体操銀メダリストの新たな目標は後進育成とプロゴルファー!?トップアスリートのポジティブシンキングで、後ろを振り返らない経営を。
池谷幸雄体操倶楽部
代表取締役
池谷幸雄氏【後編】(東京)

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バルセロナオリンピックで銀メダリストとなった直後、競技から引退した池谷幸雄社長。芸能界で活躍しながら、体操への恩返しとして池谷幸雄体操倶楽部を設立しました。しかし生徒集めには苦戦し、体育館の建設では騙され、いつも資金繰りに頭を悩ませてきたといいます。
子どもたちのための体操教室を20年以上続け、村上茉愛選手などオリンピック金メダリストも輩出した今、52歳で新たにプロゴルファーへの挑戦を宣言した池谷社長。「後ろは振り返らない、前に行くしかない」と笑顔で語るその原動力とは—。池谷社長のコンソメンタル【後編】です。

メダリストから一転、22歳の早すぎる引退

マリコロ編集長:22歳での早い引退は周囲を驚かせたそうですが、オリンピック前から決められていたのですか。

池谷代表:私が選手だった時代は医療も進んでおらず、優れた医師やトレーナーもいませんでした。痛みを感じてもそのまま練習し、病院でレントゲンを撮る頃には骨折した後すでに治っているようなこともあったほど、体のケアができていなかったのです。高校3年になったとき、ようやくアイシングの概念が生まれたような時代ですからね。

そんなときに競技をしていた私は幼少期から相当な量の練習を行っていましたので、22歳の頃には体に限界がきていました。バルセロナオリンピックはなんとか乗り切ったものの、体を騙し騙し続けていたのです。床も思いっきり演技して万が一アキレス腱が切れてしまったらオリンピックを迎えられません。そんな状況の中、どうにか調整して銀メダルを獲ったので、そこで引退を決意しました。もし個人でメダルが獲れていなければもう少し続けていたかもしれませんが、それはわからないですね。

芸能界で活躍する中、夢であった体操倶楽部を設立

マリコロ:引退後、すぐに体操教室を設立されたのですか。

池谷:いえ、体操を広めたいという思いから芸能界に入り、引退から5年ほどは芸能界の仕事に集中していました。ただ自分が本当にやりたいことを考えたとき、体操に恩返ししなければという思いが浮かび、2〜3年準備した後に池谷幸雄体操倶楽部を設立しました。また、今の子どもたちは体を動かす環境があまりなく運動不足です。そんな子どもたちのためにも、しっかり体を動かせる安全な環境を作り、金メダルを獲れるようなオリンピック選手を育てたいという思いもありました。

マリコロ:すでに池谷社長はかなり有名だったと思いますので、教室の生徒集客には困らないですものね。

池谷:それが教室を開いてみたら全く違いました。

私のイメージのせいで、体操競技専門教室だと思われてしまったのです。もちろん体操競技コースはあるものの、誰でも入れる体操教室がメイン。認知していただけるまでの数年間は大変でしたね。

マリコロ:教室に入ったら皆オリンピックを目指さなければならないと思われてしまったのですね。

池谷:そうです。体の動かし方を教えるのが体操教室ですから、体操で柔軟性を増し、バランスのとれた体をつくることは全ての人にとってプラスに働きます。体操教室で体を動かせるようにした上で他競技に移行してもらえば良いですし、スポーツをしないとしても健康な体を維持することは大事なことですからね。

体育館建設で詐欺に遭うも、子どもたちのため突き進む

マリコロ:体操選手からタレント、そして代表取締役となられましたが、経営者はそれまでと全く違うのではないでしょうか。資金面でも苦労があったそうですね。

池谷 :芸能界入りの時点で個人会社を設立していたため当時から社長でしたが、体操教室を作り社員を雇い生徒を抱え、その責任は全く別物になりました。創業時は初期費用がかかりましたが、最も大変だったのは体育館建設費用の捻出です。多くの資金を使って建てても事業としては採算が合わず、体育館建設を宣言した際には周りの経営者が皆反対しました。それでも事業計画書を作って銀行を回り頭を下げ、なんとか資金を借りることができました。

マリコロ:このとき詐欺に遭われたというのは本当ですか。

池谷 :本当です。詐欺に遭ったというか騙されたというか。

建設業者を選ぶ際に複数社から見積りをもらい最も安かった業者に決めたところ、仕事欲しさに安すぎる金額を提示されていました。さらに鉄骨業者も資材を運ぶだけ運んだらいなくなり、次に現れた業者も下請けに支払いをしなかったため、 私が負担することになってしまいました。結局、見積り金額で提示されていた5000万円の倍額、1億円かかりましたね。

マリコロ:倍額ですか、、返済もある中で現在まで教室を続けてこられたのはなぜでしょうか。

池谷:一般クラスの生徒たちが減っても辞めずに残り、間借りした先で練習を続ける選手のため、体操競技専門の体育館を建ててあげたいという思いが強くありました。経営者としての採算を考えれば、現在体育館のある東京・小平でも家賃が高く、私のように個人で運営する人はほぼいません。体育館建設から時間が経ったため修理や新設の必要も出てきましたし、コロナでまた借金もしました。そんな中設立23年目を迎えられたのは、自分の夢でもある子どもたちのための体操教室を潰したくないという思いがあったからです。

52歳の誕生日に「プロゴルファーになる」宣言

マリコロ:ところで、新たにプロゴルファーになると宣言され本当にビックリしました。

池谷:ゴルフは30年やってきたスポーツで大好きなので、何か携わることができたらと考えています。52歳の誕生日から始めたプロゴルファーを目指すYouTubeチャンネルはその先駆けですね。本当に上手くなりたいので、PGAを目指し練習に励んでいます。ゴルフ好きの父のDNAもあると思いますが、お年寄りや目の見えない方など誰もができる生涯スポーツであることも大きな魅力だと感じています。2世代、3世代と垣根を超えて楽しめる競技はゴルフ以外にはありません。世界中にゴルフ場がありますし経営者でも好きな方が多いので、様々な面で将来性があると感じています。

マリコロ:今なおエネルギッシュな池谷社長ですが、新しいことに挑戦しようと思われる原動力はどこにあるのでしょう。

池谷:幼い頃から止まっていられない感じで、常に何かしていたい性分なのです。体操競技者は年中休むことがないので、それが今でも身に付いているのかもしれません。先日アキレス腱を切った際もすぐにトレーニングを再開し、怪我から1か月と3週間後には足を引きずりながらラウンドしていました。ゴルフがしたくて仕方がなくて。ちなみにそのときの成績ですが、良い感じに力が抜けていたからか、いつもより断然に良かったですよ。笑

失敗は次への糧、プラス思考でどこまでも

マリコロ:本当にいつも前向きでいらっしゃるので、お話しているだけでエネルギーがもらえる気がします。ポジティブシンキングはアスリートにとっても経営者にとっても重要な要素ですよね。

池谷:はい。基本反省はしますが、後ろは振り返らず後悔もしません。周りにアドバイスをもらっても、最後に決断するのは自分です。失敗も成功も自分の責任。メダリストは皆ポジティブシンキングです。また、前向きに考えた上で決断ができるかどうかは経営者にとって必要な要素だと思います。 私は橋を渡ってみたら崩れることもある生き方なので失敗も多いですが、深く考えることの悪い面もたくさんあります。マイナス面を考えるからこそ、判断が鈍ったり迷ったりするわけですから。どうせしんどいなら考えないほうが良いですし、失敗したとしても次への糧になる。騙されたとしても、最終的には「高い授業料だったな」と笑えたらいいですね。