体操史上最年少でオリンピックに出場、個人・団体ともにメダルを獲得できた秘訣はプレッシャーをはねのける平常心。自己管理力の差がトップアスリートの分かれ道。
池谷幸雄体操倶楽部
代表取締役
池谷幸雄氏【前編】(東京)

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2001年から池谷幸雄体操倶楽部を運営する池谷幸雄社長。4歳で体操を始め、1988年のソウルオリンピックに男子体操史上最年少の高校生で出場し、個人種目別ゆか、団体総合ともに銅メダルを獲得。さらに4年後のバルセロナオリンピックでも、個人種目別ゆかで銀メダル、団体総合で銅メダルを獲得されています。その後、22歳の若さで競技を引退すると芸能界デビュー。バラエティ番組などを中心に、さまざまなジャンルで活躍し話題をつくってこられました。
社長のメンタル力に迫る連載【社長のコンソメンタル】前編では、池谷社長が輝かしい功績をどのような手法や考えのもと残してこられたのか、その秘密に迫ります。

体操上手になれば、仮面ライダーになれる

マリコロ編集長:まずは体操を始めたきっかけを教えてください。

池谷代表:府中で生まれ町田で育ち、相模原みどりスポーツクラブで4歳のときに体操を始めました。母が中学のとき体操をしていたので、胴体の体づくりをしっかりしないと体が動かないことを知っており、体操教室に入れたそうです。あとから、母はいずれ野球をやらせたい、父はゴルフをやらせたいと考えていたと聞きましたが。
それと、元々やんちゃで落ち着きがなかったのですが、体操教室に通い始めた当時、仮面ライダーになりたいと思っていたんです。教室でぐるぐる上手に回転できるようになれば仮面ライダーなれる、もし下手だったらショッカーになってしまうと思い込んでいたのも頑張って練習した理由だったかもしれませんね。笑

その後大阪へ引っ越しましたが、体操教室の先生から「素質があるから大阪でも教室に行かせてあげてください」と言われたことで、大阪で再度一般コースから始め、小学3年で選手コースに入りました。習い事は体操のほか、水泳、英会話、ピアノ、絵画教室などにも通っていましたが、小学4年のとき自ら体操一本に絞りました。

体操男子史上初の高校生でオリンピック出場へ

マリコロ:みるみる上達されたと思いますが、体操を辞めたいと思った経験はありますか。

池谷:小学5年のとき、一度だけ辞めかけたことがありましたね。学校から帰るとカバンを置いてすぐ練習という毎日。友達と遊べないことが嫌になり、1週間ほど練習へ行くフリをしてサボっていました。実は体操教室からの連絡で初日から親にバレていたらしいのですが、そうとは知らずサボり続けていました。1週間経ったころ親から「1か月サボらず教室に行けばお小遣い1万円あげるよ」と言われました。当時の1万円といったら相当な金額です。私の性格に合わせてお金で釣る作戦を考えたのでしょう。まんまと術中にハマり、体操教室に戻りました。小学5年の終わりには体操で生きていくと決意したわけです。あの時のお小遣い作戦がなければオリンピックへは行けていなかったでしょうね。

マリコロ:オリンピックを意識し始めたのはいつ頃ですか。

池谷:夢が仮面ライダーになることからオリンピックに変わったのは選手コースに入ってからですが、まだどんな大会かは知らず、とにかく大きな大会だから出れば有名になれると考えていました。その後、小学5、6年は大会に出るたびに優勝や上位入賞をするようになり、体操競技部のある清風中学に推薦で入学しました。ちなみに、体操選手のピークは女子が18歳前後、男子が20歳から25〜6歳と若く、ジュニアで頭角をあらわす選手がほとんどですから、内村航平選手や田中理恵選手のような遅咲きの選手はレアです。
私がオリンピックを初めて見たのは中学3年のときのロサンゼルスオリンピック。当時は次の大会に自分が出られるとは考えてもいませんでしたが、18歳のとき、西川大輔選手とともに高校生男子として初めてソウルオリンピックに出場しました。この最年少記録は今も破られていません。

メダリストならではの予選通過のプレッシャー

マリコロ:高校生でオリンピックに出たときはどんな精神状態でしたか。

池谷:オリンピックに出られそうだと言われ始めたのは、前年の冬の全日本選手権3位に入賞したころです。同級生の西川選手は怪我をしていましたが、私が3位に入ったことで本来なら同等の実力の彼も一緒に推薦され、史上初の体操での高校生オリンピック選手ということで注目されていきました。次の2次予選は西川選手が1位、私が2位で、通過時は嬉しさ半分安堵半分。皆の期待度が桁違いでしたから期待に応えられなかったらどうしようと大変な思いで、本番より予選のほうが緊張しましたね。次のバルセロナのときも同様で、前回大会でメダリストだったとしても予選に失敗したら出られません。周囲は当たり前のように予選に通過するものと思っていますが、本人からすれば予選を勝ち抜くのも相当プレッシャーでした。本番は一発勝負で終わるので思い切ってできますが、予選は相当しんどかったですね。失敗したらオリンピック自体に出られませんし、予選で怪我をすればアウトという状態ですからね。

マリコロ:結果を出さなければならない場面では、どのように気持ちを整えているのでしょうか。

池谷:私の場合はオリンピックだからといって変えずに、試合とは関係のない会話をしながら平常心を保つことを心がけていました。もちろん試合には集中しますが、待ち時間などは集中しすぎないよう日常会話を交わします。心を閉ざして集中しないとダメな選手もいますが、私は声を出したほうが緊張がほぐれるタイプでしたね。

プレッシャーは棲みついた魔物、大事なのは平常心

マリコロ:子どもたちに指導する立場としては、ここ一番の試合で実力を発揮する方法をどのように教えていらっしゃいますか。

池谷:まず試合で実力を発揮するためには、練習からきちんと実力が出るようでないと難しいです。練習時に試合を想定してイメージトレーニングし、その中で演技することが重要です。

私も選手時代によく言われましたが、「試合は練習の気持ちで、練習は試合の気持ちでやれ」ということです。大事なのはやはり平常心。緊張もしますが、緊張しすぎると体が重くなってしまいます。自分のパフォーマンスが発揮される良い緊張感を保たなければいけませんが、この塩梅は人によって異なりますので、わかるのは自分だけです。試合を重ねる中で自分自身が掴んでいく以外に方法はありません。それを掴んだ選手だけがプレッシャーを考えず100%のパフォーマンスができます。
プレッシャーはそもそも、自分自身で勝手に生み出してしまうものですよね。オリンピックには魔物がいるとよく言われますが、あの場に魔物がいるわけでなく、それまでの長い期間にプレッシャーが育まれます。 他にも大きな試合はありますが、オリンピックは特に注目され、取材期間も合宿も長い。その間にプレッシャーが蓄積されていき、本番に出てしまう。このプレッシャーをはねのけられた人だけがメダルを獲れるのです。

生徒の村上茉愛選手が金メダリストに
トップアスリートに求められる能力とは

マリコロ:池谷幸雄体操倶楽部出身の村上茉愛選手が金メダルを獲られましたよね。オリンピック前にはどのようなメッセージを送られたのでしょうか。

池谷:東京オリンピック時にはベテランでしたから、怪我するなということと体調管理ですかね。その試合の何時何分何十秒に演技をするかある程度決まっているため、トップアスリートはそこに自分のベストコンディションを持っていかなければなりません。いつ食事してアップして、どこで休むかなど全てを調整します。試合直前に腹痛でトイレ行きたくなったらアウトですから。

マリコロ:体操の技術面はもちろん、試合に合わせてベストコンディションに持っていく能力や精神をコントロールする自己管理力が非常に大切なのですね。

池谷:それがなければ、トップアスリートにはなれません。

たとえば、お金を払ってダイエットする人もいると思いますが、毎回の食事メニューが決められていて管理されれば誰でも痩せることができます。しかし、辞めた途端に元に戻ってしまう人も多いですよね。しかし、トップアスリートは管理されなくても体型を保てるのです。自己管理できるかできないかは、トップアスリートかそうでないかの分かれ道。アスリートの中でも、幼少期から差が出る部分として自己管理力は大きいですね。

池谷社長の精神力を聞く連載、コンソメンタルは【後編】に続きます。後編では、20年以上体操倶楽部を運営されてきた経営者としての思いと、その考え方について迫っていきます。