インターネットの魅力にとりつかれ、事務職を辞めてITで起業。「何のために生きるのか?」答えを求め命がけの経営に挑む。
(株)リヴィティエ
代表取締役
佐藤紗耶子氏 (東京)

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佐藤紗耶子社長は、事務職からプログラミングの世界に飛び込み、32歳でITコンサルティングのリヴィティエを立ち上げた異色の経歴の持ち主です。主力社員の退職など数々の苦難を乗り越えられた秘訣は、意外にもストイックな山修行にあるのだとか。今回は、そんな佐藤社長の汗と涙の塩(CEO)味ストーリーと、強さ優しさを備えた経営スタイルに迫ります。

20歳でインターネットにハマる

マリコロ編集長:佐藤社長はもともと一般事務の仕事をされていたとうかがっています。プログラミングとの出会いを教えていただけますか。

佐藤:はい、もともとは事務職だったのですが、20歳の時にウィンドウズ98が登場し、インターネットが流行りだしました。パソコンにはマイクロソフトチャットが標準搭載されていて、世界中の人々が話しかけてきたのです。「これは面白い世界だ。この業界に入りたい」と、ワクワクしたことを覚えています。チャット仲間にはギーク(geek)と呼ばれるコンピュータのプロフェッショナルがいて、少しマニアックですが私には刺激となり、そこでプログラマーという仕事があることを知りました。

社員、フリーランスを経て起業へ

マリコロ:20歳でインターネットの世界と出会ったのですね。そこから独学でプログラミングを学んだのですか。

佐藤:ギークに魅了され、この業界で仕事をしたいと思い、学びはじめました。とにかく楽しかったです。「好きこそものの上手なれ」じゃないですが、教えてもらわなくても、勝手にプログラミングができるようになっていました。

マリコロ:そこから仕事にされたわけですね。その後、独立までの経緯を教えていただけますか。

佐藤:20代前半はネットワークやインフラなどのプログラミング以外の仕事からスタートし、25歳にプログラミングの会社に入りました。27歳頃にはプロジェクトマネージャーも担うようになったのですが、同時に「目標がなくなった」感覚もありました。

マリコロ:そこで独立されたのですか。

佐藤:一旦はフリーランスになりました。仕事をいただくと同時に「プログラマーを紹介してほしい」という営業が多いことに驚き、フリーランス営業のネットワークもできつつあったので、32歳でリヴィティエを起業することにしました。

マリコロ:印象としては迷いなく起業を決意されたように思えますが、ご家族の反対などはなかったのでしょうか。

佐藤:私の実家は建築系の会社を家族経営していました。幼い頃から「資金繰りがどうこう」のような会話が飛び交い、会社経営は私にとって普通の感覚だったのかもしれません。父親も創業社長で、元々は大工職人という専門職でした。技術を極めたい血筋や家系なのかもしれませんね。

“プログラマー”から“経営者”へ

マリコロ:技術者と経営者はまったく違う能力が求められると思いますが、創業当時の様子を教えてください。

佐藤:そうですね、最初の3年間はかなり苦しみました。自分が顧客現場に入って売上を作っていましたが、これでは会社が大きくならないとの危機感を持ちました。そこで私が現場から退く代わりに、人を採用して会社を拡大させようと路線変更しました。

マリコロ:個の力が強い世界のイメージがありますが、会社組織として運営するために、工夫されたことはありますか。

佐藤:個の仕事に思われるかもしれませんが、実は作業分担してチームで作り上げることが大事です。採用した人は、最初から全てができるわけではありません。ですから、新卒未経験を採用し、2~3か月の教育プログラムを作ったりしました。個の技術力向上と並行して、月1回の全社会議など、会社の理念や風土形成にも気を配りました。また、仕事の取り方もなるべく上流からの案件を提案し、若手も含めたチーム編成にすることを試行しました。

損害賠償の危機、山修行との出会い

マリコロ:会社が順調に育っていくプロセスのなかで、経営人生一番の危機、汗と涙の塩(CEO)味はどのあたりだったのでしょう。

佐藤:人絡みですが、二度ほど苦しいことがありました。一度目は8年前ですが、ポジションも責任もある重要な社員が急に退職したことです。顧客からも損害賠償問題だと言われ、謝りに行きました。
「何のために会社をやっているのか」自問自答するとともに、その人を追い込んでしまったのではないかと悩みました。
そんなとき藁をもすがる思いで、あえて自分のことをあまり知らない方に相談してみたんです。すると「辞めてはいけない。これからあなたの本当の会社になるのだから」という言葉をいただきまして。両親からは「借金なら何とかするから会社を畳んでもいい」と言われましたが、逆に、迷惑はかけられないと奮起したことを覚えています。

マリコロ:ご両親の支えも、「これからあなたの本当の会社になる」という言葉も刺さりますね。さらに別の塩(CEO)味の経験もあるのですか。

佐藤:もうひとつも内部問題なのですが、ある営業社員の退職と同時に、取引先と売上げを奪われたことです。トータルで600万円ほどの売上げが、徐々に他企業にスライドしていくのを見て、裏切られた気持ちで非常にモヤモヤしました。
そこで信頼できる方に相談すると「腹が出来てないから、心がグラグラするのだ」と言われ、ハッとしました。そこから山修行に挑み始めまして。年に1-2回ほど、霊山と呼ばれる険しい山に登っています。山に挑戦するうちに、自分の軸や胆力がしっかりしていれば気持ちに引っ張られないことに気がつきました。

何のために生きるのか “命がけの経営”

マリコロ:まさに命がけの経営ですね。

佐藤:山に行くことでスイッチが切り替わるのです。危険な山で「死ぬかもしれない」と思い戻ってくると、生かされていることへの感謝が生まれます。普段の悩みは命のありがたみに比べると取るに足らないという感覚になりますし、「何のために生きるのか」という究極の問いについても考えられます。リヴィティエを立ち上げて運営してきたことは、自分の魂を磨くために必要なことでしたし、「かかわる人々の幸せと心豊かな社会づくり」という企業理念にも通じています。

マリコロ:佐藤社長は社員の皆さんと距離が近そうですが、普段どのようなメッセージを発信していますか。

佐藤:距離感は近いと思います。Slackなどでポンポン連絡はきますね。実は、今の企業理念や行動指針はボトムアップで作ったのです。社員自身にどういう会社にしたいのかを考えてもらい1年間かけてつくりました。結果、私自身が思い描いていた内容と同じで、自分の想いが社員に染み込んでいると安心できました。

マリコロ:どのような若手社員がリヴィティエにはフィットするのでしょう。

佐藤:技術者はプログラミング力が最強という考え方の人は、少し合わない気がします。顧客の課題解決に真に向き合うには、技術力だけでなく人間力が必要になります。目の前の人が何を求めているかの利他の心が重要です。顧客の喜びを通じて自分の成長につながることに共鳴してくれる人が、馴染みやすいかもしれません。

マリコロ:もし佐藤社長と同じように、起業というキャリアを歩む社員がいたらどんな声をかけますか。

佐藤:会社を仮に作るなら「出資もするので、事業体としてやってみたら?」と勧めると思います。歓迎するので一緒にやっていこうと。プログラミング言語は多いので、『鬼滅の刃』のイメージで色々なユニットを作りたいです。目標は同じくして、それぞれの必殺技や得意領域を生かしあって協働するのは面白いと思います。

経営者の魅力は歴史に爪痕が残せること

マリコロ:今後の佐藤社長の夢や目標を教えてください。

佐藤:今後は、2035年問題のような介護や医療において人手不足になる状況が予想されます。その分野をITの力で解決し、日本経済や産業を支える存在になりたいと思っています。快適で健全に生きられる世の中になれば、一人ひとりの心も豊かになります。企業理念にも通じますが、人々がそのような状態になれる社会を願っています。

マリコロ:最後になりますが、経営者という職業の魅力について教えてください。

佐藤:「世の中に微力ながら貢献している」という感覚が支えになっています。偉大な経営者は歴史に爪痕を残し、企業文化や製品が残ったりしますよね。「何のために生きるのか」にもつながりますが、歴史の教科書に名前が載る可能性がある仕事でもあるのが、経営者という仕事の素晴らしさだと思っています。