたとしても適応障害を発症したりして社会の中で苦しんでいる・・・そう思った時、人ごとごととは思えず「生きる力をこの子たちに育みたい」と強く思い、コンサルの立場から障害児支援をおこなっていく。
2017 年(39歳)コンサル先から「そんなにいうなら自分でやってみろよ!」と言われ自分のやっていることが子どもたちに最も貢献できると信じ、ダンデライオンを創業。
Q6
F. 最近感情が動いたエピソード
最初に利用していた自閉症の男の子。3歳から一緒ですがもう小学校3年生になりました。現在支援学級に通い、弊社の放課後等デイサービスを利用してもらっています。そんなお母様が最近高学年向けの放課後等デイサービスの利用説明会に参加してもらう機会がありました。説明会ののち「〇〇先生や御社のおかげでここまで来ることが出来ました。当初のことを思い出したり、今後の発展的なお考えを伺うことができて、お会いできて嬉しかったです。どうぞこれからも宜しくお願い致します。」とメッセージをいただきました。弊社の誕生とともに歩んできた子どもたち、そして保護者さんたちがこんなにも期待してくれているとの想いが嬉しく、職員とともに頑張っていきたいと思いました。
Q7
G. 汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
3期目。従業員も60名を越え、事業所数も5つになったころ、組織が思うように動かなくなっていました。その時事業所の中で一番力のある管理者が率いる事業所からパワハラの相談が複数寄せられました。目標売上やマネジメントでは疾患理運用されていましたが、一方で組織が疲弊していたのです。それに薄々気づきながらも管理者の「経営理念に基づくことが一番大事」との言葉を信じ、放置していたのは、私の責任です。私は「会社の目標や売上は、職員自らが楽しく仕事をし、子どもたちや保護者に良いサービスを提供すれば勝手についてくるもの。呼び込みや押し売りのようなものは支持されない。行列のできるラーメン屋さんのように口コミや身近にいる人たちを大事にしよう。」と常に声をかけていたにも拘らずです。その半年前に経営理念を刷新し、職員全員で作りあげた「ダンデライオンの根っこ」でもCREDO 「多様性と信頼関係」の項目では、「私たち職員は、お互いを受け止め合い、その多様な価値観と個性を尊重し、常に話しやすい環境を作ります。全ての職員が活き活きとし、いつも職場に信頼関係と楽しい雰囲気があることは、子どもを楽しくし、その家族をも笑顔にすると考えるからです。」と謳われており、そういったことも有名無実化していたことにも愕然としました。
Q8
H. 経営危機をどのように乗り越えましたか
まずは職員と面談です。事実確認をしていくと事業所内に派閥ができていました。その派閥をコントロールするかのように絶対的にハードマネジメントと恐怖政治で締め上げ、メンバーはそれを恐れ責任をなすりつけあい、密告し合う。。。そんなどちら側もそれなりにひどいチーム運営の実態が浮かび上がりました。まず職員にはここまで放置したことを謝罪し、職員にもそんな風土はおかしいし、管理者が改めるなら許して上げてほしい、また一からチームを作り直そう。また管理者には「こんな風に売上を上げてほしい」と頼んでない、改めてほしいと管理者にはお願いをしました。それから何度も話し合いの機会を持ちました。判断の基準は経営理念「ダンデライオンの根っこ」。他の事業所では当たり前にある価値観である、多様性を大事に、良好な人間関係の維持や構築への努力が会社の一番大事な魂なんだということを念頭に。しかしながらその魂を受け入れるために改めてくれる職員は半数にとどまり、残りは管理者含め退職となりました。私にとっては辛い経験でしたが、いくら優秀な職員であろうと、経営理念のバックボーンにある「良好な人間関係が最良の療育を作る」との思いに反するようなこと、職員が苦しんだりするようなことは何があっても許さないとブレずに判断できるきっかけとなりました。
Q9
I. 社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
特定の社員ではありませんが、いつも社員のみんなにはいつうちが潰れても困らないように療育者として成長を止めてはいけない、そしてその成長は自らが仕事を楽しむことでしか叶えることができないと伝えています。子どもたち自身が生き生きとBRIDGEでさまざまな生きる力を育んでいくことにつながっていく・・・この支援者として子どもたちに貢献したいと願うなら考える当たり前の事は、子供達だけでなく支援者であるメンバー自らも実践する必要のあることだからです。「自己選択・自己決定」は時に障害があることで制限されたり、先延ばしにされる・・・それは人としての尊厳を奪うことだと私たちが信じているのであれば、職員もまた自分の人生を主体的に生きていなければなりません。ですから、「自分がどうしたいのか?」「なせこの場に今いるのか?」を問い続けていってほしいと思っています。
Q10
J. リーダーシップのスタイル
たい。子どもたちが生き生きとした主体的な生活が送れるように支援していきたい。そんな風に思ってもらえるように徹底的に仕組み化し、仕組み化できない部分は職員自身が徹底的にこだわって職人化していってもらう。ですから、日々どんなことを考えているのかを発信し、対話(1on1)を通じて、経営理念「ダンデライオンの根っこ」を根源として同じ目線で働けるように取り組んでいます。
Q11
K. 事業を通して実現したい夢
日本の子育てをUPDATEしたい!と思っています。そのために必要なロードマップはまず私たちが事業展開する千葉市花見川区を中心とした幕張エリアが日本で一番子育てがしやすい街となること。障害のある子供の家庭では日本の子育て施策の縮図とも言われています。その彼らが「この地域で住んでてよかった」と思ってもらえるよう私たちがまずサポート役として地域に出て発信し、ノーマライゼーション、インクルージョンの環境を作り出していく。それが叶った時、ダンデライオンのエッセンスは日本中に発信されていくでしょう。また他の地域で同じように頑張っている会社もあるでしょう。そういった先進の取り組みをオープンシェアして発展していく。一人勝ちでなくみんな勝ちを目指さねばその世界は叶えられません。
Q12
L. 夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
往生際が悪く、どんな状況でも我慢強く粘り掴み、成長しながら成果を掴み取るところは強みだと思っています。若い時から苦労の連続だったので、自分の足らざるを知りPDCAを回しながら自己成長を重ねていく。何をするにもいつも始まりは力不足の連続でした。でもその環境下で失敗を繰り返しながら成長しいつの間にかその場でやれているようになっているところは、苦しくもありますが自分が持てる数少ない長所と思っています。『男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ』という座右の銘はそんな体験の連続から使うようになりました。
Q13
M. 社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること
この障害児通所支援事業そのものがノーマライゼーションとインクルージョンを推進するものだと思っています。これに加えLGBTQ+などジェンダーフリーなどの支援や子供に限らない居場所づくり事業を行うため、全国各地のNPOへの寄付や、活動への援助も行っています。
Q14
N. 自社の強み、面白い制度
この障害児通所支援事業そのものがノーマライゼーションとインクルージョンを推進するものだと思っています。これに加えLGBTQ+などジェンダーフリーなどの支援や子供に限らない居場所づくり事業を行うため、全国各地のNPOへの寄付や、活動への援助も行っています。
Q15
O. 若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
どんな辛いことがあったとしても、諦めないでほしい。そして周囲に「助けてください」と助けを求めることができる人になってください。
誰しも得意なこともあれば、苦手なこともあります。
大切なのは、自分には何ができて、何ができないのかを知ること。
そして、苦手なことに関して、
自分のほしいサポートを、まわりから得られるようにすることです。
それさえできれば、苦手に囚われず、
自分の得意を活かすことも、好きなものに打ち込むこともできます。
上手に助けてもらう、も人が人生を楽しく生きていく上で獲得するべき、大切な力なのです。
Q16
P. 家族へのメッセージ
正直家族には恵まれず、家族と呼べる人はほとんどいません。ですがその中でも一人娘。幼い頃より諍いが絶えず相性もよくない精神障害の妹、そして今のパートナー。この3人には子供、家族、障害という今の仕事に繋がるものを与えてくれました。娘とは別々に暮らしていた時期も長かったですが成長し、私を父と呼んでくれています。その愛情のやり取りが辛い時期にどんなに支えになったことか。熊本地震の際、直下に住んでいた妹のことが頭をよぎり生きていてほしいと心底願っていた自分がいました。彼女には障害があっても彼女なりの幸せを叶えてほしいと思っています。また日頃から公私に渡って支えてくれているパートナー。私が奢ることのないようにいつも直言してくれるところ、同じ価値観を持ってそばにいてくれていることは感謝しかありません。本当にありがとうございます。
Q17
Q. 社長の推しポイント ※社員さんからのコメント
杉野社長といえば、オシャレで食通、そしてさびしがり屋です。
オシャレであることは、ファッションだけではなく、時代の潮流に敏感であることでもあります。「質の良い支援をしていけば、必ず結果はついてくる」。児童発達支援の無償化によりサービスの質がより求められる以前の、開設当初から多様な職種がBRIDGEで働いており、いまなお質の向上を求めて取り組む風土があります。
食通であることは、本当に良いものは何かという探求がなければできないことです。私達は太田ステージという、非常に簡便な方法で認知の本質を探る評価法・アプローチ法に用いてサービスを提供しています。太田ステージは、さまざまな職種の垣根を超えた「共通言語」となり、「そのお子さんにとって何が良いのか」の話し合いを可能にします。
そしてさびしがり屋が故に、1人ぼっちを避け、みんなの力を大事にします。「早く行きたいなら一人で行け。遠くへ行きたいならみんなで行け(If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.)」。数年前に当時の全社員で会社の信念(CREDO)を話し合いましたが、そのとき社長は私達の話し合いを見守ってくださっていました。あの話し合い以来、この言葉によってCREDOに立ち戻る大切さが思い出させてくれます。
現在は身を潜めている?社長ですが、姿を見かけなくとも私たちが働きやすい土台を作ってくださっています。改めて心から感謝を申し上げます。ありがとうございます!
COMPANY PROFILE
- 社名
- 株式会社ダンデライオン
- 設立
- 2017年4月27日
- 社長就任
- 2017年4月27日
- 業種
- 医療・福祉
- 事業内容
- 児童福祉法における障害児通所支援事業(児童発達支援・放課後等デイサービス・保育所等訪問支援)
- 提供価値
- 障害のある子どもたちに生きる力を育む
- 本社
- 千葉県千葉市花見川区花園2−2−15万仁ビル一階D号
- 活動エリア
- 千葉県
- 社員数
- 125人
- 採用情報
- https://dandelion-bridge.com/recruit/