闇営業騒動は “神様が与えてくれたブレーキ”。人脈に溺れ正気ではなかったあの頃。失った信用を取り戻すための一歩を踏み出すまで。
(株)ピカピカ
代表取締役
入江慎也氏【前編】(東京)

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「友だち5000人芸人」と呼ばれ、お笑いコンビ “カラテカ” として人脈を武器に活躍していたところから一転、2019年の闇営業騒動で吉本興業を契約解除となり、芸能界を離れることとなった入江慎也氏。
もともとは楽しい仕事がしたいと芸人の道を志し、同級生の矢部氏を誘いコンビを組みますが、相方ばかり仕事が決まる現実に憤りを抱えながら過ごします。
そんな矢先、人脈が広がることで人に頼られ、仕事が決まっていく心地良さに感覚が麻痺し、闇営業騒動が起きてしまいます。
失った“信用”を取り戻すため苦悩し、42歳で新たなスタート地として選んだのは清掃業の道。未経験からアルバイトを始め、1年後には清掃会社ピカピカを創業されました。
どん底を味わった社長へのインタビュー連載「激辛人生スパイCEO味」【前編】では、現在その代表としてひた走る入江社長に、人生を変えたあの騒動がなぜ起きたのか、そして芸人として歩んでいた当時を振り返っていただきます。

マリコロ編集長:入江社長の人生における激辛味を伺うとなると、2019年の闇営業騒動に触れざるを得ません。何があったのか伺ってもよろしいでしょうか。

入江社長:あの騒動以降の4年間はどん底を味わいました。警察沙汰になっていないためあくまで騒動ですが、当時の私は芸人たちを誘い、所属していた吉本興業を通さずに営業をかけていました。営業先の中にはいわゆる反社会勢力の方がいたのにも関わらず、全く気づかぬまま6年ほど付き合っていました。そこに周囲の先輩や後輩を巻き込んでしまい、責任を取る意味で契約解除となったんです。

マリコロ: 今年出された著書「信用」の中で記者会見などでの弁解を一切しなかったと書かれていましたが、それはなぜですか。

入江:理由はさまざまありますが、相方・矢部(太郎氏)からのアドバイスもありました。「弁解したとしても、自分自身がすっきりするだけ。言い訳せずに、新たな分野で頑張ることで認めてもらうことが近道ではないか」と言われたんです。あの騒動がなかったとしても、遅かれ早かれつまずいていたかもしれません。ちょうど社長の人脈が増え、これまで自分がやってきたことは間違っていなかったと確信に変わり始めていた矢先の出来事で、急に落とし穴が現れた気持ちでした。

芸人の世界へ、しかし注目は相方に

マリコロ:もともと、芸人さんを目指したきっかけを教えていただけますか。

入江:楽しい仕事がしたいと思っていたことに加えて昔からお笑い好きだったので、芸人をやってみようよと、高校の同級生だった矢部を誘いました。

当時、彼は教師になる予定で教育実習に行っていましたが、大学に通いながらでもお笑いはできると言って一緒に吉本興業に入りました。するとすぐに矢部は「電波少年」への番組出演が決まり一躍人気者に。結果的に大学を除籍になり卒業できなかったのです。私のせいですね。

マリコロ:相方として矢部さんに声をかけたのはなぜですか。

入江:よく聞かれますが、同じグループにいながらも特別仲が良かったわけでもないんですよね。ただいつも近くにいたのです。彼は、Jリーグを見に行こうと誘えばチケットを取ってくれ、何にでもノーと言わない人。あんな面白い相方を見つけたならいかすことを考えるのが普通だろうとよくツっこまれましたが、芸人になるまではずっと自分のほうが面白いと思っていました。笑

マリコロ:カラテカのお二人はどんな目標を持ち活動されていたのですか。

入江:売れて冠番組を持つ目標はありましたが、早い段階で自分たちはネタで頑張るタイプではないと気づいてしまい、思うようにいきませんでした。理想としたのは自分がびしびし相方を回してこちらも笑いを取るスタイル。しかし、吉本に入ると相方ばかりが注目されて彼だけ仕事が増え、自分は暇なことも多くなりました。誘った相手が人気者になっているのに、なぜ自分はそうなれないのか。19歳で吉本入りして32歳までの長い間、憤りを抱えていましたが、芸人として生きていく気持ちはブレず、本気で辞めようと思ったことはありませんでした。

「友達5000人芸人」と呼ばれ

マリコロ:そんな思いを抱えながら、徐々に人と人を繋ぐ活動を始められたのですね。「友達5000人芸人」のキャッチフレーズで人脈を武器に活躍されていた当時は、どんな日々を過ごされていたのですか。

入江:仕事がない不安をマネージャーのせいにして当たっていましたが、途中で自分が頑張るしかないと悟りました。とはいえ、何を頑張って良いのかわからない。吉本に入った当初はアルバイトもしていましたが、時間の切り売りは無駄だと気づき、そこから模索し始めます。

仕事で名前を覚えてもらえないのならプライベートでやるしかないと、麻雀や引っ越しの手伝いに率先して参加しました。
すると、次第に先輩のほうからプライベートな場に呼んでいただけるようになりました。また、先輩の誕生日には必ずメールしていたことを活用し、覚え方の面白い語呂合わせを考えて披露したところテレビ出演が決まりました。
あるときは「後輩理論」なるものを飲み会で話すと、当時できたばかりのFacebookに「日本後輩協会」のページを作るよう勧められ、それがきっかけで本を出すことになったり、ビームスや吉田カバンとともにコラボアイテムを作ったりもしました。小さな積み重ねが武器になるのだと確信したため、ひたすら考えて行動し、いろいろな社長の方に会って自分を売り込んでいきました。

マリコロ: 人脈作りのための独自理論をお持ちだそうですが、具体的にはどのようなものなのでしょうか。

入江:「WBC理論」と呼び、私が吉本の後輩などに教えたり講演でお話などもしていたものです。WBCというと一般的にはワールド・ベースボール・クラシックの略ですが、私たちの間ではW=「笑う」、B=「びっくりする」、C=「チェックする」の3つとしています。
まず「笑う」。笑わない人間というのは仲間が集まらず、仕事もできないように見えます。私が出会ってきた仕事のできる営業マンは笑顔で明るいですから。次に「びっくりする」ですが、とにかくリアクションを大きく印象付けようということです。最後の「チェックする」は、先輩が出した本やSNSを読んだりするところから、飲み会の飲み物や忘れ物のチェックまで、 あらゆるもののチェックを指します。危機を救ったときにはきっと覚えてもらえますから。

“神様が与えてくれたブレーキ”

マリコロ: お話を聞いていて計画的に前向きに行動していく方なのかと感じたのですが、貴書の中では思い悩むタイプだと明かされていましたね。

入江社長:悩みを相談するくせに答えは自分の中に持っていて、不安だから一応人にも意見を聞くという最もずるいタイプかもしれません。不安だ、不安だと口に出せるのは、ある種のメンタルの強さだと思います。まあ、心配性なのです。少し調子が悪ければすぐ病院へ行き、旅行にもあれもこれも必要だと大荷物で出かけます。芸人は太く短く生きるのだと言いながら、保険にも入って貯金もしていました。

マリコロ:あの騒動では相当追い詰められたのではないでしょうか。また、芸人を辞められてから声をかけられる機会もあると思いますが、当時を思い出して辛くなることはないですか。

入江:はい。一人になる時間も増え、どうしようどうしようと考え続けていました。知らない番号からの電話は未だに恐怖で、当時のことがフラッシュバックします。ただ最近は声をかけられても辛くなることはなくなりました。「極楽とんぼ・山本圭壱さんのYouTubeで見ましたよ」「清掃頑張ってください」と現在の私を見てくれている方が声をかけてくださると、パワーになります。

マリコロ:芸人を続けていたらどうなっていたと思われますか。

入江:本当に想像がつきません。今の姿が普通になっていて、吉本芸人だったのが不思議なほどです。ただ、あの騒動は神様がくれたブレーキだったと思っています。あのことがなければさらに大変なことが起きていたかもしれません。どんな人なのかもよくわからぬまま多くの方に会って紹介し、正気の沙汰ではなかったのです。

失った “信用” を取り戻すために

マリコロ:足元をすくわれたのも、助けてくれたのも “人脈” 。現在 “人脈” についてはどのように捉えていらっしゃいますか。

入江:以前の私は人脈を軽く考えていたのだと思います。人脈によって他人の人生を変え、失敗してしまいました。しかし人脈によって今の私は支えられていて、大切なものだと改めて感じています。あの頃は初めて行く場所は心細いからと後輩を呼んでいたのですが、今ではそういった機会には私一人もしくは社員とだけ行くことにしています。そのあたりは大きく変化しました。また簡単に人を紹介せず、きちんと段階を踏むようにしています。

マリコロ:著書のタイトルに「信用」を選ばれた理由も、今のお話に繋がりそうですね。

入江:そうですね。昔から言われている通り、信用は取り戻すのが本当に大変だと痛感しています。今の活動を通して取り戻せるのかはわかりませんが、信用を取り戻すための努力はずっと続けていかなければならないと考えています。

入江社長の連載「激辛人生スパイCEO味」は【後編】に続きます。
後編では、芸人の契約解除になってから、新たなスタートとして清掃業を選び起業するまでと、現在社長としてみつめるこの先の未来について伺っていきます。