
CEO STORY
Q1A. あなたをよく知る人物(家族・従業員・友人など)に紹介してもらってください。(他己紹介)
経営者としても一人の人間としても、この人ならついていきたいと心から思える人です。社長は決して多くを語るタイプではなく、むしろ口下手で自分のことを表現するのが苦手なため、誤解されやすく損をしやすい性格なのではないでしょうか。深く付き合ってみると繊細で、人情深い方だということがわかります。社長が一代で作り上げた一族経営の会社に、北海道から出てきたどこの馬の骨かもわからない私を経営幹部に取り立ててくれた懐の広さには、嬉しさと共に驚きも隠せません。70歳に手が届く今になっても向学心を忘れず、社会に何かを還元するための事業に取り組むその姿勢は、普通の人には真似できないことです。偉ぶることもなく、飄々としていてオプティミスティックな外見の中に、深い人生哲学を秘めている自慢の社長です。
Q2B.上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか
紹介者の土屋さんは、経理を任せている妻と同じく私の会社になくてはならない存在です。会社存続の危機に見舞われた時、多くの幹部が去った中で会社に残ってくれたのも土屋さんでした。会社の現状や、現場の動きなどを土屋さんが把握してくれているので、私は経営に専念できています。いわば、土屋さんは私の分身のような存在なのです。またこれは、私が彼に絶大な信用を置いているからこそ成り立つ関係でもあります。土屋さんが述べていた通り、私は自分を表現することがあまり得意ではありません。このハンディを大きくカバーしてくれているのが土屋さんなのです。長い付き合いの中で私という人間を色眼鏡なく理解してくれています。だからこそあ・うんの呼吸で会社を動かしていくことができるのです。
Q3C. 事業内容を詳しく教えてください
街の“これから”をつくる、解体のプロフェッショナルです。
私たち定山鋼材株式会社は、建物を「解体」する仕事をしています。
聞きなれないかもしれませんが、解体には実は「建てる」時と同じくらい、いやそれ以上の技術と配慮が必要なんです。意外かもしれませんが、解体業を営むには「建設業」の許可が必要なんですよ。
私たちのキャッチフレーズは、「犬小屋から超高層まで解体します」。
この言葉の通り、どんな建物でも、依頼があれば私たちは対応しております。どのようなデザイン、斬新な建物でも解体してきました。特に都市部では土地が限られているため、新しいビルや施設を建てるには、まず古い建物を安全かつ効率的に解体することが欠かせません。私たちは、その“最初の一歩”を担う専門家として、再開発や街づくりの現場で力を発揮しています。最近では、高度経済成長期に建てられたビルが老朽化し、建て替えのタイミングを迎えています。そうした中で、ただ壊すのではなく、「未来につなぐための解体」を大切に、地域の“新陳代謝”を支える存在として、日本各地で活動を続けています。建物が生まれ変わる瞬間。その裏には、私たち解体業者の地道で繊細な仕事があります。
Q4D.どんな学生でしたか
働きながら学び、学びながら未来をつかみました。
私は、いったん社会に出てから、明治学院大学の夜間学部に通い、学位を取得しました。子どもの頃から好奇心が強く、「どうせ勉強するなら、分かるまでやりたい」という性格で、小中学校では常に成績は上位。高校進学も当然のように目指していました。ところが、高校入試の直前に父が急逝。その葬儀の日が、なんと入試当日と重なってしまったのです。
当時は「進学せず、家を支えるべきだ」という考えも強かった時代ですが、母が「あなたは受験しなさい」と背中を押してくれたことと、学費の安い都立高校であったので、なんとか進学することができました。とはいえ、家計を支える必要がありました。朝早くから新聞や牛乳の配達、学校が終われば、ホテルの皿洗いなど、できるアルバイトは何でもやりました。その中の一つが、日曜日にできた解体現場での仕事でした。
この時のアルバイト経験が、後に私が解体業で起業するきっかけになったんです。
そして実は、50代になってからは、早稲田大学で再び学生となり、修士号も取得しました。年齢に関係なく、学びたいと思った時が“はじまり”。働きながらでも、人はいつでも成長できると思っています。
Q5E.学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
現場での信頼と、人生を変えたアドバイスが、会社設立のきっかけになりました。日中は現場で汗を流し、夜は机に向かって学ぶ日々。決して楽ではありませんでしたが、「いつか自分の力で仕事をしてみたい」という想いを胸に、ひたむきに努力を続けていました。
大学卒業後は、解体業の一人親方として本格的に独立。毎日さまざまな現場を飛び回りながら、一つひとつの仕事に真面目に向き合っていました。
転機が訪れたのは、25歳のとき。ある埼玉県の解体現場をひとりで担当していた時のことです。本来2週間の工期でしたが、私は「3日で終わらせます」と現場の責任者である年配の方に伝えました。
驚かれつつも、私の仕事ぶりを見てくれていたその方は、仕事終わりにこうアドバイスをくれました。
「本気でこの道でやっていくなら、一人親方じゃなく、会社をつくったほうがいい。有限会社より株式会社がいい。建設業の許可も必ず取っておきなさい。組織として信頼される存在になれば、もっと大きな仕事ができるから」
その言葉は、当時の私にとってまさに“人生を変える言葉”でした。
一人では限界がある。でも、組織としてなら、もっと多くの人を守り、育て、街づくりにも貢献できる。そう考えるようになり、会社を設立する決意を固めたのです。すべては、目の前の仕事に真摯に取り組み、出会った人との縁を大切にしてきた結果。
それが今の定山鋼材株式会社の原点となっています。
Q6F.最近感情が動いたエピソード
裏切りと混乱の中でも、“人とのつながり”が私を救ってくれました。
私にとって最大の経営危機は、信頼していた人に裏切られ、社員15人が一斉に辞めた、あの夏の日の出来事です。
当時、定山鋼材は東京都北区の本社と、埼玉県八潮市に事業所を構えていました。本社では都内の現場を担当する作業員が、八潮には埼玉近郊の現場と営業を担当するメンバーが集まっており、広い敷地はトラックプールとしても機能していました。
そんな中、私が50歳のとき、ハローワークを通じて出会ったのが、当時61歳の某氏です。
非常に頭の回転が速く、記憶力も抜群。営業先でも話題が豊富で、お客様ともうまく打ち解ける。そんな姿に私は信頼を寄せ、「実は将来的に上場も考えている」と話したところ、「自分に任せてください」と言ってきました。
某氏は過去に上場企業の立ち上げや支援に関わったことがあると話し、「ノウハウがあるから」と、私の参謀のような立ち位置で動くようになりました。私はすっかり信用し、権限も一部渡してしまっていたのです。
しかし、入社から3~4カ月が経った頃、彼は「上場準備のために経理も自分に任せてほしい」と言ってきました。経理は私の妻が担当しており、彼女からは「たった数カ月の社員に会社の根幹を任せるのは危険」と当然の指摘を受け、経理を任せることは断りました。
そして10カ月ほど経った頃、某氏は突如「これからは自分が社長になって上場を目指す。あなたは会長になってください」と言い出したのです。
さすがに違和感を覚え、経営者仲間や信頼できるお客様に相談したところ、「それは明らかにおかしい」と口を揃えられ、私は社長としての立場を守る決意を固めました。
ところがその直後、衝撃の報告が。「本社の工事部長以下作業員15人が辞表を出し、明日から誰も来ません」と。
突然の人手不足。しかし、目の前には止められない現場がある。私は、残った社員、協力会社、そして多くの仲間たちの助けを得て、必死で現場を回しました。あのとき支えてくれた人たちの存在が、本当にありがたかった。まさに“人徳の勝利”と、今では周囲から言ってもらえています。
さらに、八潮の作業員にも某氏が「定山鋼材は潰れる。一緒に辞めよう」と声をかけていたようですが、そのうちの一人が私のもとへ相談に来てくれました。「兄と一緒に声をかけられている。どうしたらいいか」と。
私は「僕がもう一度頑張るから、一緒に頑張ってくれ」と伝えると、その弟だけは残る決断をしてくれたんです。結果的に、辞めた15人の中には職場でパワハラ傾向の強い人物もいたため、残ったメンバーからは「逆に働きやすくなった」との声も。危機は、会社を見つめ直す機会になったのです。
余談ですが、某氏が15人を連れて移った先は、私たちの協力会社でした。
おそらく「定山鋼材の仕事(顧客)も連れていく」と約束したのでしょう。でも、取引先は私たちとの信頼を守り、協力会社は人件費を抱えきれず、1年後に倒産してしまいました。
今振り返れば、あの混乱の時期があったからこそ、今の定山鋼材があります。
「信頼される会社」であり続けることの大切さを、私は身をもって学びました。
Q7G.汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
どんなときも、人との“信頼”が私の背中を押してくれました。
突然、作業員15人が一斉に辞める――それは、会社の存続すら危ぶまれるような非常事態でした。しかも、その最中にも私たちが手がけていた現場は動いており、納期も迫っていました。
頭の中が真っ白になりながらも、私はすぐにこう考えました。「今こそ、定山鋼材の真価を示すときだ」と。
どんなにピンチでも、受けた仕事を途中で放り出すことはできません。それは、これまで築いてきた“信用”を裏切ることになるからです。私はすぐに、残ったメンバーと力を合わせ、人手の確保に動きました。
そのとき助けてくれたのは、これまで私が築いてきた“人とのつながり”でした。
損得抜きで手を差し伸べてくれた協力会社の方々、仲間、そして社員たち――
「人は一人では生きられない」と、心の底から実感した瞬間でした。
後になって分かったのですが、例の某氏は、かなり前から計画的に社員たちに声をかけていたようです。それでも、信じてついてきてくれた人たちがいた。だから私は、前だけを見て動き続けることができました。
この経験は、経営者として大きな学びを与えてくれました。それまでは現場にも出て、作業も一緒に行っていましたが、この一件を機に私は「ヘルメットを脱ぐ」決意をしました。つまり、現場の第一線は信頼する社員に任せ、私は経営と人事という“会社の未来をつくる仕事”に、より多くの時間を割くようになったのです。
危機は、ただの困難ではありません。 本当に大切なものに気づかせてくれる、成長のチャンスでもある――今ではそう思っています。
Q8H.経営危機をどのように乗り越えましたか
涙が出るほど感動した、人生の節目と“映画のようなサプライズ”です。
2024年2月、私は大きな節目を迎えました。法人設立40周年、結婚40周年、そして本社の移転(当時)――この3つの節目を祝う祝賀会を、ホテルの会場を借りて開催したのです。
社員全員が目の前に並ぶ中、これまでの人生を振り返りながら話をしていると、苦しかった時期のことも、支えてくれた人たちの顔も、まるで走馬灯のように浮かんできて……思わず涙が出そうになりました。「ああ、あの辛かった出来事にも、ちゃんと意味があったんだな」と、心から実感した瞬間でした。
でもその日、どうしても気になっていたことが一つだけありました。
長年、私の右腕として会社を支えてくれた土屋さんが、欠席だったのです。彼の存在なくして、今の定山鋼材は語れません。それだけに、「一緒にこの日を迎えたかった」と、寂しさを感じていました。社員からも「こんな大事な日に……」と、残念がる声があがっていました。
ところが――
会も終盤、突然「バーン!」と会場の扉が開いたんです。そこには、大きな花束を抱えて、こちらに向かって駆けてくる土屋さんの姿がありました。まるで映画のワンシーンのように、彼は笑顔で私の前に立ち、花束を差し出してくれました。もう、本当に言葉にならないほど、心が震えました。「やっぱりこの人は、最後に一番大きなプレゼントをくれるんだな」って思いましたね。
あの瞬間は、私にとって一生忘れられない、大切な記憶になりました。
Q9I.社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
ぶつかることもある。でも、最後には「この人たちがいてくれて良かった」と思えるんです。
解体の仕事は、何よりもチームワークが大事です。だからこそ、社員とは日々の打ち合わせや現場で、たくさんのコミュニケーションをとっています。
そんな中でいつも感じるのは――「やっぱり、人って面白いな」ということ。
経営者として「こうしたい」「ああしてほしい」と頭の中では思っていても、私の伝え方がうまくなかったり、言葉が足りなかったりして、意図が伝わらないことがあります。
時には、現場の作業員が思うように動いてくれず、つい歯がゆく感じることもあります。
でも、それでも私は信じています。「定山鋼材の社員たちは、最終的には必ず頼りになる」と。
建築や解体の業界は、はっきりと自分の意思を持つ人が多いので、ちょっとしたすれ違いから辞めてしまう人が出ることも確かにあります。けれど、私はそうした出来事をネガティブには捉えていません。
むしろ、「なぜそうなったのか」「自分の伝え方はどうだったか」――そう考えることで、自分自身も、会社も、また一歩成長できると思っています。
社員一人ひとりの個性を尊重しながら、時に衝突し、時に笑い合い、それでも一緒に前を向いて進んでいく。それが、私にとっての“理想のチーム”です。
Q10J.リーダーシップのスタイル
「自分が前に出る」より、「みんなが活きる」仕組みをつくること。
正直に言えば、私はもともと「リーダータイプ」ではありません。
長い間、自分で仕事を受注して、自分で現場を回して――そんな“職人型”のスタイルでずっとやってきました。だからこそ、社長になってからも「ぐいぐい引っ張る」というよりは、少し違う形でリーダーシップを発揮しているつもりです。
私が目指しているのは、「社員一人ひとりが、自分の強みを発揮できる組織」をつくること。得意なことを活かせるように、社内の仕組みを整えたり、新しい制度を導入したりしています。たとえば、働きながら学びたいという社員には、その機会をできる限り提供しています。私自身も、若い頃に仕事と勉強を両立してきたからこそ、その大変さも、意味も、よくわかります。
また、新しい技術や知識が必要な場合には、専門家を社内に招いて直接学べる場をつくることもあります。うちの社員たちは、それぞれ違うタイプの建物を、発注主の要望に沿って丁寧に解体できる力を持っています。その技術をさらに磨ける環境を整えることが、社員の成長につながり、結果として会社の成長にもつながると考えています。
社長として前に立つことも時には必要ですが、私は“個の力”が最大限に発揮される場をつくることが、リーダーとして一番大事な役割だと思っています。
Q11K.事業を通して実現したい夢
「この会社に頼んでよかった」「この会社で働けてよかった」そう思ってもらえる会社をつくり、心のこもった仕事で社会を豊かにしたい。
私の夢は、事業を通じて社会に貢献すること。これは、定山鋼材の経営理念にも掲げている、会社として最も大切にしている思いです。もちろん、企業として利益を出すことは大前提です。利益があるからこそ会社は継続でき、社員の生活を守ることができます。でも、それだけでは足りません。社員に「この会社に勤めてよかった」と思ってもらえる会社でありたい。その上で、お客様にも「定山鋼材に任せてよかった」と感じていただけるような仕事を提供したいのです。
「定山さん、安全に、そしてきれいに壊してくれてありがとう」そんな言葉をいただけたとき、私たちの仕事には確かな価値があると実感します。その信頼を得るためには、一人ひとりの社員が、ただ作業をこなすのではなく、心を込めて現場に向き合うことが必要です。だからこそ、技術だけでなく、人としての豊かさや誠実さを育てることにも力を入れています。
最終的には、お客様や関係者、そして社員自身が「定山鋼材に関わってよかった」と思えるような、そんな会社をつくり続けたい。心のこもった仕事が、巡り巡って社会そのものを豊かにしていく――私は、そんな未来を本気で目指しています。
Q12L.夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
誇れるものがあるとすれば、仕事への愛と、仲間への信頼です。
正直に言って、自分に「これが強みだ」と胸を張れるようなものがあるとは、あまり思っていません。今でこそ社長という立場にいますが、私の中では、今も昔も“現場の一作業員”の気持ちが根っこにあります。ただ一つ言えるのは、この仕事に惚れ込んでいる、ということ。
解体の現場で汗をかき、お客様の「ありがとう」の言葉を直接いただけるこの仕事が、私は心から好きなんです。それこそが、ある意味での私の強みかもしれません。
そして、何よりも大切にしているのは「お客様に喜んでもらえる仕事をする」という信念。いい仕事をすれば、必ず次の仕事につながります。そして、その評価は仕事をした社員たちへの評価でもあります。お客様からいただいた信頼や感謝の言葉が、社員の誇りややりがいにつながる。それが、次の現場へのモチベーションになるんです。
だからこそ私は、実直な仕事を積み重ね、その成果をきちんと届けてくれる社員たちこそが、会社の、そして私自身の一番の“武器”だと思っています。
社長としてのこだわりは、「誰よりも現場を信じること」。その想いが、夢の実現を支えてくれているのだと、日々実感しています。
Q13M.社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること
私たちが手掛けている「解体工事業」は、かつては建設業の中の一業種として捉えられていました。しかし近年、自然災害の復旧作業などを通じて、社会の再生を支える重要な役割を果たしていることが注目され、テレビや新聞などのメディアでも取り上げられるようになりました。
その背景には、解体という仕事が単に「壊す」だけではなく、「次の時代をつくるための第一歩」であるという意識の広がりがあります。
建物の建て替えや街づくりの再開発において、最初に必要となるのが解体工事です。老朽化した建物を安全かつ確実に取り壊し、その土地に新たな命を吹き込む――それが私たちの使命であり、地域の発展に直結する大切な仕事です。
また、解体の過程では、木材・ボード・コンクリート・プラスチック類・がれきなど、さまざまな産業廃棄物を丁寧に分別し、適切に運搬・処理しています。こうした作業を通して、限られた土地と資源を再び社会へと循環させていくことが、私たちの社会貢献の根幹にあります。
解体工事業は、社会の「動脈産業」と「静脈産業」の両方の役割を担う仕事だと私たちは考えています。新しい建物や街を生み出す動脈として、そして不要になった構造物を安全に処理し、資源を再び循環させる静脈として、未来のまちづくりに欠かせない存在です。
このような取り組みは、まさにSDGsの理念である「持続可能な社会の実現」や「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」の実践そのものです。
私たちはこれからも、解体という仕事を通じて地域の再生と安全を支え、次の世代へとつながる社会づくりに貢献していきます。
Q14N.自社の強み、面白い制度
「犬小屋から超高層まで」――どんな建物も、絶対に断らない。それが私たちの誇りです。
定山鋼材の最大の強みは、どんな建物の解体であっても「NO」と言わない姿勢です。キャッチフレーズは、「犬小屋から超高層まで解体します」。まさにその通りで、創業以来、いえ、正確に言えば私がこの業界に飛び込んだ日から、私たちはどんな仕事も断ったことがありません。
過去には、会社として最大の危機でもあった15人の作業員が一度に辞めたという事態も経験しました。それでも、すでに受注していた仕事を投げ出すことなく、残った社員や協力会社と力を合わせて、すべてやり遂げました。これまでに培ってきたノウハウと、社員一人ひとりの技術力を結集し、無事故で安全に解体を完了。建物が解体された後、そこにぽっかりと生まれる大きな空間――まるで地図の一部が「まっさら」になるような感覚は、他の仕事ではなかなか味わえないものです。
その瞬間の爽快感、達成感こそ、この仕事の醍醐味。私たちにとって、それは誇りであり、次の挑戦への原動力でもあります。
さらに、こうした挑戦を続けられるのは、社員を支えるユニークな制度の存在も大きな理由です。業務に必要な資格を能力に応じて会社負担で取得できる制度をはじめ、現場での緊急時はもちろん、職務外でも社会の貢献できるよう全社員が上級救命技能を取得。専門性の向上を図る「月二回の構造力学講習」もあり、知識と技術を常に磨き続けています。また、勤続社員には人間ドックや健康診断オプションの補助制度を設け、長く安心して働ける環境を整えています。
現場での挑戦を可能にする不屈の姿勢と、それを支える独自の制度。この両輪こそが、定山鋼材を他にはない会社へと押し上げています。
Q15O.若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
「定山に頼めば、何でもできる」――そんな会社を、あなたと一緒につくりたい。
これからの若い世代と一緒に目指したいのは、「定山鋼材に頼めば、どんなことでも安心して任せられる」と言ってもらえる会社を育てていくことです。
それを実現するには、現場で働く一人ひとりが「やってやろう」「何とかしてみせる」という強い意識と、自分の技術を日々磨く努力が必要です。実際に、今の定山鋼材が「断らない会社」として信頼されているのは、社員みんながそうした誇りと責任感を持ってくれているからこそ。
だからこそ、私は社員に頭が上がりません。頑張ってくれるみんなのためにも、私の役割は、発注者との信頼構築。安定した受注を得るための営業活動。それが、経営者としての責任だと思っています。
また、「もっと技術を身につけたい」「資格を取りたい」といった社員の成長意欲には、全力でサポートします。私自身、仕事をしながら勉強を続け、大学を卒業し、さらに修士課程まで学びました。だからこそ、若い人たちにも「学び続ける姿勢」を大切にしてほしいと思っています。
どんな仕事にも、必ず意味があります。その意味を自分の力で見つけ、乗り越えていくことで、人としても大きく成長できます。私たちと一緒に、「定山鋼材にしかできない仕事」を、これからも一緒につくっていきましょう。
Q16P.家族へのメッセージ
家族の存在は、人生の中で一番の支え。
だからこそ、これからも感謝の気持ちを忘れずに、仕事にも人生にも向き合っていきたいと思っています。
人生も会社も、すべて家族の支えがあってこそ。
まずは、何よりも妻へ――公私にわたって、私の人生を支え続けてくれたことに、感謝の言葉すら見つからないほど、心から感謝しています。会社では経理部長として重責を担いながら、家庭では4人の子どもたちを立派に社会に送り出してくれました。その苦労は、想像を絶するものだったと思います。
経営幹部としての冷静な判断力と、人としてのあたたかさを兼ね備えた、まさに理想のビジネスパートナー。ここぞという場面で私の足りない言葉を補ってくれたり、社員との間に生まれた小さなすれ違いをうまく和らげてくれる存在でもあります。「人を動かせなければ、大きな仕事はできない」――それを誰よりも自然にやってのけるのが妻です。彼女がいなければ、今の定山鋼材はなかった。そう断言できます。
そして、子どもたちへ。
長男は定山グループ会社を支えてくれ、家のこともいろいろと助けてくれています。母である経理部長の仕事も陰でサポートしてくれる存在です。次男は、現在の定山鋼材をしっかりと担い、真剣に取り組んでくれています。三男はゼネコンで働きながら近くに暮らし、孫を連れてよく顔を見せてくれるので、私にとって大きな楽しみです。四女は自立して立派に歩む姿がとても頼もしく、誇らしく感じていますが、正直に言えば少し寂しさもあります(笑)。毎日でも顔を見たいところですが、せめて時間があるときに元気な顔を見せてくれると嬉しいです。
家族の存在は、私にとって人生最大の支えです。だからこそ、この感謝の気持ちをこれからも忘れず、仕事にも人生にも真摯に向き合っていきたいと思っています。
Q17Q. 社長の推しポイント ※社員さんからのコメント
非常にオプティミスティックなところです。本当のところはかなり深い造詣を持った思考の持ち主なのですが、それを感じさせないところがまた社長のすごいところです。例えば、工期の途中で工事部長以下15人が突然辞表を出した日のことです。明日どうなるかもわからないその時に、事情を知らない私が一人現場にいると、社長がやってきて「お前、いたのか。飲みにでも行くか」ってこんな感じなのです。後から事情を知った私は血の気が引く思いでしたが、その時は、とても肝が据わった人だなと感じたことを覚えています。個人的には、この「事件」が契機となって社長との接点が増え、経営の一端を担わせてもらい今に至っています。先にも述べましたが、一族経営の会社に、一社員であった私を抜擢してくれた社長の心の広さにはただただ感謝するばかりです。
COMPANY PROFILE
- 社名
- 定山鋼材株式会社
- 設立
- 昭和58年11月18日
- 業種
- 建設業
- 事業内容
- 犬小屋から超高層までの解体
- 提供価値
- 社業を通じ豊かな人間性を養い社会に貢献できる人・企業を目指す
- 本社
- 〒114-0002 東京都北区王子1丁目28番10号
- 社員数
- 40名

