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神奈川県

株式会社みやじ豚

代表取締役社長

宮治 勇輔

YUSUKE MIYAJI

観光施設「みやじ豚ランド」を創りたい!!

一次産業を「かっこよくて・感動があって・稼げる」の新3K産業にすることを目標に活動をしています。この標語は、農林水産省の目に留まるなど、今では農業界ではかなり普及し、知人の飲食店経営者が出版した本の中に、このフレーズを見つける度にうれしくなります。みやじ豚15周年の際に「美味しいに溢れる国へ」というビジョンを新たに設定しました。日本の農産物がこの先もずっと世界中から「美味しい」と称賛され続ける国であってほしいと願ってのことです。みやじ豚のようなブランドが100年後も残るような堅固な基盤を作りたいです。

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PROFILE

  • 企業名

    株式会社みやじ豚

  • お名前

    宮治勇輔

  • 生年月日

    1978年6月5日

  • 出身地(都道府県)

    神奈川県

  • 出身校

    慶応義塾大学

  • あだ名

    みやっち

  • キャッチコピー

    一次産業を、かっこよくて・感動があって・稼げる3K産業にする人

  • 観光施設「みやじ豚ランド」を創りたい!!

  • 人生成分6つのキーワード

    農家のこせがれ、BBQ、家業ラボ、読書、食べ歩き、マンガ

  • 部活、特技

    軟式野球部

CEO STORY

Q1

どんな学生でしたか

歴史小説が大好きな少年でした。特に吉川英治の大ファンで、高校時代通学の間、電車の中で彼の作品を読むことが楽しみでした。『宮本武蔵』や『三国志』などを読んでいるうちに、「男として生まれたからには、天下を取らなければならない」と思うようになりました。そして、現代において天下を取るということは何かと考えたのです。それは「現代の一国一城の主、すなわち社長になることではないか」という答えに行き着きました。高校から大学に進学する頃には、30歳までに会社の社長になろうと心に決め、大学では、会社経営の要となる組織や人事が学べる経営学のゼミに入りました。

Q2

学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください

大学卒業後は、パソナに入社しました。会社という組織に入りましたが、私の最終目標はあくまでも起業して「社長」になることです。普通に会社員暮らしをしていては、目標を達成することはできません。出勤前の時間を、起業に向けての勉強時間に当てることにしました。勉強を続ける中で、私は、現代の農家には「価格決定権がない」、「消費者の声が生産者に届かない」という2つの大きな問題があることに気が付きました。この問題の解決策を考えていた時に、ふと、大学時代の自宅でのバーベキューのワンシーンが脳裏に浮かんだのです。「こんな美味しい豚肉を食べたことがない」という友人の言葉、それを聞いた父の嬉しそうな顔。「これだ」と、私は思いました。わざわざ会社を起こさなくても、家業を継いでバーベキューをビジネスに取り入れれば、問題は一度に解決できるのです。また、農業について考えを巡らせているとき、農業を「かっこよくて、感動があって、稼げる」3K産業にという言葉が閃光のように閃きました。この言葉が、私を突き動かす原動力になりました。渋る父親を粘り強く説得し、勤めていた会社を退職すると、私は家業の経営に乗り出したのです。

Q3

最近感情が動いたエピソード

私は、実家の養豚業経営に携わる傍ら、家業の後継者を支援する「家業イノベーション・ラボ」の実行委員としても活動をしています。2022年、コロナ禍で実施ができずにいたリアル忘年会を久々に開催したところ、日本各地から多くの会員が集まってくれました。この忘年会で、ハーバードのエグゼクティブ・プログラムに家族で参加した方が、世界のファミリービジネスでも、国のことを考え、経営者家族が愛国心を持って事業に取り組んでいるという実態についてお話をしてくださいました。それは、私にとって非常に感動的なものでした。その時まで、地域や国のことまで考えて家族経営を行っているのは、日本だけだと思っていたのです。

Q4

汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)

コロナ禍で注文数が激減したことも、危機といえば危機でした。でも、今でも思い出すのは、ブランドとしての「みやじ豚」の販路開拓時のことです。通常、養豚農家の豚は、出荷されると複数の農家の肉が混ざった状態で販売されます。これでは、「みやじ豚」のブランド化は図れません。そこで私は問屋と交渉し、宮治家育ちの豚肉だけを「みやじ豚」として売ってもらえるように交渉しました。しかし、従来の肉の商流システムを変えてしまうこの交渉の壁は厚く、悪戦苦闘をする毎日が続きました。それでも、私は諦めませんでした。「この壁」をなんとか突破し、「みやじ豚」をデビューさせたいという情熱の方が強かったからです。

Q5

経営危機をどのように乗り越えましたか

「みやじ豚」のブランド化を目指し、販路開拓のために問屋を回って奔走する日々が続きましたが、交渉は難航しました。そんなある日、私は発想を逆転すれば、この問題を簡単に解決できることに気が付きました。豚は通常ルートで出荷し、問屋が買い付けた肉のうち「宮治家の豚肉」だけを別に取り分けて置いてもらうのです。そして、注文があれば問屋から受注分の肉を買い戻します。こうすれば、従来の商流を変更せずに、顧客に「みやじ豚」を届けることができます。商流の維持、自家ブランド肉の販売、売れ残りのリスクなし。この逆転の発想の「Win、Win、Win」のビジネスモデルで、私は「みやじ豚」の販路を切り開くことができました。

Q6

社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い

社員ファーストが私の信条です。コロナ禍で、主な取引先であった飲食店からの発注が激しく落ち込んだ時期がありました。父は、販売担当の社員を「解雇しろ」と言い出す始末です。しかし、私は経営のプロとしてそれを聞き入れませんでした。経営者は、商売の先の先まで見据えなければなりません。ここで、目先のことにとらわれて経験豊かな社員を解雇すれば、後々大きな影響が出ます。幸い、通常ルートでも豚を出荷していたこと、半年もすると以前のように注文が入ってくるようになったことで、この時期を乗り切ることができました。今でも「あの時にスタッフを解雇していたら大変なことになっていた」と冷や汗が出ます。私たちの親世代は、人事について考える視点が欠けています。後継者の私たちはそのことを肝に銘じて、「守るべきものは守る」経営を貫かねばならない、という良い教訓にもなりました。

Q7

リーダーシップのスタイル

家族に、担当した役割を任せきるというリーダーシップを貫いています。養豚場の経営においては、私はマネジメント、父と弟は現場と、徹底的に業務のデマケーションをしています。豚の飼育に関しては、父と弟に完全に任せ、私は彼らの方針には干渉しません。実際、私は家業の経営を手掛けて以来17年、豚舎の作業に手を出したことはありません。私が豚舎に足を踏み入れなくても、父と弟は力を合わせておいしい豚を育てています。家族間であっても業務の責任範囲を明確にすること、各人の作業内容に応じた査定をすることが、ファミリービジネスを成功させるコツなのだと思います。私は、弟には自分よりも高い給料を渡しています。

Q8

事業を通して実現したい夢

私は、一次産業を「かっこよくて・感動があって・稼げる」の新3K産業にすることを目標に活動をしています。私のこの標語は、農林水産省の目に留まるなど、今では農業界ではかなり普及し、知人の飲食店経営者が出版した本の中に、このフレーズを見つける度にうれしくなります。みやじ豚が15周年を迎えた2017年には、「美味しいに溢れる国へ」というビジョンを新たに設定しました。日本の農産物がこの先もずっと世界中から「美味しい」と称賛され続ける国であってほしいと願ってのことです。そのためには、みやじ豚のようなブランドが100年後も残るような堅固な基盤を作らなければなりません。30周年を迎える頃には、「みやじ豚」を次の世代に引継ぎ、安心して引退できればと思っています。

Q9

夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり

私たち家族が、生産から販売までを一括していることが、おいしい豚肉をお客様にお届けする上での強みです。肉質の良い豚は、血統や餌だけで作ることはできません。豚がどう育ったかということが、豚肉の味を左右するのです。その意味では、豚のストレス管理はとても重要です。みやじ養豚の豚舎では、同じ親から生まれた兄弟だけを同じ部屋で飼育しています。こうすると兄弟豚だけの環境になるので、豚にストレスがかからずのびのびと育ちます。豚目線で環境を重視し、私たち家族が情熱と愛情を込めて育てた豚の間には、平和な雰囲気が漂っています。本来20匹飼育できるスペースに豚が10匹しかいないので、豚同士の間隔も広くなり、病気の予防にもなっています。宮治家育ちの自慢の豚肉は、規格外のうま味を持つAランク以上の評価を受けた絶品です。「みやじ豚」を一口食べると、他の豚肉を食べられなくなるので、どうぞご注意ください。

Q10

社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること

家業の経営の他にも、NPO法人「農家のこせがれネットワーク」を設立し、その代表を務めています。そこでは、農家を継承できる環境にありながら、家業を継ぐことや継いだ後の経営に悩む後進達を、「帰農推進・経営力アップ」で応援しています。2017年からは、支援対象を農業以外の家業の後継者にも広げるために「家業イノベーション・ラボ」の実行委員も務めるようになりました。これからも実業家として、家業研究者として日本の農家の家業継続を支援し続けていきたいと思っています。生産者が農産物の評価を消費者から直接受けることができる、「農家を幸せにするシステム」作りの構築にも、継続して力を注ぐつもりです。

Q11

自社の強み、面白い制度

「みやじ豚」をこの世に送り出すきっかけにもなったバーベキューです。コロナ禍で中止をした時期もありましたが、「みやじ豚」のデビュー以来、定期的に開催しています。直営ですから、お客様には「百聞は一口にしかず」の規格外の美味しさの「みやじ豚」を存分に味わっていただけますし、私たちの方では皆さんから直接感想を聞くという絶好の機会を持つことができます。近所の観光果樹園をバーベキュー会場として使用し、みやじ豚の他にも地場産の野菜やキノコも提供し、地域振興とSDGsが目指す地産地消にも一役買っています。私が目指す、生産者と消費者を直接結ぶ農業の原点がここにあります。

Q12

若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ

若い人には、日本の農業以外に日本をまず知ってもらいたいと思っています。海外に目が行きがちですが、今一度、日本の素晴らしさにも目を向けてもらいたいのです。日本は世界でも珍しい、2000年以上も続く国です。商売一つを取っても200年以上続く家業の65%は日本にあります。日本で一番古い企業の「金剛組」は、548年の創業で、日本一どころか、世界一古い企業です。なぜ、日本に老舗文化が根付いているのかを考えてほしいのです。今、農業で言えば日本は世界が認める「美味しいに溢れる国」ですが、この先50年、100年後を考えたらどうでしょうか。私は、未来の日本の農業を危惧しています。これからも日本が「美味しい農産物」を生産し続ける国であることができるように、私はその礎を、私の世代と未来を担う若者で作り上げていきたいのです。

Q13

家族へのメッセージ

宮治家の豚の味を守り続けた父に、「これからも100年先まで『みやじ豚』が続くように、永く指導をお願いします」と、伝えたい気持ちでいっぱいです。宮治家伝統の養豚に関するノウハウを持っている父ですが、現場で一緒に働く弟にも、技術は「見て盗め」の職人気質です。学生時代のバーベキューで、我が家の豚の美味しさの秘訣を尋ねた私にぼつぼつと答えたあの時から、父は全く変わっていません。今でも引退の気配すら見せず、「自分の財産はあの世まで持っていく」などと豪語していますが、「みやじ豚の飼育法」という知的財産は、あの世では宝の持ち腐れになってしまうので、後継者の私たちに惜しみなく伝えてもらえればと思います。

COMPANY PROFILE

社名
株式会社みやじ豚
設立
2006年9月1日
社長就任
2代目
業種
製造業
事業内容
湘南みやじ豚 DtoC
提供価値
最上の肉活
本社
神奈川県
活動エリア
湘南 全国