新卒技術者スタートから社長へ。アデランスとともに激動の時代を歩む中、社長職へと昇り詰めた実力者の歩み。
(株)アデランス
代表取締役社長グループCEO
津村佳宏氏【前編】(東京)

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2023年5月に社屋を新宿から品川へ移転したアデランス。津村佳宏社長は新卒からの叩き上げで社長に昇り詰めた、誰もが認める経歴の持ち主です。技術者として入社した当初は器用なタイプでなく苦労したと語るものの、若くして支店長に選出され、29歳のときには社内技術競技大会で優勝。さらに課長としてリニューアルを任された育毛事業では、半年で100億円近く売り上げました。ステップアップする津村社長とは裏腹に、会社は外資系ファンドの介入によって大きな変化が訪れます。
「SDGsは未来の味」【前編】では、津村社長がアデランスに入社し、技術者として技を磨く上で自然とみつけた育まれたSDGsのタネと、社長に昇り詰めるまでの汗と涙の塩(CEO)味ストーリーを紹介します。

新社屋への移転は
「NEXT ADERANS」の一環   

マリコロ編集長:本日お邪魔しているこちらのオフィス、我々が初めて取材させていただいているとのことで光栄です。大きな岩や植物に象徴された自然溢れるコンセプトがステキですね。今回のオフィス移転はアデランス特命プロジェクトとして掲げる 「NEXT ADERANS」の方針の一つでしょうか。

津村社長:はい。アデランスは55周年を迎えましたが、当社は新宿の雑居ビルでスタートして以来、本社が新宿区から出たことはありませんでした。御苑にある自社ビルは狭く様々な部署が5つのビルにバラバラになっていたのを一つにし、本社機能を一つに集約することで業務効率を高めたいと、品川へやってきました。

全世界でビジネスを展開していますので、グローバルヘッドクォーター(国際戦略本部)としてこの場所に集約することにしたのです。元々アデランスはBtoCですが、アデランスサロンが162店舗(2023年6月末時点)程度、35店舗が病院に入っているサロンで、その他の物販のショップを入れても全部で450ほど。人口10万人の郊外型エリアまでカバーしたいのですが、直営店を展開するにはコストがかかるため、フランチャイズ制度を導入しました。成功している企業の方式に学び、本社が費用負担することでオーナーは初期投資不要で開始でき、本社としては人件費が不要となり双方にメリットがあります。直営もフランチャイズも採算は同程度で、私たちの店舗を転貸借するため、暖簾替えのリスクも軽減できます。昨年12月に2店舗でスタートしましたが、今後当社の店舗が無いエリアへの出店を進め、今年中には4店舗まで増やす予定です。
また、同時に導入した個人事業主制度は1時間から働けるスタイルで、こちらはPOLA様の働き方モデルを参考にしています。フランチャイズ同様、初期費用無しで始めることができ、販売もEC決済のため在庫を抱える負担もありません。コロナで社屋を手放す企業も多いですが、外部パートナーとの連携を深めると同時に営業の場としても必要と考えました。

技術者としての新卒入社と躍進

マリコロ:津村社長ご自身の入社のきっかけを教えてください。

津村:手に職をつけたかった私はアデランスのヘアデザイナーの募集に心を惹かれました。入社すると無料で理美容師免許が取得可能な制度が当時あったのですが、これが決め手となり応募しました。通信教育を経て技術を学び理容師免許を取りましたが、最初はパーマのロッドを巻くのが苦手で、88人いた技術者の同期の中で5人の居残りとなっていたほどです。

そこで寮に帰っても夜中2〜3時まで練習し、休日も養護施設や老人ホームへ出向く活動に参加をして1日15人ほどカットしながら経験を積みました。同期よりひと月遅れで現場に出ましたが、社会貢献活動の重要さも学びながら、会社で行われる技術競技大会優勝の目標もできました。その後埼玉県内の店舗で良い成績を収め、早い段階で支店長に選ばれました。そして29歳で技術競技大会優勝。その頃にはお客様からの質問には全て答え、それぞれの悩みを丁寧に伺ってそれに合わせたサービスや技術、そして心からのおもてなしを提供できるようになっていました。

マリコロ:髪の毛の悩みは切実ですよね。ヘアスタイルが決まらないと人に会いたくないとさえ思ってしまいます。

津村:そうですね。髪は顔の3分の1を占める“顔の額縁”です。絵が立派な額に入れることで引き立つのと同じで、髪は顔の印象を引き立てる大変重要な役割を持ちます。その悩みを受け止め応えるためには、最高の商品が必要です。

左上:津村社長がブランドコピーや商品名なども手掛けた美容ブランド「BeauStage」のドライヤー「エレガンジェット」とっても軽いです!、右上:FONTAINEの女性用ウィッグ、右下:スカルプケアができるHairReproのシャンプーなど

加えて、私たちのビジネスではお客様に合わせて調整するためにカットが必要ですので、理美容師でないと務まりません。さらにカウンセリングも行いますので毛髪診断士の資格取得も推奨しています。私も最初の頃はお客様に気に入っていただけないこともありましたね。

育毛部門のリニューアルに
大きな成果

マリコロ:技術者として経験を積まれた後は本社部門へ移られたのですね。

津村:横浜のブロック長を務めていた頃、課長として育毛部門を担当してほしいと本社から声がかかりました。育毛は既存事業でしたが、いわゆる大企業病に苛まれてシュリンクしており、立て直しに着手する人材もいなかったのです。そこからリニューアルを行った結果、約100億円近くまで売り上げました。

マリコロ:周囲も驚いたでしょうね。具体的にはどのように取り組まれたのですか。

津村:3ステップケアを導入し、当時最新の技術を取り入れました。しかしメンバーはたった3人。他の2人と協力し毎日夜中まで働き、マニュアルから一新しました。当時良いパソコンもない中でワープロを駆使して作ったため、自ずとスキルやリテラシーが身につきましたね。商品名からコピーも全て、自ら作成しました。大手広告代理店に依頼すると数百万円かかることもありますが、私が作ればタダですから(笑)。今も美容ブランド「BeauStage」に使われている「いつの時代も美しく」も私が作ったコピーです。ロゴにもアプリを用い、データ化の部分にのみクリエイターに依頼することで費用を抑えて作成しております。そのため、コストが大幅に削減できました。

マリコロ:技術者としての経験や知識があったからこそですね。津村社長にとって転機となったご経験でしょうか。

ゼロから全てやりましたから。講習会も私が担当したのですが、営業本部長がなかなか下まで浸透しないと言ってきました。原因は明確で、一般の技術担当者を集めて研修していたからです。そこで、部下たちに浸透させる力のある営業部長を集め、3日間研修所で理論から全て腹落ちさせる、という手法に切替えました。当時私は課長でしたから、直接旗を振ると角が立つため、営業本部長に指示してもらいながら上席に指導する仕組みを確立させました。その後は営業部長や現場責任者を務めました。

叩き上げから代表取締役に
最初の決断はMBO

マリコロ:新卒でアデランスに入社され叩き上げで社長になられたことは、多くの若者やビジネスマンにとっての希望です。元々、社長職を目指されていたのでしょうか。

津村:社長になりたいとはあまり考えていなかったのですが、諸先輩方に対して「こうすれば伸びるのに」と思うことが多くなり、部長レベルでは変えられないと気付いたことで役員を目指すようになりました。そのタイミングで早稲田大学へ社会人入学し、経営やマーケティングを学びました。

その頃、アデランスは2003年あたりから続いていた好業績の踊り場を迎え、外資系ファンドが当社株を30%ほど取得。この頃、業界に異業種からの参入や競合他社が増え、成長が鈍化していたのが原因です。直後に起こったリーマンショックの影響は少なかったものの、事業を取り巻く環境が変わってしまい株価が下落。それに伴い、2009年に株主総会でプロキシーファイト(株主総会で経営陣とそれに反対する株主が一般株主の委任状を取り合うこと)が実施され、株主提案が勝ってしまいました。その結果、2009年の5月以降は外部のプロ経営者が入ってきて、当時執行役員だった私と一部の役員以外は入れ替えに。しかし、現場を知らない人による改革は計画通りにはいかず、700億円あった売上は、470億円まで落ち込みました。ファンドもこのままではまずいと、創業者で現在会長の根本信男を社長兼会長に戻します。外部からの役員が去った後、社員の帰属意識を戻すために奔走しますが、希望退職を募ったりしている最中でモチベーションが下がって大変な状態に。それ以前から根本会長からあなたに任せたいと言われていて、2015年に代表取締役専務COOになりました。以降は事実上の執行を私が任されることになり、MBO(経営陣による自社の買収)をすべきと判断したのです。


津村社長の「SDGsは未来の味」は【後編】(https://shacho-chips.com/ceo_lemon/ceo_lemon-2610/)に続きます。
後編では、社長就任からの歩みと、新たな転換点となるNEXT ADERANSへの思いについて伺います。